ラスク書簡

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ラスク書簡(ラスクしょかん)とは、第二次世界大戦後、サンフランシスコ講和条約を起草中であったアメリカ合衆国政府大韓民国政府からよせられた日本国領土や、韓国政府が戦後に享受する利益に関する要望書に対し、1951年8月10日、米国が最終決定として回答した文書。当時の米国国務次官補ディーン・ラスクから通達されたことからラスク書簡と呼ばれる。

現在、日本政府と韓国政府の間で竹島(韓国名:独島)の領有権をめぐる対立(竹島問題)があるが、この文書では竹島に対する韓国政府の要望を明確に退けており、日本の主張を裏付ける史料の一つとして考えられている。

1968年当時のディーン・ラスク

要旨

韓国政府から米国政府への要求は大きく分けて以下の3つであった。

  1. 竹島波浪島を日本の放棄領土に加え、それを日本国との平和条約によって放棄とするのではなく、1945年8月9日(注: 日本によるポツダム宣言受諾)の時点で放棄したことにすること。
  2. 在韓日本資産を韓国政府および米軍政庁に移管すること。
  3. マッカーサー・ラインの継続を日本国との平和条約で認めること。

しかし、米国政府はこの書簡の中で、在韓日本資産に関して米軍政庁の処理を認めるように記述を修整することを認めたが、竹島の要求、マッカーサー・ライン継続の要求には同意しなかった。竹島については、日本の1905年以降、島根県の管轄下にあり、韓国からの領土権の主張は過去になされていない、とアメリカが認識している旨を回答している[1]

時代背景と両政府のやりとりの流れ

下記のような時代背景のなか、日本国との平和条約の草案に対し、韓国政府と米国政府の間で以下のようなやり取りがあった。 (各文書の原文については、下記外部リンクのWikisourceを参照。)

(草案)竹島が日本の領土と明記されている
  • 1949年12月29日
    • 連合国が草案(Draft Treaty of Peace with Japan)を作成。その中で日本の領土に竹島を含む、とされた(ChapterII Territorial Clauses, Article 3)。
    • ※以降の草案は日本領土を規定する方式から日本が放棄する領土を規定する方式に変更
  • 1950年6月25日
  • 1951年7月19日(外交文書)
    • 草案に対して、梁裕燦・韓国駐米大使より米国政府に要望書が出される[2]
    • 韓国はこの要望書の中で上記要旨記述の3点の要求を行った。また、この時の米国大使との会談では、それらの島が韓国併合前に大韓帝国の領土であったならば、韓国の領土とすることに問題はない旨の返答を受けた[3]
  • 1951年8月2日(外交文書)
    • 再度韓国大使より要望書が米国政府に提示される。
  • 1951年8月10日(外交文書)
    • 当時の米国国務次官補ディーン・ラスクより、当該書簡が米国政府の最終的な回答として韓国政府に提示される。
  • 1951年9月8日
    • 日本国との平和条約(サンフランシスコ講和条約)調印
  • 1952年1月18日
  • 1952年4月28日
    • 日本国との平和条約が発効
  • 1952年11月27日
    • 駐韓米国大使館が「竹島の地位に関する合衆国の理解はラスク書簡のとおりである」と再度韓国外交部外務省)宛てに通牒を行う。[8][9]
  • 1954年8月15日
    ● 一方的な領海宣言(李承晩ライン)は違法である
    ● 米国政府はサンフランシスコ講和条約において竹島は日本領土であると結論している
    ● この領土問題は国際司法裁判所を通じて解決されることが望まれる
  • 1954年9月25日
    • 日本が韓国に対して国際司法裁判所への付託を提案
  • 1954年10月28日
    • 韓国が日本の国際司法裁判所への付託提案を拒否

ラスク書簡による米国政府の回答

韓国の独立日

韓国政府は1945年8月9日(日本によるポツダム宣言受諾)をもって、日本が朝鮮(竹島も含む)に対する全ての主権を放棄するように要求しているが、それに対する回答は「米国政府はポツダム宣言の受諾をもって全ての主権を日本が放棄したとは思わない」というものだった。

Liancourt Rocks(竹島)の扱い

  • Liancourt Rocks(竹島)は日本の領土である。[1]
上記にもあるように、米国政府はこの岩島は1905年から日本の島根県の管轄下にあり、韓国から自国の領土であるとの主張がなされたことはない、としている。
(現在、米国政府はこの問題に対して「日韓いずれかの立場をとらない」としており、「日本・韓国の二国間問題」として平和的に解決することを要望している[6][リンク切れ]。)

