プロドライブ

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プロドライブProdrive )は、イギリスレーシングカーコンストラクターであり、レーシングチームの運営企業。代表はデイヴィッド・リチャーズ

日本では富士重工業(スバル)及びスバルテクニカインターナショナル(STI)と組み、世界ラリー選手権(WRC)に参戦するスバル・インプレッサの開発及びチーム運営を行っていたことで有名。またタイヤメーカーブリヂストン系の自動車用品商社、ブリヂストンFVSによりプロドライブブランドのタイヤホイールサスペンションなどの製品を販売している。

歴史

かつてはアリ・バタネンナビゲーターも務め、1981年にはバタネンと共にWRCのシリーズチャンピオンも獲得したこともあるデビッド・リチャーズが、1984年にイギリス・オックスフォード州に設立。当初は4人だけの小さなワークショップだった。

ツーリングカー

1987年BMW・M3イギリスツーリングカー選手権(BTCC)に参戦を開始し、1988年に総合のシリーズチャンピオン、1989年1990年にもクラスチャンピオンを獲得した。

ラリー

ラリーについては、元々リチャーズがラリー畑出身という関係もあって、設立当初よりポルシェBMWなどのマシンを独自にチューニングして参戦を行っていた。

1990年にはスバルと共同でWRCへの参戦を開始。当初はレガシィを用い、マルク・アレンやアリ・バタネン、コリン・マクレーをドライバーに起用して参戦し、1993年にはマクレーがスバルにWRC初優勝をもたらした。同年のシーズン途中からはインプレッサに車種を交代し、マクレーやカルロス・サインツリチャード・バーンズトミ・マキネンペター・ソルベルグらトップドライバーを起用し、2008年までWRCの主力チームの一つとして活躍していた。

WRCにおいてはスバルが2008年限りでワークス活動からの撤退を表明したが、その後もプロドライブ単独でプライベーターとしての活動を継続し、2009年にはマーカス・グロンホルムがスポット参戦ながら同チームから現役復帰した。

2011年からはBMWと組み、ミニをベースマシンとしてWRCに本格復帰[1]ダニエル・ソルドをエースドライバーに立て、2012年ラリー・モンテカルロでは2位に入るなど徐々に成績を上げていた。しかし一方で活動資金不足に悩まされ、セカンドドライバーを固定できないなど多くの問題を抱えた結果、同年2月にはBMWとの関係が決裂しワークスとしての活動を終了、以後はプライベーターに戻ることになった[2]。ただしBMWとの関係が完全に切れたわけでもないようで、同年11月には主にミニWRC用を想定した1.6Lターボエンジンを共同開発していることが明らかになっている[3]

GTカー

2001年にはフェラーリ・550マラネロFIA GT選手権及びアメリカン・ル・マン・シリーズ(ALMS)への参戦を開始。以後FIA GT選手権及びALMSのGTSクラスでチャンピオン争いの常連となった。その後2004年にプロドライブはアストンマーティンと提携し、アストンマーティン・DB9をベースとした「DBR9」で翌2005年よりFIA GT選手権やル・マン24時間レースに参戦している。

その他

2007年にはデビッド・リチャーズらを中心とするグループがアストンマーティンを買収し(ただしプロドライブはこの買収には関わっていない)、アストンマーティンとの関係をより強固なものとしている。

2006年にはスバル・R1をベースとしたオリジナルスポーツカーとしてプロドライブ・P2を製作したが、これは試作だけに留まっている。

F1との関わり

F1との直接的な関わりは、1998年にデビッド・リチャーズがフラビオ・ブリアトーレの後任としてベネトン・フォーミュラのマネージングディレクターに招聘されたのが最初。同年末にリチャーズはベネトンから解雇されたため一旦F1の世界から離れるが、その後2001年末にリチャーズはB・A・Rのチームマネージャーに就任し、以後2004年のシーズン終了までB・A・Rの運営に携わった。

2006年には、国際自動車連盟2008年からF1に新規参戦するチームのエントリーを募ったことに対しエントリーの意思を表明し、唯一の新規エントリーチームとして2008年からの参戦を認められた。しかしその後、いわゆるコンコルド協定の改定を巡ってカスタマーシャシーの供給問題等が発生し2008年からのF1参戦が困難となったため、リチャーズはエントリー開始を2009年に先送りしたものの、その後も状況は改善せず、結局事実上の参戦断念に追い込まれた。

2009年4月に2010年からのアストンマーティンブランドでのF1参戦計画があること表明した。 これは2010年導入予定の「予算上限3000万ポンド(約43億円)規制」によって各チームの差が少なくなり、プライベーターでも勝てる可能性があると判断したためである。デビッド・リチャーズは「F1参入には最高なタイミングだ」と語っている。しかし、F1参戦は予算規制の導入される事が前提条件であるとも発表している。

脚注

  1. ^ 詳報:BMW、プロドライブとWRCへ! - RALLYPLUS.NET・2010年7月27日
  2. ^ プロドライブ、プライベーターに降格 - オートスポーツ・2012年2月7日
  3. ^ プロドライブがMINIのラリー用エンジンを開発 - RALLYPLUS.NET・2012年11月3日

外部リンク