シュレスヴィヒ・ホルシュタイン (戦艦)

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Schlesien and Schleswig-Holstein
艦歴
起工: 1905年8月18日
進水: 1906年12月17日
就役: 1908年7月6日
退役: 1945年1月25日
その後: 1945年3月21日閉塞船として自沈。
性能諸元
排水量: 基準:13,200トン 
満載:14,218トン
全長: 127.6m
全幅: 22.2m
吃水: 7.7m
機関: 19,330hp
最大速: 19.1 ノット
航続距離:
乗員: 743名
兵装(竣工時): 40口径28cm連装砲塔2基
40口径17cm砲14基
8.8cm砲22門
45cm(17.7インチ)魚雷発射管6
兵装(1926年): 40口径28cm連装砲塔2基
45口径15cm砲12門
8.8cm砲8門
50cm(19.7インチ)魚雷発射管4基

シュレスヴィヒ・ホルシュタイン(ドイツ語:SMS Schleswig-Holsteinシュレースヴィヒ・ホルシュタイン)は、ドイツ海軍戦艦である[1][注釈 1]。艦名はドイツ北部のシュレースヴィヒ=ホルシュタイン州に因んで命名された。ドイッチュラント級戦艦の一隻[3]。いわゆる前弩級戦艦であり、ドイツ帝国海軍軍艦として第一次世界大戦ユトランド沖海戦にも参加した[4]

ドイツヴァイマル共和政)が諸外国と締結したヴェルサイユ条約により、ヴァイマル共和国軍海軍 (Reichsmarine) でも保有を許された[5]。本艦と姉妹艦シュレジェン (SMS Schlesien) は海軍休日時代に改装を受け[5]、シュレジェン級と分類される場合がある。練習艦として運用されていた[注釈 2]ナチスドイツ再軍備宣言によりドイツ海軍 (Kriegsmarine) 所属となる[注釈 3]第二次世界大戦ではポーランド侵攻で実戦に参加(ヴェステルプラッテ攻防戦)、艦砲射撃をおこなった[8]ヴェーザー演習作戦デンマーク侵攻作戦)に参加した後、練習艦任務にもどる。大戦末期にゴーデンハーフェン[注釈 4]イギリス空軍の空襲を受け大破、放棄された[10]。その後、ソ連軍の侵攻に伴い閉塞船として自沈した[10][注釈 5]

艦歴

シュレスヴィヒ・ホルシュタインは、ドイツ帝国第二次艦隊法により建造されたドイッチュラント級戦艦である[7]。本級はブラウンシュヴァイク級戦艦の改良型であった[11]。ただしイギリスが1906年12月に戦艦ドレッドノート (HMS Dreadnought) を完成させ弩級戦艦時代が始まったので[12]、建造中に第二線級の戦力(前弩級戦艦)になってしまった[13]。本艦はキールゲルマニア造船所で建造され、1905年8月に起工、1906年12月17日に進水、1908年7月6日に就役した[14]

第一次世界大戦においてシュレスヴィヒ・ホルシュタインはユトランド沖海戦に参加している[15][注釈 6]。世界大戦末期には人員不足から宿泊艦となった[13]。その後、ドイツ帝国が革命によって倒れてヴァイマル共和政が樹立し、ヴェルサイユ条約が結ばれる。ヴァイマル共和国軍が保有を許された旧式戦艦は常備6隻と予備2隻であり[注釈 7]、20年後に建造可能となる代艦も主砲口径11インチ以下、排水量1万トン以内という制限を課せられた[18][注釈 8][注釈 9]。 本艦は1926年まで改修作業を行い、三本あった煙突は二本に統合された[5]。また副砲の換装や高角砲の増設などもおこなっている[5]。1926年から1935年まで本艦はヴァイマル共和国海軍 (Reichsmarine) の旗艦であり、名実ともに主力艦であった[注釈 10]

近代化改装後のシュレスヴィヒ=ホルシュタイン

同時代、ヴァイマル共和国はヴェルサイユ条約の規定下でドイッチュラント級装甲艦の建造を開始する[19][注釈 11][注釈 12]。 1933年4月には1番艦の装甲艦ドイッチュラント (Deutschland) が就役した[21]。技術革新により装備が陳腐化したことにより、本艦は1936年に練習艦へ変更された[6]。なおナチスによる権力掌握後、1935年3月の再軍備宣言により[22]ヴァイマル共和国軍 (Reichswehr) はドイツ国防軍 (Wehrmacht) に改変され、共和国海軍 (Reichsmarine) もドイツ海軍 (Kriegsmarine) となった。

