マヌエル・アルムニア
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名前 | ||||||
本名 | Manuel Almunia Rivero | |||||
カタカナ | マヌエル・アルムニア・リベロ | |||||
ラテン文字 | Manuel ALMUNIA | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 |
スペイン イングランド | |||||
生年月日 | 1977年5月19日(46歳) | |||||
出身地 | パンプローナ | |||||
身長 | 193cm | |||||
体重 | 86kg | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | GK | |||||
利き足 | 右足 | |||||
ユース | ||||||
オブレナ | ||||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
1995-1999 | オサスナB | 46 | (0) | |||
1999-2000 | オサスナ | 0 | (0) | |||
1999-2000 | → カルタゴノバ (loan) | 3 | (0) | |||
2000-2001 | サバデル | 29 | (0) | |||
2001-2004 | セルタ | 0 | (0) | |||
2001-2002 | → エイバル (loan) | 35 | (0) | |||
2002-2003 | → レクレアティーボ (loan) | 2 | (0) | |||
2003-2004 | → アルバセテ (loan) | 24 | (0) | |||
2004-2012 | アーセナル | 109 | (0) | |||
2011 | → ウェストハム (loan) | 4 | (0) | |||
2012-2014 | ワトフォード | 76 | (0) | |||
1. 国内リーグ戦に限る。2014年11月2日現在。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
マヌエル・アルムニア(Manuel Almunia Rivero, 1977年5月19日 - )は、スペイン・パンプローナ出身の元サッカー選手。現役時代のポジションはゴールキーパー。
経歴
リーガ・エスパニョーラ・セグンダB(3部に相当)のCAオサスナBでキャリアをスタート。2001年、セルタ・デ・ビーゴに移籍するものの、レンタル生活を余儀なくされた。2003-2004シーズンにはレンタル先のアルバセテBPの残留に貢献した姿がアーセン・ベンゲルの目に留まり[要出典]、アーセナルFCへ移籍した。
2003-2004シーズンは先発出場の機会もいくらかあったが、マンチェスター・ユナイテッドFC戦での4失点以降、リーグでの出場機会はなかった。
2005-2006シーズン、UEFAチャンピオンズリーグ決勝では、先発出場していたイェンス・レーマンのレッドカードによる一発退場後に出場し、大会準優勝を経験した。
2006-2007シーズンの序盤、レーマンの負傷離脱もありリーグ戦で先発することがあった他、フットボールリーグカップなどカップ戦の試合に出場した。
2007-2008シーズンは正ゴールキーパーとして試合に出場した。レーマンはVfBシュトゥットガルトへと移籍、翌2008-2009年度シーズンより背番号1をつけてプレーした。
2008-2009シーズンはキャプテンマークを巻く機会が増えた。2009年4月30日のUEFAチャンピオンズリーグ準決勝のマンチェスター・ユナイテッドFC戦。オールド・トラッフォードで相手に押し込まれる展開の中、カルロス・テベス、クリスティアーノ・ロナウド、ウェイン・ルーニーらの至近距離からのシュートをことごとくブロックした。チームは0-1で敗れたが、アルムニア自身はプレーヤー・オブ・ザ・マッチに選ばれ、マンチェスター・ユナイテッド監督のアレックス・ファーガソンは「アルムニアがいなければもう3、4点は取れたはずだった」とコメントした。[要出典]
2014年8月にカリアリ・カルチョへの加入が目前に迫ったが、心臓疾患が発覚したため現役引退を表明した[1]。
所属クラブ
- → カルタゴノバFC (loan) 1999-2000
- → SDエイバル (loan) 2001-2002
- → レクレアティーボ・ウェルバ (loan) 2002-2003
- → アルバセテBP (loan) 2003-2004
- アーセナルFC 2004-2012
- → ウェストハム・ユナイテッドFC (loan) 2011
- ワトフォードFC 2012-2014
脚注
- ^ 元アーセナルGKアルムニアが引退…カリアリ加入目前で心疾患発覚 サッカーキング 2014年8月28日