ヘル半島

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2000年に撮られた、ヘル半島のランドサット画像。
ヴワディスワヴォヴォで最も高い建物からの眺望。
カイトサーフィンをする人々。
海洋学研究所のアザラシ
1850年ごろの木造家屋。現在はレストランになっている。

ヘル半島ポーランド語: Mierzeja Helska, Półwysep Helskiカシューブ語: Hélskô Sztremlëznaドイツ語: Halbinsel Hela もしくは Putziger Nehrung)は、ポーランド北部のプック湾とバルト海を隔てる、全長35kmの砂州。行政上はポモージェ県プック郡に所属する。

地理[編集]

半島の幅はユラタ付近の約300m、最狭部の100mから先端部の3km以上まで様々である。全域が砂で形成されているため、しばしば冬の嵐で寸断されて島になることがある。17世紀まで半島は島嶼の連なりで、夏の間だけつながっていた。

本土から観光地として人気のヘルが位置する先端まで、道路と鉄道が延びている。その他の町、港およびリゾート地としてユラタ (Jurata) 、ヤスタルニア (Jastarnia) 、クズニツァ (Kuźnica) 、ハウピ (Chałupy) 、ヴワディスワヴォヴォ (Władysławowo) がある。

歴史[編集]

1772年から1919年まで、ヘル(ドイツ名ヘラ)半島はプロイセン王国ドイツ帝国の領土であった。第一次世界大戦後にポーランド第二共和国の一部となると、その軍事的重要性が認識され、防衛区として3000人の守備隊が駐留した。1939年に起きたヘルの戦いで、ポーランド軍は半島の一点を爆破し、島に変えた。

ナチス・ドイツによる占領時代(1939年 - 1945年)、ヘルの守備はさらに強化され、3門のアドルフ砲からなる砲台が置かれたが、砲台はまもなくフランス大西洋の壁防衛に回された。半島の守備隊は第二次世界大戦の終わりまで持ちこたえ、ドイツ降伏から六日後の1945年5月14日に投降した。

戦後、ポーランドに復帰してもその軍事的な重要性は変わらず、大部分の地域が軍用地に指定された。1940年代から50年代にかけて、さらに砲台が増設された。今日、要塞施設や砲台の多くは観光客に公開されているが、ポーランド陸軍の敷地も未だに存在する。

文化[編集]

アニメ「メタロカリプス」に、バンド「デスクロック」のメンバーがヘル半島の近くで公演を開くエピソードがある。作中では「ダンツィヒの近く」となっている。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]