第二次世界大戦

ポーランド軍守備隊に艦砲射撃をおこなうシュレスヴィヒ=ホルシュタイン

シュレスヴィヒ=ホルシュタイン(グスタフ・クラインカンプ艦長)はポーランド侵攻作戦の発動に伴い、バルト海に派遣されてドイツ陸軍を支援する任務を与えられた[14]。1939年8月25日、第一次世界大戦で沈んだ巡洋艦マクデブルク (SMS Magdeburg) 追悼式典に参加するという名目で自由都市ダンツィヒに到着し、ポーランド領ヴェステルプラッテに近い水路に停泊した。1939年9月1日午前4時45分、艦はポーランド陸軍の要塞守備隊に向けて砲撃を開始する。このヴェステルプラッテ攻防戦ドイツ語版英語版で本艦が発砲した28センチ砲弾こそ、第二次世界大戦の幕開けであった[23]。艦砲射撃と同時に、本艦より海軍突撃歩兵中隊ウィルヘルム・ヘニクセン中尉)が要塞攻略のために出撃したが、ポーランド軍守備隊の反撃で苦戦している。

9月7日のヴェステルプラッテ要塞陥落後、本艦と応援にきた姉妹艦シュレジェン (DKM Schlesien) はオクシヴィエドイツ語版ポーランド語版レドウォボドイツ語版ポーランド語版グディニャ攻防戦ヘル半島ヘル要塞地帯ヘルの戦い英語版ドイツ語版)など、ダンツィヒ一帯のポーランド軍陣地砲撃にあたった[24]。ポーランド戦役後、両艦とも「老いた役馬年金つきで牧場へ引退するように」港湾用務と練習艦という本来の職務にもどった[24]

1940年4月9日、シュレスヴィヒ・ホルシュタインはヴェーザー演習作戦の一員としてデンマーク侵攻作戦に参加した(ヴェーザー演習作戦、ドイツ軍戦闘序列)。その後再び練習艦に戻ったが、人員不足の為、1940年8月末から警備班など少数の維持要員を残した予備艦となり、対空砲を撤去された状態でしばらくの間ゴーテンハーフェン[注釈 4]に繋留されていた。

1941年1月20日よりバルト海の砕氷艦として再稼働し、雪解けによる砕氷任務の終了後は対空砲を再装備の上、練習艦に復帰した。1942年の冬もバルト海で砕氷艦として使用されたが、1月13日に艦首を触雷により損傷し、ゴーテンハーフェンでの応急処置後、ヴィルヘルムスハーフェンで修理を施された。

1943年3月31日付で本艦は一度退役し、ゴーテンハーフェンで宿泊船として利用されたが、1944年2月に再就役し、練習艦として復帰した。

1944年9月に本艦は対空砲を増設され、ゴーテンハーフェンで浮き砲台として利用された。1944年12月18日、同地がイギリス空軍の空襲を受けた際に三発の爆弾が命中し、水深12mの港内に着底した。その時点で上部は水面上にあった為に兵装は使用可能であったが、12月20日に大火災に見舞われ、艦の機能は失われた。

シュレスヴィヒ・ホルシュタインは1945年1月25日に退役となり、艦を降りた乗組員達はマリーエンブルク周辺の防衛戦に投入され、その多くが戦死した。同年3月21日、港の入口に曳航され、閉塞船として自沈した(閉塞作戦[10]3月27日には、廃船状態になっていたシャルンホルスト級戦艦グナイゼナウ (DKM Gneisenau) が沈んだ本艦の側に曳航されてきて、閉塞船として自沈している[9][注釈 13]。その24時間後、ゴーテンハーフェンはソ連軍によって占領された[9]

末路

第二次世界大戦後、シュレスヴィヒ・ホルシュタインはソ連軍によって引き上げられ、タリンに曳航された後ボロジノ(ロシア語:Бородиноバラヂナー)と改名された。1948年バルト海のオドスムサール島の近くに沈められた。ボロジノはその後も1960年代まで標的艦として使用された。船体の残骸は現在も確認できる。 また、ドレスデンドイツ連邦軍軍事史博物館には、シュレスヴィヒ・ホルシュタインで使用されていた船鐘が保存されている。

