八王子医療刑務所
八王子医療刑務所(はちおうじいりょうけいむしょ)は、かつて存在した法務省矯正局の東京矯正管区に属する刑務所。全国4箇所の医療刑務所のうちのひとつであった。通称「八刑(はちけい、はっけい)」。2018年1月に東京都昭島市に国際法務総合センター として、八王子少年鑑別所・府中市の関東医療少年院・相模原市中央区の神奈川医療少年院を、2017年(平成29年)11月[1]に統合移転し閉所した。跡地は、「八王子駅南口集いの拠点」として整備される予定である。
所在地
収容分類級
「収容分類級」も参照
- M級
- P級
- MW級
- PW級
身体や精神に障害のあるものを収容する。
- A級
- W級
犯罪傾向の進んでいない健康な男女も収容する。
収容定員
- 433人
沿革
- 1878年(明治11年)八王子監獄署として設立。11月、神奈川県監獄本署監獄八王子支署と改称する。
- 1893年(明治26年)4月1日南多摩郡が東京府に編入、警視庁の所管となる。
- 1893年(明治26年)焼失し現在地に移転。
- 1927年(昭和2年)八王子少年刑務所に改称。
- 1951年(昭和26年)福岡県の城野医療刑務所(現北九州医療刑務所)と同様に当時としては2つしかない医療刑務所となった。
- 1981年(昭和56年)施設を改修。
- 2018年(平成30年)昭島市の国際法務総合センターへ機能を移転[2]し閉所した。跡地は、「八王子駅南口集いの拠点」として整備される予定[3]である。
組織
所長の下に3部を持つ3部制である。
- 総務部(庶務課、会計課、用度課)
- 処遇部(処遇担当、企画担当)
- 医務部(保健課、医療第一課、医療第二課、医療第三課、看護課)
外観・設備
特記事項
- 精神障害のある受刑者のための作業療法として紙細工、園芸等を実施していた。
- 職員の教育訓練のための准看護師養成所が設けられていた。
- 全国に4箇所ある医療刑務所の中で、唯一、受刑者に対して終末期ケアを行なっていた[4]。
著名な受刑者
- 平沢貞通:画家、帝銀事件の確定死刑囚。再審請求中に死去
- 奥西勝:名張毒ぶどう酒事件の確定死刑囚。再審請求中に死去
- 重信房子:元日本赤軍リーダー。2022年に出所した。
- 丸岡修:元日本赤軍メンバー。収監中に死去
- 横井英樹:実業家(ホテルニュージャパン火災で実刑判決)。出所後に死去
- 見沢知廉:著書『囚人狂時代』で刑務所の様子を描いている。
受刑者ではないが、永山則夫は1974年に数ヶ月にわたって鑑定留置(精神鑑定のための留置)された。
脚注
出典
- ^ 「昭島に法務総合センター 落成式 医療刑務所など集約」『読売新聞』朝刊2017年11月28日(東京面)
- ^ “国際法務総合センターを整備 法務省”. 建設業界ニュース東京版 (建通新聞社). (2007年9月11日). オリジナルの2010年12月15日時点におけるアーカイブ。
- ^ “八王子駅南口集いの拠点整備|八王子市公式ホームページ”. www.city.hachioji.tokyo.jp. 2019年2月18日閲覧。
- ^ “「終末期ケア」で更生を=重症受刑者に実施—医師不足や世論反発課題・医療刑務所”. ウォール・ストリート・ジャーナル. 時事通信社. (2013年6月15日). オリジナルの2013年6月25日時点におけるアーカイブ。 2013年6月15日閲覧。
参考文献
- 沿革については八王子辞典の会『八王子辞典』かたくら書店、2001年。ISBN 4-906237-78-9。
外部リンク
座標: 北緯35度38分58.6秒 東経139度20分8.9秒 / 北緯35.649611度 東経139.335806度