内田雄一郎

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内田 雄一郎(うちだ ゆういちろう、1966年2月8日 - )は日本のベーシスト作曲家東京都中野区出身。愛称は『うっちー』。インディーズ時代に使っていた芸名は「ユウ」、「ゆう」、「内田ユウ」など。
筋肉少女帯、水戸華之介&3-10chain、NESSのメンバー。筋肉少女帯の大槻ケンヂとは中学校からの付き合いである。

経歴

人物

筋肉少女帯のオリジナルメンバーであり、唯一バンドを離れたことがない。同バンド結成当初はキーボード(エレクトーン)を担当していたが、大槻がベースを弾きながらだと歌えなかったため、ポジションチェンジでベースを弾くようになる。メジャーデビュー後は、主に「スペクター NS-2 OIL」を使用。ピック弾きであり、「下品な音」を心掛けているという[1]
影響を受けた音楽は、エマーソン・レイク・アンド・パーマーキング・クリムゾンイエスといったプログレッシブ・ロックが主で、他に沢田研二野口五郎太田裕美といった歌謡曲も愛聴している[2]
非常に寡黙で大人しい人物であり、筋肉少女帯がトーク番組に出演した時など、決まって一人静かに座っており、話を振られてようやく二言三言話す、というのが常である。また、天然パーマであり、インディーズ時代から髪をそのまま長く伸ばしていたが、筋肉少女帯が活動を再開した2000年代中頃からは縮毛矯正をしている。
大槻と同じで大のプロレスファンであり、家ではいつもFIGHTING TV サムライをつけているという[3]。また、ゲーム好きとしても知られ、週刊ファミ通に連載を持っていたほどである。マックユーザーでもある[4]

逸話

小学6年生の時、家が火事で全焼した(幸い犠牲者は出なかった)。その後、中学校に進学し大槻と知り合ったのだが、たまたまその火事を目撃していた大槻が「ところであの火事を見たかい?すごかったね。あの家にいた奴は、もうボーボー燃えちゃって、今頃、天国に逝っちゃってんだろうねぇ?」などと話してきたため、内田は憮然とした顔で振り向き、「あれは、僕の家だよ。」と答えた[5][6][7]
このエピソードは、事あるごとに大槻が笑い話として披露しており、筋肉少女帯にまつわる有名なエピソードの一つとなっている。

DVD

  • 内田雄一郎 ベーシック・ベース・セミナー (2006年8月、アトス・インターナショナル)

出典・脚注

  1. ^ 「ベース・マガジン」1993年7月号 vol.39 (リットーミュージック
  2. ^ 「ベース・マガジン」1995年12月号
  3. ^ 真夜中のハーリー&レイス」 (アール・エフ・ラジオ日本、2013年6月5日放送)
  4. ^ MacPeople」1996年7月号
  5. ^ ライブDVD 『筋少祭りだ!90分
  6. ^ 大槻ケンヂ 『のほほん雑記帳』(角川文庫) P.151-152
  7. ^ 人間椅子倶楽部」 第29回 (青森朝日放送、1998年)

外部リンク