フォード・GT40

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フォード・GT40とは、アメリカフォード・モーターが開発した、スポーツプロトタイプレーシングカーのこと。

名前の由来は車高が40インチ(1016mm)であることから。

フォード・GT40
ガルフカラーのGT40
(2004年 グッドウッド、フェスティバル・オブ・スピード)
P 1015 リア
概要
販売期間 1964年 - 1969年
ボディ
乗車定員 2人
ボディタイプ 2ドア クーペ
駆動方式 MR
パワートレイン
エンジン 4.2L V8
4.7L V8
4.9L V8
7.0L V8
最高出力 500ps/6500rpm
最大トルク 60.00kgfm/5000rpm
変速機 5速MT
車両寸法
ホイールベース 2,430mm
全長 4,293mm
全幅 1,778mm
全高 1,016mm
車両重量 908kg
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開発の経緯

1960年代、フォードは、企業イメージ向上のためには、モータースポーツの分野で活躍することが有効であると結論付けた。そして、その方法としてまず挙げられたのが、当時のル・マン24時間レースでは敵なしで、その地位を確立していたスクーデリア・フェラーリを買収することだった。これは最も手っ取り早く簡単な方法であったが、結局、交渉は決裂し、失敗に終わった。

そこでフォードは、自社のエンジンを供給しているイギリスローラ・カーズと提携し、ローラ・マーク6(ローラ・GT)をベースとして、シャーシ製作にアビー・パネルズ社、ボディ設計にスペシャライズドモールディング社を抜擢し、新たにイギリスに設立されたフォード・アドバンスド・ビークルズ社の製作により、新たなレーシングカーを開発する計画を立てた。これが、GT40の開発の始まりである。

Ford GT40エンジン

レース活動

GT-40 Mk. II
1966年 デイトナ24時間優勝車
フォードに国際レース初の栄冠をもたらした、シャーシナンバー P 1015
ドライバー:ケン・マイルズロイド・ラビー英語版
(2003年 グッドウッド、フェスティバル・オブ・スピードにて)

1964年に「マーク1」が完成。「フォード・GT」という名で発表された。(※FORDは今まで一度もGT40という呼び名では呼んでおらず、GT40という名は発表当時、その車高が40インチという数値に驚いた記者が付けた通称である。)

スチール製モノコックシャーシに、軽量のファイバーボディをかぶせ、エンジンはインディカー用に開発されていた、アルミ製の4.7LV8OHV(350ps)をミッドシップに搭載。空力などの微調整を行い最終的な性能は最高時速330km/hというものだった。

1964年ニュルブルクリンク1000kmがGT40のデビュー戦となったが、結果はリタイヤ。続いてル・マン24時間レースに3台のマーク1が出走。ラップレコードとル・マン初の300km/hオーバーを記録するものの、結局全車両リタイヤに終わった。

1965年から、フォード・アドバンスド・ビークルズ社に代わって、フォードのレース部門であるシェルビーがレース活動を担当。一方フォード・アドバンスド・ビークルズ社は、ルマン参戦のためのホモロゲーションモデルの製作を担当することになった。(ロードモデルについては後記参照)その年のル・マンは、4台のワークスマシンが出走。ラップレコードと最高時速記録を更新するものの、その甲斐なくこの年も全車両リタイアに終わった。

そこで、マーク1のシャーシを強化し、加えてエンジンを4.2Lからシェルビー製の7.0Lへ変更し、馬力も475psまでに上げられた「マーク2」が登場。キャブレターウェーバー(現マニエッティ・マレリ)製からホーリー製に変更し、また、ル・マンのレギュレーション変更に伴い、スペアタイアを搭載するためのスペースを確保するため、フロントノーズのデザインが変更された。

1966年のル・マンでは、8台のマーク2がワークスマシンとして、5台のマーク1がプライベーターとして出場し、結果は、ブルース・マクラーレン/クリス・エイモン組が優勝、さらに1-3位をGT40が独占した。

1967年のル・マンでは、さらにアルミハニカム構造のシャーシを採用し、キャブレターを2基に追加。これにより出力が530psに強化されたエンジンを搭載したマーク4で出走。このマシン以前はイギリスで製作されていたが、このマシンはアメリカで製作されたものであった。結果は優勝し、2連覇を達成。このシリーズ終了後、レギュレーションが大きく変更されたためフォードはワークス活動から撤退。マシンはプライベーターに託されることになった。

1968年1969年には同じシャーシナンバー「P1075」のGT40が優勝を果たした。このP1075はGT40に空力面で大きな改良を施したミラージュM1を、フォードを閉め出そうとするレギュレーション変更によって再び本来のGT40に改造し直した車である。GT40のシャーシ強度が証明された瞬間でもあった。P1075は通算11戦6勝を誇り、栄光のGT40とされる。

1970年ポルシェ・917の優勝まで、GT40は4連覇を達成した。

ロードバージョン(マーク3)

ル・マン参戦のためのホモロゲーションモデルが「マーク3」と呼ばれているモデルで、これは市販用にマーク1をデチューンしたものである。

ヘッドライトがレーシングモデルの角型ではなく、丸型に変更されており、冷却機能システムも変更された。レースモデル同様、乗降しやすくするためにルーフは大きくえぐれており、その部分がドアとつながっている(それでも車高が低いせいで、乗降はしづらかったという)。ボディカウルはファイバー製で、フレームの前端後端を軸に大きく開閉するようになっている。

ホイールは、最新のレースモデルがマグネシウムホイールであったのに対し、マーク3では初期のレースモデルと同様のワイヤーホイールに変更されている。サイドウインドウ後方とボディサイドにエンジン冷却用のダクトが設けられ、Aピラーの左右付け根部分に給油口を設けているなど、レースモデルと同様な点も多く見られる。

内装を変更し、さらにラゲッジスペース確保のために、ボディサイズを延長してある。レースモデル同様、右ハンドルとなっており、シフトレバーも右にある。エアクリーナーボックス、マフラーサイレンサーはなく、レースモデルを意識した仕様になっている。

1965年から1971年までに合計31台が作られた。

フォード・GT

GT40を現在の解釈でリメイクしたモデル。フォード・モーター創立100周年を記念して、2003年1月にデトロイドショーで発表、2005年に1500台限定で販売された。詳しくはフォード・GTの項を参照のこと。

関連項目