保福寺 (松本市)

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保福寺
保福寺本堂
所在地 長野県松本市保福寺町727-4
山号 永安山
宗派 曹洞宗
本尊 千手観音立像
開基 伝・蘭渓道隆
中興年 1629年寛永6年)
中興 光山宗岷
文化財 千手観音立像(松本市重要文化財)
法人番号 4100005006680 ウィキデータを編集
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保福寺(ほふくじ)は、長野県松本市保福寺町(ほふくじまち)にある寺院で、山号は永安山。

概要

古くは真言宗であったが、文亀2年(1502年)以後は曹洞宗寺院。山門をくぐり急な石段を登ると山号本堂がある。本堂への参道脇に六体の地蔵立像がある。蘭渓道隆によって創建され、鎌倉建長寺の大覚禅師によって中興された。

山中高所の寺院

保福寺の六地蔵。高く急な石段を登ると、右手にある

平安時代天台宗・真言宗の寺院は山中に建立されることが一般的であったと見られ、奈良時代末期から畿内に登場し始めたが、平安時代に入ると地方にも広がっていった。こうした山中の寺は、後世に山腹・山麓に下りて造り直されたものが多く、保福寺もそうした伝承を持つ。

中信地方で、山中から移転したという伝承を持つ寺院として、他には牛伏寺(松本市内田)、若沢寺(松本市波田)、海岸寺(松本市山辺)、放光寺(松本市蟻ヶ崎)、神宮寺(松本市浅間温泉)、光輪寺(朝日村西洗馬)、安養寺(筑北村松場)、福満寺(麻績村)、盛蓮寺(大町市社)がある[1]

文化財

木造千手観音立像が、松本市重要文化財に指定されている。同仏像は鎌倉時代に製作された四十二の千手観音像で、桧材を用いた寄木造りで内刳(うちくり)を施してある。

建築物

境内の建築物としては、仁王門1759年の建築で最も古い。1883年明治16年)に火災に遭ったため、本堂庫裡鐘楼などは、それ以降の建築である[2]

保福寺の写真画像

『信濃奇勝録』

1834年天保5年)2月完成(1886年明治19年)出版)の『信濃奇勝録』には、次の記述がある。「埴原村金峯山保福寺庭に古松あり寛政二年冷泉為泰卿銘して重玉といふ」

保福寺道

寺の前を通る保福寺道(東山道)は、近世までは重要な街道であり、保福寺宿は中世には宿場町として機能していた[3]。松本方面から保福寺峠を越え、上田北国街道に合流し、さらに追分宿中山道に合流し、江戸へと至る幹線道であった。松本藩主が参勤交代の際にはこの道を利用するので、保福寺口にあった番所は藩内一の規模の番所であった。

アクセス

アルピコ交通バスに、四賀線(保福寺下町~刈谷原)、保福寺線(明科駅~保福寺下町)がある他には、松本市営バス(保福寺下町~化石館~四賀支所前~会田~赤松館前~会吉車庫)がある。

周辺

脚注

  1. ^ あずさ書店編集部『幻の大寺院 若沢寺を読みとく』あずさ書店、2010年9月、ISBN9784900354678。16ページ
  2. ^ 『松本まるごと博物館 ガイドブック』松本市立博物館、108ページ
  3. ^ 『松本まるごと博物館 ガイドブック』松本市立博物館、108ページ

外部リンク

参考文献