シェルビー・デイトナ クーペ

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シェルビー・デイトナ
シェルビー・デイトナ (1964年製)
概要
製造国 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
販売期間 1964年 - 1965年
ボディ
乗車定員 2人
ボディタイプ 2ドア クーペ
駆動方式 後輪駆動
パワートレイン
エンジン チャレンジャー289ハイパフォーマンスV8
最高出力 390 ps (287 kW)
変速機 4速MT ボルグ・ワーナー・T-10M
前後: アッパートランスバースリーフスプリング/ロワ―ウィッシュボーン
前後: アッパートランスバースリーフスプリング/ロワ―ウィッシュボーン
車両寸法
ホイールベース 2,286 mm
全長 4,150 mm
全幅 1,720 mm
全高 1,180 mm
車両重量 1,043 kg
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シェルビー・デイトナ(Shelby Daytona、別名:コブラ・デイトナ・クーペ、デイトナ・コブラ)は1964年のスポーツカー世界選手権に参戦するためにシェルビー・アメリカンにより製作された競技用グランドツーリングカーである。

デイトナ24時間レースの前身、デイトナ2000kmレースにちなみ、車名が付けられた。合計で6台が製作され、1964年のル・マン24時間レースではクラス優勝を果たした。

沿革

開発の経緯

ACコブラ

キャロル・シェルビーは1959年にアストンマーティンでル・マン24時間レースに勝利した後、1962年にACカーズ製ボディにフォード製エンジンを搭載したACコブラを製作、アメリカ各地のレースで勝利を収め、シェルビーはヨーロッパのサーキットでも勝利を望んでいた。ACコブラはライバルであるフェラーリやアストンマーティンと比べ馬力はあったが、 オープンボディのため空力上の不利が大きく、特に、ル・マンが行われるサルト・サーキットのような長い直線を有するコースではトップスピードで差が開き、ライバルの後塵を拝していた。これは当時のアメリカのサーキットは短い直線と大きなカーブで構成されており、最高速度は重要視されていなかったためである[1][2]

そこでシェルビーは新しい車両の開発を決定。ゼネラルモーターズでデザインの仕事をしていたピート・ブロックに空力に優れたボディデザインを依頼し、エンジニアのフィル・レミントンなどと共に開発を行った。当時はFIAにより、スポーツカー世界選手権でGTクラス参戦の公認(ホモロゲーション)を得るには「連続した12か月に100台以上生産」という車両規則が定められていた。しかし、100台を生産した以降は”エボリューションタイプ”としてボディの形状変更が許可されていた[3]。この規則に着目したシェルビー・アメリカンは、既に100台の生産を果たしていたACコブラのシャーシに、カムテールと呼ばれるデザイン形状のボディを採用した”エボリューションタイプ”の車両を設計した[4][5]。シャーシやエンジンなど同一のパーツを利用しているため、機械的にシェルビー・デイトナはACコブラとほぼ同一のものだった[2]

レースで損傷したACコブラのシャーシを修復して作成されたモックアップを使って輪郭が決められ、プロトタイプのシャーシナンバー"CSX2287"の製造と組み立ては、シェルビー・アメリカンの拠点のあるカリフォルニア州で行われた。車両が完成した時点で1964年のスポーツカー世界選手権の開幕戦であるデイトナ2000kmレースまで3週間もなかった。プロトタイプはリバーサイド・インターナショナル・レースウェイに持ち込まれ、ドライバーのケン・マイルズによりテストが行われた。その結果、ラップタイムはACコブラより3秒以上早く、速度は15マイル以上向上して180マイルを超え、後に25%も燃費が良いことも判明した[4]。プロトタイプ以外の5台(シャシーナンバー:CSX2286CSX2299CSX2300CSX2601CSX2602)の車両製造は、フェラーリの本社もあるイタリア・モデナカロッツェリア グランスポルト ドイツ語版で行われた[6]

レースに参戦したシェルビー・デイトナはライバルであるフェラーリ・250GTOよりも速く、多くのレースで勝利を収めた。ル・マンでは非公式ながらGTクラス最高速度の時速190マイル以上を記録した[4]

