トンキン湾事件

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トンキン湾事件

マドックスから撮影した3隻のP-4魚雷艇
戦争ベトナム戦争
年月日:1964年8月2日、4日
場所トンキン湾
結果:アメリカ合衆国のベトナム介入拡大
交戦勢力
アメリカ合衆国の旗 アメリカ 北ベトナムの旗 北ベトナム
指導者・指揮官
ジョージ・スティーヴン・モリソン レ・ドゥイ・コアイ
戦力
海上
航空母艦1隻,
駆逐艦1隻
航空機
F-8戦闘機4機
魚雷艇3隻
損害
駆逐艦1隻小破,
航空機1機小破
魚雷艇1隻大破,
魚雷艇2隻中破,
4名死亡,
6名負傷
ベトナム戦争
事件経過を示す図

トンキン湾事件(トンキンわんじけん、: Gulf of Tonkin Incident, ベトナム語Sự kiện Vịnh Bắc Bộ / 事件灣北部)は、1964年8月北ベトナム沖のトンキン湾北ベトナム軍哨戒艇アメリカ海軍駆逐艦に2発の魚雷を発射したとされる事件である。これをきっかけに、アメリカ合衆国政府は本格的にベトナム戦争に介入、北爆を開始した。アメリカ議会上院で88対2、下院で416対0で大統領支持を決議をした。しかし、1971年6月ニューヨーク・タイムズ』が、いわゆる「ペンタゴン・ペーパーズ」を入手、事件はアメリカ合衆国が仕組んだ物だったことを暴露した。

事件の公式経緯

1964年7月31日より、アメリカ海軍駆逐艦マドックスは、トンキン湾で哨戒行動を開始した。マドックスの任務の公式目的は、北ベトナムの沿岸防衛能力に関する情報を得ることにあった。マドックスの他にも同様の任務に当たっているアメリカ海軍艦艇があり、同時期に行われていた南ベトナムコマンド部隊による北ベトナム沿岸への襲撃を支援していた。

8月2日、3隻の北ベトナム魚雷艇が南ベトナム艦艇と間違え、マドックスに対し魚雷と機関銃による攻撃を行った。その攻撃に対してマドックスは直ちに反撃を行い、近くにいた空母タイコンデロガの艦載機の支援も受け、魚雷艇のうち1隻を撃破、他の2隻にも損害を与えた。マドックスは、機関銃弾丸により軽微な損傷を受けただけであったが、駆逐艦ターナー・ジョイと合流し、南ベトナム海域へと撤退した。

8月4日より、マドックスとターナー・ジョイによる北ベトナム沿岸への哨戒行動があらためて開始された。4日夜間にターナー・ジョイは、望遠鏡により北ベトナム軍が攻撃してくることを確認した。その後、約2時間にわたりマドックスとターナー・ジョイは、北ベトナム軍艦艇と思われるレーダー目標に対して発砲した。

なお、後に捏造と判明したのは8月4日の事件であり、北ベトナム側も2日の事件は認め、4日の事件については当初から否定している。また、ジョンソン大統領は8月4日の時点で既に、2日の事件に対する報復として北ベトナムの魚雷艇基地と燃料貯蔵所に対する爆撃を命じていた。

備考

この事件に関係したマドックスは太平洋戦争中の1945年1月に台湾沖で日本海軍の攻撃を受けたことがあり、体当たり攻撃を右側士官室付近に受け、戦死8人、負傷者34人を出している。

参照項目


外部リンク