韓国側は、しばしば、2005年3月16日付の駐韓米国大使館の韓国政府に対するプレスリリース(発言)を意思表示したものと持ち出すが、国際社会の不特定多数を相手にしたものではない。そもそも韓国政府、韓国国民を相手に意思表示がされたのである。したがって日本政府として、この意思表示に国際法上の法的拘束を受けることはない。

また、この意思表示は、下記2008年7月30日のホワイトハウスでの記者会見と同じく、両国が領有権を主張する理由において、また紛争解決の手段において、どちらかの一方の立場はとらないということを意味している。

つまり、米国は1952年以来、竹島は日本に領有権があるという認識はしている。しかし、"この領土に関する紛争問題での解決手段に当事者の話合いでもなく、国際司法裁判所の裁定でもなく、米国が日本の主権を回復する立場をとる"ということは、それは軍事行動による主権回復も意味するので、米国はそれはできないと意思表示している。

国際社会の不特定多数を対象に政府の意思表示をすることを目的にした場所で、不特定多数を対象に意思表示する手段でなされた政府の記者会見のほうが、特定の狭い地域で、特定の組織、機関を相手に意思表示することを目的になされた通告、声明より、国際法上は法的拘束力が強いこと(善意の第三者に対して損害を与えることを防止するという国際慣習、原則)は明らかである。

よって、竹島の領有権の帰属そのものについての米国の見解や、その紛争解決の方法についての米国政府の見解は、1952年以来変わっていないということは2008年7月30日のホワイトハウス定例記者会見から明らかである、とするのが国際法上の解釈として重要である。

2008年7月30日夕方のホワイトハウス定例記者会見記録:

MR. WILDER:

Let me be very clear that our policy on this territorial dispute has been firm and consistent since 1952,・・・・・

http://georgewbush-whitehouse.archives.gov/news/releases/2008/07/20080730-13.html

つまり、米国政府は竹島の領有権の帰属に関する見解も、紛争解決の方法についての見解も上記、ラスク書簡やサンフランシスコ講和条約やヴァン・フリート特命報告書以来変わっていないということを意味する。

但し後続する文章で以下記載されており、韓国側の認識としては「領土紛争に対して米国は中立な立場を保ち、この問題については韓国と日本の国交関係の中で解決するべきである」というスタンスを1952年から変えていないという事のみを指し、「サンフランシスコ講和条約で合意された見解を変えていない」という解釈は間違っていると指摘している。

・・・・1952, and that is, we do not take a position on this territorial dispute; that we believe that South Korea and Japan need to work diplomatically to resolve this issue. But it is their issue to resolve.

後続する文章が「, and that is,」で続いている為、1952年から変わらない米国のポリシーとは「竹島領土問題についてアメリカは関わらないので、両国の外交関係で解決しろ」という意味合いが妥当である。

またこの記者会見で日本側が認識する重要性として、「米国が竹島領土問題を認識したのが1952年(即ち1952年1月18日に韓国大統領・李承晩の海洋主権宣言に基づく漁船立入禁止線-李承晩ライン-を宣言)からである」という解釈をもとに、1952年以降に韓国が竹島を実効支配している事実は領土問題を解決する上で考慮されないという意図としても受け取れると解釈している。

マッカーサー・ラインと李承晩ライン

米国政府は、明確に日本国との平和条約以後に効力を持たない、と回答しつつ、韓国政府は平和条約第9条の規定(日本は希望する連合国と速やかに漁業協定の交渉をしなくてはならない)の利益をうけることができる、として、戦後の日本・韓国間の漁業活動区域についてはマッカーサー・ラインに拠ることなく、二国間で協議して新たに協定を結ぶべき、としている。
しかし、韓国の李承晩大統領は日本国との平和条約が発効する直前の1952年1月18日に李承晩ラインを一方的に宣言した。

戦後の個人財産の保障

  • 日本は在日個人財産を保障する必要はない。[8]
米国政府は、日本により在日韓国人の財産は侵されていない、当時は日本国民としての地位を有していたことからすると日本が当該財産について補償する必要はない、と回答している。

米国によるラスク書簡の認識の再通知

サンフランシスコ条約後、日米安保条約に基づく行政協定において1952年7月に竹島を爆撃演習地とすることが日米間で合意されたが[9]、日米に無断で竹島へ調査をしていた韓国人が爆撃に遭遇し韓国政府がアメリカに抗議を行った。1952年12月4日に韓国の書簡の「韓国領の独島」に対して、釜山の米大使館は「アメリカの竹島の地位に関する認識はラスク書簡のとおりである」と韓国外交部に再度通知を行った。[10]しかし、1955年に韓国外交部が作成した「獨島問題概論」では、このラスク書簡に触れた部分を「etc.」でカットして掲載したことが判明している。[11]