引退とその後

エンジン供給でシェルビー・アメリカンと深い関係にあったフォードは、シェルビー・デイトナと同時期にデビューしたGT40のル・マンでの惨敗に落胆し、フェラーリ打倒をシェルビー・アメリカンに託すことを決定、GT40の改良を依頼した。プロトタイプクラスのGT40は操作性に難があり、故障も多く、レースで苦戦を強いられていた。シェルビー・アメリカンによる改良を受けたGT40は1966年からル・マン4連覇を達成し、対照的にシェルビー・デイトナは表舞台から姿を消していった[7]

1965年11月、ユタ州のボンネビル・ソルトフラッツにおいて"CSX2287"が23個の米国自動車クラブ、およびFIAの陸上速度新記録を達成した。その後個人所有者に販売され、レーシングカーとしての使命を終えた[8]

その後1台(CSX2300)を日本人レーサー酒井正が購入し、1966年から1967年までNAC(日本オートクラブ)主催レース、第3回日本グランプリ等に少なくとも8度出場、船橋サーキットにおいて2度、鈴鹿サーキットと富士スピードウェイで各1回の優勝を記録している[9]。1968年には別のドライバーにより第5回日本グランプリにも出場した。

2000年には上記の"CSX2300"がカリフォルニア州モントレーのオークションで400万ドルで落札され[10]、2009年には同じくモントレーのオークションで、"CSX2601"が725万ドルで落札され、当時のアメリカ製の自動車の最高値を記録した[11]

2014年1月、アメリカ合衆国国定歴史遺産に「国が定める歴史的価値のある車」という項目が追加され、その第一号として"CSX2287"が登録された。同年11月には、同じく"CSX2287"が一般投票で選ばれる国際ヒストリックモータリングアワードの「カーオブザイヤー」を受賞した[8][12]

シェルビー・デイトナは6台全てが現存しており、2015年のグッドウッドリバイバル 英語版ではピート・ブロックと共に6台全てが集まるイベントが行われた[13]

主な戦歴

1965年 ニュルブルクリンク1000㎞レース

1964年

スポーツカー世界選手権の開幕戦デイトナ2000kmレースでデビューしたシェルビー・デイトナは、セブリングやル・マン、ツーリスト・トロフィーなどでライバルであるフェラーリ・250GTOに勝利したが、チャンピオンシップを獲得するには至らなかった。

1965年

前年に引き続き、スポーツカー世界選手権のGTクラスに参戦したシェルビー・デイトナは多くのレースでフェラーリを破り勝利し、この年のGTクラスでチャンピオンシップを獲得した。

  • 2月 デイトナ2000kmレース、GTクラス優勝(CSX2299)。GTクラスの2位も同じくシェルビー・デイトナが続いた。
  • 3月 セブリング12時間レース、GTクラス優勝(CSX2299)。
  • 5月 ニュルブルクリンク1000㎞レース、GTクラス優勝(CSX2601)。
  • 6月 ル・マン24時間レース、GTクラス3位入賞(CSX2299)。 CSX2300以外の5台体制で出場するも、4台がトラブルでリタイア。GTクラス優勝はフェラーリ・275GTB、2位にはポルシェ・904GTS。
  • 7月 ランス12時間レース、GTクラス優勝(CSX2601)。
  • 8月 イタリアGP、GTクラス優勝(CSX2601)。

シャーシナンバー

CSX2286

1963年の秋にACに注文されたシャーシ。CSX2286は1番若いシャーシナンバーを持つが、完成したのは6台の中で1番遅く、1965年の春だった[14]。本来のチャレンジャー289ハイパフォーマンスV8ではなく、シャーシを3インチ長くし、アルミニウム合金シリンダーヘッドのコブラ427V8を搭載する予定であったが、改造に時間がかかり、結果的に本来の仕様に戻された[15]

CSX2287

シミオン財団自動車博物館に展示されるCSX2287

6台の中で最初に完成したシャーシで、プロトタイプとしてテスト走行にも使われた。シェルビー・アメリカンはカリフォルニア州にある拠点で、設計から90日で車両を製作した[6]

1964-1965年にヨーロッパを転戦、ボンネビルでの速度記録を達成した後、スロットカーメーカーのジム・ラッセルに4,500ドルで買い取られた。公道走行のため改造を受け、約1年後にビートルズとの関係で知られるフィル・スペクターに12,500ドルで売却された。

フィルはロサンゼルスの公道でCSX2287に乗っていたが、エンジンの排熱により車内はとても暑く、オーバーヒートや高額な維持費に辟易していた。修理に出した店では800ドルで廃車にすることを提案された。所有を諦めることにしたフィルは、ボディガードのジョージ・ブランドに1,000ドルで車を売却した。

