ジャンルカ・ペッソット
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名前 | ||||||
愛称 | 教授 | |||||
ラテン文字 | Gianluca PESSOTTO | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | イタリア | |||||
生年月日 | 1970年8月11日(53歳) | |||||
出身地 | ファイル:Udine-Stemma.png ウディネ | |||||
身長 | 173cm | |||||
体重 | 67kg | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | DF(SB)・MF(ボランチ) | |||||
代表歴 | ||||||
1996-2002 | イタリア | 22 (0)[1] | ||||
■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
ジャンルカ・ペッソット(Gianluca Pessotto、1970年8月11日 - )は、イタリア・ウディネ出身の元サッカー選手。ポジションはDF・MF。元イタリア代表。
ボランチとサイドバックでプレーできるという柔軟性と堅実な守備が持味の選手。
来歴
1988年にACミランでキャリアをスタートさせるが、出場機会に恵まれず、バレーゼ、マッセーゼ、ボローニャ、ヘラス・ヴェローナ、トリノを渡り歩き、1995年にユヴェントスに移籍する。すると、そのユーティリティ性が重宝され、次第に主力選手へと成長し、1996年にはUEFAチャンピオンズリーグ優勝を経験。イタリア代表でも1996年10月9日のグルジア戦で代表デビューを飾り、1998年フランスW杯でジネディーヌ・ジダンのマンマークを任されるなど監督からの信頼も厚かった。ユヴェントスでジャンルカ・ザンブロッタが左サイドバックにコンバートされてからはバックアッパーとなったが、出場した試合では素晴らしいパフォーマンスを見せ続けている。2005-2006シーズン終了後に現役を引退し、ユヴェントスのチームマネージャーに就任した。
2006年6月26日、トリノのユヴェントス本社3階、15メートルから転落。命に別状はないものの複雑骨折の重傷を負った。うつ病を患っていたとされ、またクラブの八百長疑惑の最中、手にロザリオを握っていたことなどから自殺を図って飛び降りたものとみられる。
所属クラブ歴
- ACミラン 1988-1989
- バレーゼ 1989-1991
- マッセーゼ 1991-1992
- ボローニャ 1992-1993
- ヘラス・ヴェローナ 1993-1994
- トリノ 1994-1995
- ユヴェントス 1995-2006
脚注
- ^ RSSSF. “RSSSFによるイタリア代表の選手の記録”. 2009年2月27日閲覧。
外部リンク
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