出典

  1. ^ 舊戰艦シユレェージェン(一九〇八年竣工)[2] 排水量一三二〇〇噸、時速一八節。一九一六年に改造の結果、一部に武装が施された。
  2. ^ 戰艦“シュレスウイヒ・ホルシユタイン Schleswig Holstein[6] 全要目{排水量13,040噸 速力18節 備砲28糎砲4門 15糎砲14門 8.8糎高角砲4門 魚雷發射管(50糎)4門 起工1905年8月 竣工1908年9月 建造所ダンチツヒ・シシヤウ} 世界大戰に破れた獨逸の手に殘つた舊超弩級戰艦の一隻で、ポケツト戰艦の生れるまで海の護りに任じたと言ふよりも、新海軍誕生の母體となつた唯一の戰艦で今日尚ほ多くの兵學校、下士官兵學校生との練習艦として活躍してゐる。然し今では機關を改装して速力は増し航空機に對する兵装や諸般の兵器の近代化によつて、外形こそ舊態を殘してゐても、内容は全く新時代の戰艦である。ポケツト戰艦が外洋へ進出するための艦であればこれは母國の領土を守る警備艦隊の主力部隊であらうか、1936年末練習戰艦に編入され現在に至つてゐる。
  3. ^ この時点で現役の本級は2隻(ホルシュタイン、シュレジェン)だけだった[7]
  4. ^ a b ナチス占領時代、グディニャ (Gdynia) はゴーデンハーフェン (Gotenhafen) と改名されていた[9]
  5. ^ なお戦艦グナイゼナウ (DKM Gneisenau) も、本艦と並んで自沈している[9]
  6. ^ この海戦で姉妹艦ポンメルン (SMS Pommern) が沈没した[16]
  7. ^ 前弩級戦艦8隻(ブラウンシュヴァイクエラースハノーヴァーヘッセン、シュレスヴィッヒ=ホルシュタイン、ロートリンゲンプロイセンシュレジエン[17]
  8. ^ 戰艦ドイッチェラント(一九三三年春竣工)[2] 基準排水量一〇〇〇〇噸、時速二六節。同型艦アドミラール・シェール及びアドミラール・グラフ・スピーと共に武装船として置かれてある。華府條約認容の軍備は戰艦六隻を現役に二隻を保留に附し、この年限は二〇年間。基準排水量一〇〇〇〇噸以上の艦船を補充すべからずと規定されてある。
  9. ^ ネームシップの戦艦ドイッチュラント (SMS Deutschland) は、1922年に解体された[7]
  10. ^ 1931年9月に姉妹艦ハノーヴァー (Hannover) が除籍され、海軍籍に残ったのは2隻(シュレスヴィッヒ・ホルシュタイン、シュレージェン)になった[5]
  11. ^ 戦艦プロイセンの代艦が装甲艦ドイッチュラント、戦艦ロートリンゲンの代艦が装甲艦アドミラル・シェーア、戦艦ブラウンシュバイクの代艦が装甲艦アドミラル・グラーフ・シュペーであった[20]
  12. ^ 戰艦“ドイチユランド Deutschland[21] 全要目{排水量10,000噸 速力26節 備砲28糎砲6門 15糎砲8門 8.8糎高角砲6門 魚雷發射管(53糎)8門 起工1929年2月 竣工1933年4月 建造所キール・ドイチエウエルケ社} 戰艦ドイチユランドは新獨逸海軍の貴重な、そして又力強い更生の出發點であつた。日本にとつて華府條約が延びんとする海軍力の堪えがたい覊畔になつたと同様に獨逸海軍はヴェルサイユ平和條約(海軍軍備制限に關する條項)に十年以上縛りつけられて來たのであつた。然しながら不抜の獨逸は造船技術の研究をいさゝかもゆるがせにせず、平和條約の制限一杯の要目で建造したのが、このドイチユランドである。噸數こそ列強の大戰艦に比べて少ないが、速力といひ、三聯装主砲の發射速度といひ充分に英佛戰艦とも對抗して毫末もゆづらぬといはれポケツト戰艦の名が生れたのである。極端に簡單な前檣は獨逸特有のもので、三聯装主砲の装備法と共に、ひいては獨逸巡洋艦の基本形となつてゐる。要目はあとの二艦と同一で全長185米、幅20米、喫水6.6米、總馬力54,000で空軍整備の宣告と同時にカタパルトを装備した。
  13. ^ グナイゼナウは主砲を28センチ砲から38センチ砲に換装するため1942年4月上旬からゴーデンハーフェンで改装工事を受けていたが、工事中止により同港で放置されていた[25]

