住吉郡
郡域
1897年(明治12年)に行政区画として発足した当時の郡域は、概ね下記の区域にあたる[1]。
江戸時代に大和川が現在の位置に付け替えられた後も、1871年に国境が大和川に変更されるまでは現在の堺市域北部も住吉郡に含まれており(大和川参照)、和泉国との国境は付け替え以前と同じ堺市堺区の大小路であった(堺とは、摂津国と和泉国の境界という意味で、国境変更まで旧市街の大小路以北が摂津、以南は和泉に属していた。大小路以北の総氏神は住吉大社で、以南の総氏神は大鳥大社である)。堺市北部は和泉国の大鳥郡に移された。
歴史
古代
平安時代末期、隣接する百済郡が住吉郡に編入された。室町時代には東成郡・西成郡と合わせて欠郡(かけのこおり)と呼ばれ、分郡守護が置かれた。
式内社
神名帳 | 比定社 | 集成 | |||||
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社名 | 読み | 格 | 付記 | 社名 | 所在地 | 備考 | |
住吉郡 22座(大10座・小12座) | |||||||
住吉坐神社 四座 | スミヨシノ- スミノエニマス |
並名神大 | 月次相嘗新嘗 | 住吉大社 | 大阪府大阪市住吉区住吉 | 摂津国一宮 | [1] |
大依羅神社 四座 | オホヨサミノ | 並名神大 | 月次相嘗新嘗 | 大依羅神社 | 大阪府大阪市住吉区庭井 | [2] | |
草津大歳神社 | クサツオホトシノ | 小 | 鍬靫 | 合祀:大依羅神社 | 大阪府大阪市住吉区庭井 | ||
(論)大歳社 | 大阪府大阪市住吉区墨江西 | 住吉大社境外末社 | |||||
中臣須牟地神社 | ナカトミスムチノ | 大 | 月次新嘗 | 中臣須牟地神社 | 大阪府大阪市東住吉区住道矢田 | [3] | |
神須牟地神社 | カムスムチノ | 小 | 鍬靫 | 神須牟地神社 | 大阪府大阪市住吉区長居西 | ||
楯原神社 | タテハラノ | 小 | 式内楯原神社 | 大阪府大阪市平野区喜連 | |||
須牟地曽祢神社 | スムチソネノ | 小 | 合祀:金岡神社 | 大阪府堺市北区金岡町 | |||
止杼侶支比売命神社 | トトロキ- | 小 | 止止呂支比売命神社 | 大阪府大阪市住吉区沢之町 | |||
赤留比売命神社 | アカルヒメノ- | 小 | 赤留比売命神社 | 大阪府大阪市平野区平野東 | 杭全神社飛地境内社 | ||
天水分豊浦命神社 | -ミコマリトヨウラノ- アメミツワケトヨワノ- |
小 | 天水分豊浦命神社 | 大阪府大阪市住吉区沢之町 | 止止呂支比売命神社境内末社 | ||
努能太比売命神社 | ヌノタヒメノ- | 小 | 合祀:大依羅神社 | 大阪府大阪市住吉区庭井 | |||
大海神社 二座 | オホワタツミ | 小 | 元名津守安人神 | 大海神社 | 大阪府大阪市住吉区住吉 | 住吉大社境内摂社 | |
多米神社 | タメノ | 小 | 種貸社 | 大阪府大阪市住吉区住吉 | 住吉大社境内末社 | ||
船玉神社 | フナダマノ | 小 | 船玉神社 | 大阪府大阪市住吉区住吉 | 住吉大社境内摂社 | ||
生根神社 | イクネノ | 大 | 月次新嘗 | 生根神社 | 大阪府大阪市住吉区住吉 | [4] | |
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近世以降の沿革
知行 | 村数 | 村名 | |
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幕府領 | 幕府領[3] | 26村 | 松原新田、●湯谷島村、鷹合村、富田新田、砂子村、北田辺村、南田辺村、加賀屋新田、村上新田、庭井村、北島新田、柴谷新田、嬰木新田、駒井新田、奥村[4]、○船堂村、大豆塚村[5]、浅香山村[6]、弥三次郎新田、南島新田、西万屋新田、庭井新田[7]、庭井流作新田[7]、花田新田[8]、浅香山流作新田[6]、万屋新田[9] |