ラスク書簡の持つ意味

意味合い

韓国政府による竹島(韓国名:独島)の領有権の主張には以下のようなものがある。

日本国との平和条約の第2条に竹島の記載がないのは、竹島を日本の領土と認めているからではない。
SCAPIN-1033によって画定されたマッカーサー・ラインは現在も有効であり、李承晩ラインは正当である。

しかし、このラスク書簡により、条約第2条の日本の放棄領土に竹島の記載がないのは、米国政府としてはそれが日本の領土と考えていたことが確認できる。また、マッカーサー・ラインは平和条約発効後の日本の漁業操業区域まで規定するものではないとも明記されている[12]

連合国ではない韓国政府は、マッカーサーラインについて定義する権限も執行権もない。

国際法上の位置付け

 ラスク書簡は、ウィーン条約法条約32条に基づきサンフランシスコ講和条約の準備作業としてその解釈の補足的な手段となる。サンフランシスコ講和条約第二条第(a)項で朝鮮の領域を『日本国は、朝鮮の独立を承認して、済州島巨文島及び鬱陵島を含む朝鮮に対するすべての権利、権原及び請求権を放棄する』としており、本条項について日韓政府は以下のように解釈している [13] [14] [15]

  • 日本政府:米国は竹島を韓国領とする条約の修正要求を拒否しており、平和条約において日本領であることが肯定された
  • 韓国政府:独島が鬱陵島の属島として鬱陵島本島とともに韓国領土として承認されたと解釈される

条約はウィーン条約法条約31条により用語の通常の意味において誠実に解釈されなければならず、第二条(a)項に示される『朝鮮』若しくは『鬱稜島』と呼ばれた地理的範囲に竹島が含まれているかどうかが争点となる。しかし、竹島が朝鮮の領土であったことも韓国併合後に朝鮮総督府の行政区域に含まれたこともないことから、日本が放棄した『朝鮮』若しくは『鬱稜島』の範囲に竹島は含まれないと解釈される。もし、鬱稜島から90km離れた竹島を朝鮮領と認める意図が連合国にあったのであれば、条約中に明記する必要があった [16]。 この日本の放棄領土に竹島は含まれないとの解釈は、条約草案の改定経緯、竹島を日本領として韓国の要求を拒否したラスク書簡、日米行政協定に基づく演習場指定といった条約解釈の補足手段からも確認できる [17] [18] [19]

なお、韓国は、ラスク書簡にもかかわらず第二条の領土条項が例示的な列挙であり放棄領土に竹島が含まれるという解釈を棄てていない。しかし、カタール・バーレン事件の判例で国際司法裁判所は宗主国である英国の決定に拘束力を認めたことから、連合国を主導したアメリカのラスク書簡での判断は極めて重要な意味を持ち、拘束力を有するとされる可能性が高い。このため、韓国は国際司法裁判所での解決に一層消極的になるものと思われる[20]

なお、内藤正中など一部でラスク書簡が日本の情報のみを根拠にしているから効力がないとする主張[21]がみられるが、米側は書簡作成にあたり、ワシントン中の全ての情報("tried all resources in Washington")、及び、駐米韓国大使館への調査も行ったことが明らかとなっている[22] [23]

