加藤英美
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基本情報 | |
---|---|
国籍 | 日本 |
出身地 | 北海道室蘭市 |
生年月日 | 1952年4月2日(72歳) |
身長 体重 |
173 cm 80 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 左投左打 |
ポジション | 投手 |
プロ入り | 1977年 ドラフト2位 |
初出場 | 1979年4月13日 |
最終出場 | 1982年8月30日 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
この表について
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加藤 英美(かとう ひでみ、1952年4月2日 - )は、北海道室蘭市[1]出身の元プロ野球選手(投手)。左投げ左打ち。
来歴・人物
[編集]室蘭大谷高では1970年夏の甲子園南北海道予選の準々決勝に進出するが、札幌光星に敗退。卒業後は大昭和製紙北海道に入社。1974年の都市対抗に出場し、リリーフ投手としてチームの初優勝に貢献する。翌1975年の大会ではエースとして全試合に先発し2勝、決勝で電電関東に敗れたが久慈賞を受賞した[1]。
1978年にドラフト2位で当時の横浜大洋ホエールズに入団[1]。社会人屈指の技巧派左腕投手であり、左投手が不足していた当時の大洋で大いに期待された。1980年には24試合、翌年には32試合に登板。しかし球威不足を補おうと球速アップを目論むが失敗、持ち味の制球力も鈍ってしまい、ワンポイントの域を出なかった。1982年8月には、ローテーションの谷間で先発にも起用されるが、結果を出せず同年限りで引退。
球速はないが、左スリークォーターからのカーブ、シュート、スライダー、フォーク、チェンジアップ、シンカーなど多彩な変化球を武器とした。
詳細情報
[編集]年度別投手成績
[編集]年 度 |
球 団 |
登 板 |
先 発 |
完 投 |
完 封 |
無 四 球 |
勝 利 |
敗 戦 |
セ 丨 ブ |
ホ 丨 ル ド |
勝 率 |
打 者 |
投 球 回 |
被 安 打 |
被 本 塁 打 |
与 四 球 |
敬 遠 |
与 死 球 |
奪 三 振 |
暴 投 |
ボ 丨 ク |
失 点 |
自 責 点 |
防 御 率 |
W H I P |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1979 | 大洋 | 10 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | -- | ---- | 48 | 9.2 | 14 | 2 | 7 | 0 | 0 | 4 | 1 | 0 | 9 | 8 | 7.20 | 2.17 |
1980 | 24 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | -- | ---- | 114 | 27.0 | 25 | 3 | 11 | 0 | 1 | 13 | 0 | 1 | 10 | 10 | 3.33 | 1.33 | |
1981 | 32 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | -- | ---- | 91 | 18.2 | 25 | 2 | 14 | 1 | 0 | 15 | 2 | 0 | 9 | 8 | 3.79 | 2.09 | |
1982 | 10 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | -- | .000 | 59 | 12.0 | 20 | 1 | 2 | 0 | 0 | 3 | 0 | 0 | 15 | 11 | 8.25 | 1.83 | |
通算:4年 | 76 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 1 | -- | .000 | 312 | 67.1 | 84 | 8 | 34 | 1 | 1 | 35 | 3 | 1 | 43 | 37 | 4.97 | 1.75 |
記録
[編集]- 初登板:1979年4月13日、対読売ジャイアンツ1回戦(横浜スタジアム)、9回表に6番手で救援登板・完了、1回無失点
- 初セーブ:1980年6月7日、対中日ドラゴンズ8回戦(札幌市円山球場)、8回表1死から2番手で救援登板・完了、1回2/3無失点
- 初先発:1982年8月14日、対ヤクルトスワローズ21回戦(明治神宮野球場)、2回1/3を4失点で敗戦投手
背番号
[編集]- 29 (1979年 - 1981年)
- 50 (1982年)
脚注
[編集]関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 個人年度別成績 加藤英美 - NPB.jp 日本野球機構