脚注

  1. ^ 世界の戦艦、大艦巨砲編 1998, p. 133戦艦「シュレスビッヒ・ホルシュタイン」/練習艦になった旧式戦艦
  2. ^ a b 世界海軍大写真帖 1935, p. 56獨逸
  3. ^ 世界の戦艦、弩級戦艦編 1999, pp. 118a-119ドイッチュランド/二番艦幾は「ドレッドノート」竣工後に完成
  4. ^ ミリタリー選書(6)世界の戦艦 2005, pp. 166–169戦艦シュレスヴィッヒ・ホルシュタイン級(ドイツ)/老骨に鞭打ち闘った前ド級戦艦
  5. ^ a b c d e ミリタリー選書(6)世界の戦艦 2005, p. 168.
  6. ^ a b ポケット海軍年鑑 1937, p. 162原本306-307頁(戰艦シュレスウィヒ・ホルシュタイン)
  7. ^ a b c 世界の戦艦、弩級戦艦編 1999, p. 119.
  8. ^ 世界の戦艦、大艦巨砲編 1998, p. 135a戦艦「シュレスビッヒ・ホルシュタイン」/大戦の火ぶたを切った旧式戦艦の第1撃
  9. ^ a b c d ヒトラーの戦艦 2002, p. 338.
  10. ^ a b c ヒトラーの戦艦 2002, p. 335.
  11. ^ 世界の戦艦、弩級戦艦編 1999, p. 118bブラウンシュバイク/イギリス式の設計を範とした最初のドイツ戦艦
  12. ^ 世界の戦艦、弩級戦艦編 1999, p. 91ドレッドノート/世界の既製戦艦を旧式化させた弩級戦艦
  13. ^ a b ミリタリー選書(6)世界の戦艦 2005, p. 167.
  14. ^ a b 世界の戦艦、大艦巨砲編 1998, p. 135b.
  15. ^ 世界の戦艦、弩級戦艦編 1999, p. 16ジュットランド海戦に参加した戦艦・巡洋戦艦
  16. ^ 世界の戦艦、弩級戦艦編 1999, p. 18.
  17. ^ ヒトラーの戦艦 2002, pp. 29–30海軍再建への道程
  18. ^ ヒトラーの戦艦 2002, p. 44.
  19. ^ ヒトラーの戦艦 2002, pp. 46–49ヒトラーの戦艦第一号 ― ポケット戦艦
  20. ^ ミリタリー選書(6)世界の戦艦 2005, pp. 152–155装甲艦ドイッチュラント級(ドイツ)/通商破壊用に建造された“大西洋の虎狼”
  21. ^ a b ポケット海軍年鑑 1937, p. 159原本300-301頁(戰艦ドイチユランド)
  22. ^ ヒトラーの戦艦 2002, p. 56.
  23. ^ ヒトラーの戦艦 2002, pp. 73a-74第二次世界大戦始まる
  24. ^ a b ヒトラーの戦艦 2002, p. 74.
  25. ^ ヒトラーの戦艦 2002, pp. 270–272〈グナイゼナウ〉放棄

参考図書

  • エドウィン・グレイ『ヒトラーの戦艦 ドイツ戦艦7隻の栄光と悲劇』都島惟男 訳、光人社〈光人社NF文庫〉、2002年4月。ISBN 4-7698-2341-X 
  • 太平洋戦争研究会、岡田幸和、谷井建三(イラストレーション)『ビッグマンスペシャル 世界の戦艦 〔 大艦巨砲編 〕 THE BATTLESHIPS OF WORLD WAR II世界文化社、1998年11月。ISBN 4-418-98140-3 
  • 太平洋戦争研究会、岡田幸和、瀬名堯彦、谷井建三(イラストレーション)『ビッグマンスペシャル 世界の戦艦 〔 弩級戦艦編 〕 BATTLESHIPS OF DREADNOUGHTS AGE世界文化社、1999年3月。ISBN 4-418-99101-8 
  • ミリタリー・クラシックス編集部、執筆(松代守弘、瀬戸利春、福田誠、伊藤龍太郎)、図面作成(田村紀雄、こがしゅうと、多田圭一)「第四章 ドイツ、フランス、イタリアの戦艦」『第二次大戦 世界の戦艦』イカロス出版〈ミリタリー選書6〉、2005年9月。ISBN 4-87149-719-4 
  • Siegfried Breyer, Marine-Arsenal Band21, Podzun-Pallas-Verlag, 1992

関連項目

外部リンク