名古屋経済大学市邨中学校・高等学校

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名古屋経済大学市邨中学校・高等学校
過去の名称 名古屋女子商業学校
名古屋女子商業高等学校・名古屋女商中学校
市邨学園中学校・高等学校
国公私立の別 私立学校
設置者 学校法人市邨学園
設立年月日 1907年
創立者 市邨芳樹
共学・別学 男女共学
中高一貫教育 併設型
課程 全日制課程
単位制・学年制 学年制
設置学科 普通科
学科内専門コース 後述
所在地 464-8533
愛知県名古屋市千種区北千種三丁目1番37号
外部リンク 公式サイト
ウィキポータル 教育
ウィキプロジェクト 学校
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名古屋経済大学市邨中学校・高等学校(なごやけいざいだいがくいちむらちゅうがっこう・こうとうがっこう)は、愛知県名古屋市千種区北千種三丁目にある私立中高一貫校

課程

全日制の普通科高校。 商業科は2002年より募集停止。 全日制の中学校を併設。

カリキュラム

中学校は週33単位で、月・水・木曜日が7時限目を実施。 高校は、特進・進学コースが週33単位で、月・水・木曜日が7時限目を実施。 総合は、週32単位で、月・木曜日が7時限目を実施。

特進コースは授業後に「進学補習」を実施。その他のコースは希望制。

コース

高校は次の3コース制。

  • 特進
  • 進学
  • 総合

沿革

  • 1907年(明治40年) - 名古屋女子商業学校として開校
  • 1945年(昭和20年) - 校舎焼失により、陸軍兵器補給廠跡の現校地に移転
  • 1947年(昭和22年) - 学制改革に伴い呉竹中学校設立
  • 1948年(昭和23年) - 名古屋女子商業高等学校を設立、呉竹中学校を名古屋女商中学校に改称
  • 1972年(昭和47年) - 市邨学園高等学校・市邨学園中学校に改称
  • 2002年(平成14年) - 名古屋経済大学市邨高等学校・名古屋経済大学市邨中学校と改称、男女共学
  • 2006年(平成18年) - 学園創立100周年

クラブ活動

運動部

文化部

出身者

その他

  • 平成18年に自殺した同中学校に通っていた生徒をめぐり、裁判長は「学校側がいじめに対して何らの対応も取らず、放置したことで自殺に至ったのは明らかだ」と述べ、在学中のイジメの事実、自殺との因果関係を認め市邨学園側に1490万円の賠償を命じた[1]。その後、2012年12月25日に名古屋高裁は、いじめと自殺との因果関係について、中学1年修了時に転校し、3年5カ月後に自殺していることから、「その間にさまざまな出来事や人間関係があった。高校の同級生とのトラブルや教諭との人間関係、進級問題による精神的ストレスが、自殺の原因と推認される」と判断し、いじめと自殺の因果関係を否定した。また、裁判長は1審同様、いじめと解離性障害の因果関係は認定。そのうえで、自殺当時の症状について、「中学で受けたいじめと似た状況になった時に、過剰に反応する程度に過ぎなかった」として、障害が自殺の原因とはならないと指摘した。なお、高裁は学園側に619万円の賠償を命じた。毎日新聞 2012年12月25日。


  • バスケットボール部の、元嘱託コーチに体を触られたとして、学校法人市邨学園と元コーチに300万円の損害賠償を求めた訴訟の判決で、名古屋地裁は24日、わいせつ行為を認定し、200万円の支払いを命じた[2]

脚注・出典

  1. ^ 読売新聞 2011年5月21日
  2. ^ 日刊スポーツ 2012年1月25日

関連項目