旗本領 | 1村 | ○北花田村[10] | |
藩領 | 相模小田原藩 | 7村 | ●桑津村、我孫子村、杉本村、山之内村、寺岡村、●住吉村、前堀村 |
下総古河藩 | 1町 2村 |
平野郷町、猿山新田、堀村 | |
摂津高槻藩 | 1村 | ●七道領 | |
幕府領・藩領 | 幕府領・古河藩 | 1村 | 喜連村 |
幕府領・高槻藩 | 1村 | 苅田村 | |
旗本領・小田原藩 | 1村 | ●遠里小野村[11] | |
その他 | 住吉大社領 | 11村 | 沢口村、殿辻村、千躰村、青蓮寺村、坂之井村、新町村、大領村、浜口村、鳥井村、南浜口村、島村 |
- 慶応4年
- 明治2年
- 明治4年
- 明治5年(1872年) - 西成郡庄左衛門新田・桜井新田の所属郡が本郡に変更。(1町40村)
- 明治12年(1879年)
- 明治14年(1881年)1月6日 - 郡役所が東成郡天王寺村の東成郡役所に統合。東成郡役所が改称して「東成住吉郡役所」となる。
- 明治15年(1882年)(2町44村)
- 駒井新田および加賀屋新田の一部が合併して南加賀屋新田となる。加賀屋新田の残部が北加賀屋新田となる。
- 住吉大社の境内地より長峡町が起立。
- 明治16年(1883年)(2町40村)
- 杉本村の一部が分立して杉本新田となる。
- 青蓮寺村・坂之井村・新町村・大領村・鳥井村が合併して上住吉村となる。
- 富田新田が湯谷島村に合併。
- 明治22年(1889年)4月1日 - 町村制の施行により、下記の町村が発足。全域が現・大阪市。(2町8村)
- 平野郷町(単独町制[13]。現・平野区)
- 喜連村(単独村制。現・平野区)
- 北百済村 ← 新在家村、今在家村、今林村、桑津村(現・東住吉区)
- 南百済村 ← 湯谷島村、中野村、鷹合村、砂子村(現・東住吉区)
- 田辺村 ← 南田辺村、北田辺村、猿山新田、松原新田(現・東住吉区)
- 依羅村 ← 我孫子村、堀村、前堀村、寺岡村、苅田村、庭井村、杉本村、杉本新田、山之内村(現・住吉区)
- 墨江村 ← 殿辻村、沢口村、遠里小野村、千躰村、上住吉村、長峡町、南浜口村(現・住吉区)、浜口村(現・住吉区、住之江区)、島村(現・住之江区)
- 住吉村(単独村制。現・住吉区)
- 安立町 ← 安立町[14]、七道領(現・住之江区)
- 敷津村 ← 南加賀屋新田、北加賀屋新田、村上新田、北島新田、柴谷新田、桜井新田、庄左衛門新田、嬰木新田(現・住之江区)
- 明治27年(1894年)10月15日 - 依羅村の一部(寺岡・前堀・堀)が分立して長居村が発足。(2町9村)
- 明治29年(1896年)4月1日 - 郡制の施行のため、「東成住吉郡役所」が管轄する各郡の区域をもって、改めて東成郡が発足。同日住吉郡廃止。
脚注
- ^ 住居表示実施地区の境界は不詳。大阪市では鉄道・街路・河川等を境界に行政区を再編しているため、旧町村と一致しない区域が多い。
- ^ 領主から年貢免除の特権を与えられた土地。
- ^ 下記のほか川上新田が記載されているが、無高であり詳細不明。
- ^ 以下の記載は大鳥郡。
- ^ 「旧高旧領取調帳」には記載なし。
- ^ a b 記載は2村を合わせて○浅香山村・流作共。
- ^ a b 記載は3村を合わせて庭井新田・流作共。
- ^ 記載は《花田村/北花田村/船堂村》立会。
- ^ 記載は東万屋新田。
- ^ 記載は大鳥郡。
- ^ 記載は遠里村。
- ^ 「角川日本地名大辞典」の「大鳥郡」「住吉郡」および各村の項目より。「大阪府」の項目では1868年10月に郡変更されたとあるが、1868年堺県編入、1871年大鳥郡編入と思われる。
- ^ 町内に平野野堂町・平野流町・平野市町・平野背戸口町・平野西脇町・平野泥堂町・平野馬場町が存在。
- ^ 住吉村のうち。本項では町数に数えない。
参考文献
- 角川日本地名大辞典 27 大阪府
- 旧高旧領取調帳データベース
関連項目
先代 ----- |
行政区の変遷 - 1896年 |
次代 東成郡 |