ジョージは車を保管する場所を探し、娘のドナがレンタルガレージを貸した。ドナは友人や夫などと車を走らせたが、1971年の終わりごろには車は倉庫で放置されていた。1982年ドナは離婚し、夫は車の所有権を主張しなかったとされる。

コレクターは行方不明になっていたCSX2287探していたが、その存在を確認できずにいた。時が過ぎ、車を15万ドル、その後50万ドルで買取を掛け合う者も現れたが、ドナはこれを拒否している。2000年、ドナはガソリンを被って焼身自殺し、その後、カリフォルニア州アナハイムのレンタルガレージから車両が発見された。

ドナの母親はカーディーラーのマーティン・アイアーズに300万ドルでCSX2287を売却したが、焼身自殺の直前に車両を譲り受けたとドナの幼馴染が主張、更にフィル・スペクターも、譲ったのではなく保管を依頼しただけと主張し、訴訟に発展した。

その後、アイアーズは別のコレクターにCSX2287を売却。車両は大規模なレストアなどは行われずに、現役当時の姿を保ったまま、フィラデルフィアシミオン財団自動車博物館 英語版に展示されている[16][17]

CSX2299

全体で2番目に完成したシャーシで、カロッツェリア グランスポルトで最初に完成したシャーシでもある。 1964年のル・マン24時間レース、1965年のデイトナ2000kmレース、セブリング12時間レースなどでクラス優勝を果たした車両。過去にはシェルビー・アメリカンの博物館に展示されていた[18]

CSX2300

1964年後半に完成したシャーシ。シェルビー・アメリカンでの活動後、日本人に売却され、日本グランプリなどで活躍した。1969年の「第2回東京レーシングカー・ショー」にも展示され、その後1970年代にキャロル・シェルビーに買い戻された。 2000年、カリフォルニア州モントレーのオークションにて400万ドルで落札された[10]

CSX2601

1965年の選手権に向けて製作されたシャーシ。その年のニュルブルクリンク1000㎞、ランス12時間レース等でクラス優勝を果たした。2009年のオークションで725万ドルで落札され、当時のアメリカ製の自動車の最高値を記録した。

CSX2602

1965年のデイトナ2000kmレースでデビューし、GTクラス2位でフィニッシュしたシャーシ。同年のル・マン24時間レースではスイスのレーシングチーム「スクーデリア フィリピネッティ 英語版」のために赤いカラーリングが施された[19]。2015年には所有者である日本人コレクターによってグッドウッドでのイベントにも参加した[20]

レプリカ

ブロック・クーペ
デイトナ・スポーツカー

シェルビー・デイトナは現在も人気を持ち、シェルビー・アメリカン公認のレプリカキットカーが数多く作られている。

スーパーフォーマンス英語版(SPF)製のレプリカのデザインにはピート・ブロックやGT40のシャーシデザイナーが関わっている。このSPF製クーペは通称ブロック・クーペ英語版と呼ばれ、シェルビー・アメリカンの公認とライセンス契約のもと生産され、シャーシナンバーにはCSX9000番台の番号が与えられている。オリジナルよりも広い室内空間を有し、インテリアは現代的にアレンジされている。新設計のスペースフレーム・シャシー、サスペンションもリーフ式サスペンションから独立懸架に変更されるなど、全面的に改良されている。エンジンはRoush パフォーマンス英語版製が搭載されるが、顧客の好みでエンジンを変更することも可能である[21][22]

ファクトリー・ファイブ・レーシング英語版はFFRの略称で知られ、FFR製のレプリカは65クーペという名称を持つキットカーである。ブロック・クーペ同様にオリジナルよりも広い室内空間やボディ形状の変更、新設計のシャーシなど、多くの変更がなされている。 組み立てはフォード・マスタングをベースとするキットと、独自のシャーシを使用するものがある[23]

この他にもデイトナ・スポーツカー英語版やShell Valley Companiesなど多くのレプリカが存在する。

2015年には、シェルビーアメリカンよりFIA世界選手権の50周年を記念して、オリジナルの設計図などを基にしたモデルが50台限定で発表された。安全性と性能の改善のための変更はあるが、リーフ式サスペンション、シャーシ、木製ハンドルなど、オリジナルに近い設計がなされている[24]