関連項目

脚注

  1. ^ a b "As regards the islands of Dokdo, otherwise known as Takeshima or Liancourt Rocks never treated as part of Korea and, since about 1905, has been under the jurisdiction of the Oki Islands Branch Office of Shimane Prefecture of Japan. The Island does not appear ever before to have been claimed by Korea."(ラスク書簡2ページ目2行目-7行目)
  2. ^ United States Department of State (1951) (英語). Foreign relations of the United States, 1951. Asia and the Pacific (in two parts). Volume VI, Part 1. pp. p. 1206. http://digicoll.library.wisc.edu/cgi-bin/FRUS/FRUS-idx?type=goto&id=FRUS.FRUS1951v06p1&page=1206 
  3. ^ United States Department of State (1951) (英語). Foreign relations of the United States, 1951. Asia and the Pacific (in two parts). Volume VI, Part 1. pp. pp. 1202-1206. http://digicoll.library.wisc.edu/cgi-bin/FRUS/FRUS-idx?type=goto&id=FRUS.FRUS1951v06p1&page=1202 
  4. ^ III. Korean Problems With Other Asian Nations. A. Japan.
    1. Fisheries.
    The position of the Republic of Korea Government has been to insist on the recognition of the so-called "Peace Line." The United States Government has consistently taken the position that the unilateral proclamation of sovereignty over the seas is illegal and that the fisheries dispute between Japan and Korea should be settled on the basis of a fisheries conservation agreement that would protect the interests of both countries.
    4. Ownership of Dokto Island.
    When the Treaty of Peace with Japan was being drafted, the Republic of Korea asserted its claims to Dokto but the United States concluded that they remained under Japanese sovereignty and the Island was not included among the Islands that Japan released from its ownership under the Peace Treaty. The Republic of Korea has been confidentially informed of the United States position regarding the islands but our position has not been made public. Though the United States considers that the islands are Japanese territory, we have declined to interfere in the dispute. Our position has been that the dispute might properly be referred to the International Court of Justice and this suggestion has been informally conveyed to the Republic of Korea.[1]
  5. ^ "The United States Government does not feel that the Treaty should adopt the theory that Japan's acceptance of the Potsdam Declaration on August 9, 1945 constituted a formal or final renunciation of sovereignty by Japan over the areas dealt with in the Declaration."(1ページ目12行目-2ページ目2行目)
  6. ^ U.S. policy on the Dokdo/Takeshima Island issue has been and continues to be that the United States does not take a position on either Korea's claim or Japan's claim to the island. Our hope is that the two countries will resolve the issue amicably. 在韓大使館米国発表
  7. ^ "however, that the so-called MacArthur line will stand until the treaty comes into force"(3ページ目8行目-10行目)
  8. ^ "there would seem to be no necessity to oblige Japan to return the property of persons in Japan of Korean origin since such property was not sequestered or Otherwise interfered with by the Japanese Government during the war. In view of the fact that such persons had the status of Japanese nationals it would not soon appropriate that they obtain compensation for damage to their property as a result of the war."(3ページ目14行目-4ページ目4行目)
  9. ^ [2]
  10. ^ The Embassy has taken note of the statement contained in the Ministry's Note that "Dokdo Island(Liancourt Rocks)...is a part of the territory of the Republic of Korea". The United States Government's understanding of the territorial status of this islands was stated in Assistant Secretary of State Dean Rusk's note to the Korean Ambassador in Washington dated August 10, 1951.[3][4]
  11. ^ [5][6]
  12. ^ 日本国外務省HP内 サンフランシスコ平和条約における竹島の扱い 1.概説[7]
  13. ^ 塚本 孝『平成20年度「竹島を学ぶ」講座第5回 配布資料』(PDF)2008年10月9日、pp. 1.頁http://www.pref.shimane.lg.jp/soumu/web-takeshima/H20kouza.data/H20kouza-tsukamoto3.pdf2008年11月17日閲覧 
  14. ^ 外務省『サンフランシスコ平和条約における竹島の扱い』2008年10月26日http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/takeshima/g_sfjoyaku.html2008年11月17日閲覧 
  15. ^ 塚本 孝「竹島領有権をめぐる日韓両国政府の見解 」『レファレンス』第617号、国立国会図書館調査及び立法考査局、2002年6月、pp. 64.。 
  16. ^ 芹田 健太郎『日本の領土』中央公論新社、2002年、pp. 159.頁。ISBN 9784120032813。"鬱稜島から90km離れた孤島を朝鮮領と認める意図があったのであれば、朝鮮本土からやや離れている巨文島が条約中に明記されたように、条約中に明記をしなければならないであろう。"。 
  17. ^ 皆川 洸「竹島紛争と国際判例」『国際法研究』有斐閣、1985年、pp. 229-230.頁。ISBN 9784641045682。"韓国側がこの解釈を維持するのであれば、この一方的解釈が平和条約の起草者によって採用され、鬱稜島の表現を用いたときに、とくに竹島をそれに包含せしめる意味をもたせて用いたのであることを主張者の責任において立証すべきである。この立証がなされないかぎり、expressio unius est exclusio alteriusによって竹島は平和条約二条の中に包含されていないと解釈しなければならなぬ。"。 
  18. ^ 濱田 太郎「竹島(独島)紛争の再検討-竹島(独島)紛争と国際法、国際政治-(三・完)」『法学研究論集』第8号、明治大学大学院法学研究科、1997年、pp. 111-113.。 
  19. ^ 塚本 孝『国際法から見た竹島問題』(PDF)2008年10月26日、pp. 13-15.頁http://www.pref.shimane.lg.jp/soumu/web-takeshima/H20kouza.data/H20kouza-tsukamoto2.pdf2008年11月17日閲覧 
  20. ^ 芹田 健太郎「日韓間領土問題の大胆な打開策」『中央公論』第8号、中央公論新社、2006年11月、pp. 273-274.。 
  21. ^ 内藤 正中『竹島=独島問題』、pp. 52.頁。 
  22. ^ Memorandam by Mr. Robert A. Fearey and Mr. Boggs on August 3, 1951
  23. ^ 塚本 孝「平和条約と竹島(再論) 」『レファレンス』第518号、国立国会図書館調査及び立法考査局、1994年3月、pp. 64.。 

外部リンク

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