デヤン・スタンコビッチ

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デヤン・スタンコビッチ
名前
愛称 デキ
ラテン文字 Dejan STANKOVIC
セルビア語 Дејан Станковић
基本情報
国籍 セルビアの旗 セルビア
イタリアの旗 イタリア
生年月日 (1978-09-11) 1978年9月11日(45歳)
出身地 ユーゴスラビア社会主義連邦共和国の旗 ユーゴスラビア セルビア
ベオグラード
身長 181cm
体重 75kg
選手情報
ポジション MF
利き足 右足
ユース
1985-1992 ユーゴスラビアの旗 テレオプティク
1992-1995 ユーゴスラビアの旗 レッドスター・ベオグラード
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1995-1998 ユーゴスラビアの旗 レッドスター・ベオグラード 85 (30)
1998-2004 イタリアの旗 ラツィオ 137 (22)
2004-2013 イタリアの旗 インテル・ミラノ 231 (29)
代表歴2
1998-2013 セルビアの旗 セルビア 103 (15)
監督歴
2014- イタリアの旗 ウディネーゼ (アシスタントコーチ)
1. 国内リーグ戦に限る。2014年11月21日現在。
2. 2014年11月21日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

デヤン・スタンコビッチセルビア語: Дејан Станковић英語: Dejan Stanković1978年9月11日 - )は、セルビア旧ユーゴスラビア)出身の元サッカー選手。元ユーゴスラビアセルビア・モンテネグロセルビア代表。ポジションはミッドフィールダー

来歴

クラブ

レッドスター

1992年レッドスター・ベオグラードのユースに入団。1994年にリーグ最年少記録でデビューを果たすとリーグ3連覇に貢献。1997–98シーズンには19歳にしてキャプテンを任された。

ラツィオ

1998年夏、セリエASSラツィオへ移籍。同年9月13日のピアチェンツアァ戦でセリエA初ゴールを記録。中盤の一角としてロベルト・マンチーニパベル・ネドベドフアン・セバスティアン・ベロンらとプレーし、2年目の1999-2000シーズンにはセリエA優勝を経験。ラツィオでは在籍5シーズン半でリーグ戦137試合に出場し、22ゴールを挙げた。

インテル

2004年1月、インテルへ移籍。移籍金400万ユーロに加えゴラン・パンデフがトレード要員となった。翌2004-05シーズンにはラツィオ時代の同僚のマンチーニが監督に就任。再建を図るチームの一員としてコッパ・イタリアを皮切りにタイトル獲得に貢献し、スクデット6連覇を達成。2009-10シーズンはジョゼ・モウリーニョ監督の下で主要タイトル3冠(チャンピオンズ・リーグ、セリエA、コッパ・イタリアでの優勝)を経験した。 2013年7月6日、インテル退団が決定。

代表

1998年ユーゴスラビア代表に招集され、4月22日韓国戦で初出場。この試合で2得点を挙げた。2ヵ月後のフランスW杯のメンバーにも選出され、ベスト16入りを経験した。

国際情勢の変化により2006 FIFAワールドカップ・予選からセルビア・モンテネグロ代表の一員となる。2006 FIFAワールドカップでは背番号10を背負ったが、グループステージ敗退。

2010 FIFAワールドカップ・ヨーロッパ予選からはセルビア代表となり、キャプテンを任された。予選を突破し、ユーゴスラビア、セルビア・モンテネグロ、セルビア代表と3国の代表としてワールドカップに出場した初めての選手となるも、本大会ではまたしてもグループステージ最下位に終わった。

2011年10月12日、セルビア代表からの引退を表明した[1]

2013年10月11日日本代表との試合を最後に現役を引退した[2]

引退後

2014年7月4日、インテル時代に師事したアンドレア・ストラマッチョーニが監督に就任したウディネーゼ・カルチョのアシスタントコーチに就任した[3]

エピソード

  • 2009年10月17日ジェノアCFC戦で相手キーパーのマルコ・アメリアのミスキックを見逃さず、センターライン付近(ゴールより約54mの位置)からダイレクトでゴールに蹴りこんだ[4]。試合後にこのゴールを振り返って「10年から15年後になっても、子供たちに聞かせられるゴールだ」と語った[5]

所属クラブ

個人成績

三冠を達成したシーズンのスタンコヴィッチ(2009年)
クラブ シーズン リーグ戦 カップ戦 欧州カップ戦 合計
出場 得点 出場 得点 出場 得点 出場 得点
レッドスター・ベオグラード 1994–95 7 1 0 0 7 1
1995–96 24 4 2 0 26 4
1996–97 26 10 5 2 31 12
1997–98 28 15 4 3 32 18
合計 85 30 11 5 96 35
SSラツィオ 1998–99 29 4 5 1 7 4 41 9
1999–00 16 3 4 0 11 2 31 5
2000–01 21 0 2 1 9 0 32 1
2001–02 27 7 4 0 5 1 36 8
2002–03 29 6 2 0 7 0 38 6
2003–04 15 2 4 2 8 0 27 4
合計 137 22 21 4 47 7 205 33
インテルナツィオナーレ・ミラノ 2003–04 14 4 2 0 0 0 16 4
2004-05 31 3 6 0 10 3 47 6
2005-06 23 2 7 2 8 2 38 6
2006–07 34 6 4 0 7 0 45 6
2007–08 21 1 3 0 6 0 30 1
2008–09 31 5 2 0 5 0 38 5
2009–10 29 3 2 0 12 2 43 5
2010–11 26 5 3 1 7 2 36 8
合計 209 29 29 3 55 9 293 41
通算 431 81 50 7 113 21 594 109

タイトル

  • スクデット:6回
    • 1999-2000, 2004-2005,2005-2006,2007-2008,2008-2009,2009-2010

脚注

  1. ^ インテルのスタンコビッチ セルビア代表からの引退を表明”. スポーツナビ (2011年10月13日). 2011年10月25日閲覧。
  2. ^ スタンコビッチ引退試合飾る “おじぎポーズ”で別れ”. スポーツニッポン (2013年10月12日). 2013年10月12日閲覧。
  3. ^ スタンコヴィッチ氏がウディネーゼに入閣「新しい冒険の始まり」”. サッカーキング (2014年7月6日). 2014年11月29日閲覧。
  4. ^ UEFA.com 2009年10月18日
  5. ^ スタンコビッチ:「CLでも勝利を」 goal.com 2009年10月19日
  6. ^ goal.com 2011年4月6日

外部リンク