フォード・シェルビーGR-1

フォード・シェルビーGR-1

2005年にフォードがコンセプトカーとしてシェルビー・デイトナを現代風にリメイクしたフォード・シェルビーGR-1英語版北米国際オートショーで展示した。エンジンはアルミニウム製6.4リッターV10を搭載する。2019年にはスーパーフォーマンス製ボディを使用した車両を生産、オプションで電気自動車仕様も企画していると報道された[25][26]

脚注

  1. ^ 『オクタン日本版』第10巻、世界文化社、2015年。 
  2. ^ a b The Unlikely Story of the Ferrari-Beating Shelby Daytona Coupe”. roadandtrack.com (2015年8月14日). 2021年6月16日閲覧。
  3. ^ Fédération Internationale de l'Automobile. “APPENDIX J-FRA 1962” (PDF) (french). FIA Historic database. 2022年4月24日閲覧。
  4. ^ a b c The Car That Lived Up To Its Legend”. caranddriver.com (2001年7月1日). 2021年6月16日閲覧。
  5. ^ 8 Things You Probably Didn’t Know About The Shelby Daytona Coupe: Video”. motorauthority.com (2016年2月1日). 2021年6月16日閲覧。
  6. ^ a b The Famed Cobra Daytona Coupe That Almost Didn’t Win, as Told by Its Designer”. classicmotorsports.com (2021年3月8日). 2021年6月16日閲覧。
  7. ^ ネイト・アダムズ、アダム・カローラ(監督) (2016). 24時間戦争 (ドキュメンタリー映画).
  8. ^ a b 1964 Shelby Cobra Daytona Coupe”. hagerty.com. 2021年6月16日閲覧。
  9. ^ JAF 国内競技結果リザルト”. jaf.or.jp. 2021年6月16日閲覧。
  10. ^ a b AC Shelby Cobra Daytona Coupe CSX2300”. ultimatecarpage.com (2015年9月21日). 2021年6月16日閲覧。
  11. ^ 1965 Shelby Daytona Cobra Coupe Sells for $7.25 million”. mecum.com. 2021年6月16日閲覧。
  12. ^ 2014 International Historic Motoring Awards”. simeonemuseum.org. 2021年6月16日閲覧。
  13. ^ Shelby Daytona Coupes at the Goodwood Revival 2015”. superformance.com (2015年10月7日). 2021年6月16日閲覧。
  14. ^ AC Shelby Cobra Daytona Coupe CSX2286”. ultimatecarpage.com (2015年9月21日). 2021年6月16日閲覧。
  15. ^ The truth behind Shelby’s 1964 “secret weapon” Cobra Daytona Coupe”. hagerty.com (2019年1月8日). 2021年6月16日閲覧。
  16. ^ Missing Daytona Coupe Found!”. Nevada Shelby American Automobile Club (2002年11月22日). 2021年6月16日閲覧。
  17. ^ Death, Deception, and the $4 Million Cobra”. caranddriver.com (2001年7月1日). 2021年6月16日閲覧。
  18. ^ AC Shelby Cobra Daytona Coupe CSX2299”. ultimatecarpage.com (2015年9月21日). 2021年6月16日閲覧。
  19. ^ AC Shelby Cobra Daytona Coupe CSX2602”. ultimatecarpage.com (2015年9月21日). 2021年6月16日閲覧。
  20. ^ 旧車好きならいつかは訪れたい! 「GOOD WOOD REVIVAL MEETING」”. inthelife.club (2018年6月20日). 2021年6月16日閲覧。
  21. ^ Road Test: Superformance Brock Coupe”. motortrend.com. 2021年6月7日閲覧。
  22. ^ The Shelby Daytona Coupe: Peter Brock’s Kamm-Tailed Legacy”. journal.classiccars.com. 2021年6月7日閲覧。
  23. ^ Type 65 Coupe”. factoryfive.com. 2021年6月7日閲覧。
  24. ^ Shelby American 50th Anniversary Cobra Daytona Coupe announced”. motor1.com. 2021年6月7日閲覧。
  25. ^ Retro-Licious Ford Shelby GR-1 Concept Entering Production Thanks to Superformance”. thedrive.com. 2021年6月7日閲覧。
  26. ^ Superformance Will Resurrect Ford's Stunning Shelby GR-1 Concept”. caranddriver.com. 2021年6月7日閲覧。

関連項目