WRESTLE-1 GRAND PRIX 2005

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WRESTLE-1 GRAND PRIX 2005(レッスル-ワン・グランプリ・にせんご)は、2005年に開催されたプロレス興行K-1ビッグマウスなどの共催により開催された。なお2002年から2003年に開催されたプロレス興行「ファンタジーファイトWRESTLE-1」や2013年に設立されたプロレス団体「WRESTLE-1」および同団体が開催するトーナメント戦「WRESTLE-1 GRAND PRIX」などとは全くの別企画、別組織である。

概要

立ち上げまでの経緯

2004年末、新日本プロレス執行役員の上井文彦が新日本を退社し、個人事務所「ビッグマウス」を設立。上井はかつてから懇意にしていたK-1を主催するFEG代表の谷川貞治と手を組み、かつてK-1が行っていたWRESTLE-1の名称を使い、ストロングスタイルのトーナメントを行うことを発表。同時にビッグマウスのスーパーバイザーとして、長らくプロレス界を離れていた前田日明が就任する。

当初は2005年4月に横浜アリーナで開催することを発表していた。「絶対に地上波中継を付けたい」という上井の意向から、当時、WRESTLE-1と同時進行で、ビッグマウスとFEGの協賛となっていたHERO'S(後にビッグマウスは撤退し、FEG単独興行となった。前田だけはスーパーバイザーとして残っている)を中継していたTBSなどと掛け合うも不調に終わったことから延期となった。

開催

「プロレス界のナンバーワンを決めるトーナメント」というふれこみ通り、上井はメジャー3団体を始め多くの団体と交渉。ザ・グレート・ムタ佐々木健介長州力ボブ・サップジャイアント・バーナード秋山準柴田勝頼諏訪間幸平ザ・プレデター天龍源一郎村上和成のトーナメント戦が実現した。さらにミル・マスカラステリー・ファンクという往年の名レスラーがスペシャルマッチ(しかも第1試合。この試合を観戦した前田は「流石。老獪な動きで会場を温めさせていた。素晴らしい。」と当時受け持っていたコラムで語っている)に参戦が決まり、同年8月4日両国国技館で開催する。なおテレビ局との交渉は不調に終わり、結局、ペイ・パー・ビューチャンネルでの中継となった(開催1か月後から、USENが展開するインターネットテレビ「GyaO!」で配信された。秋山の試合だけは日本テレビプロレスリング・ノア中継で放送された)。10,500人を動員し、結果的には成功であった。ムタ、健介、サップ、秋山、諏訪間、天龍が2回戦に進出した(鈴木みのるジャマールはシード選手。天龍は進出を辞退)。

第2弾は同年10月2日国立代々木競技場で行われた。主催者発表の観客動員数は8,012人と両国国技館よりもキャパシティの大きな会場であったカード的にもインパクトに欠けたため満員には出来なかった。スペシャルマッチにはドリー・ファンク・ジュニアジャイアント・キマラ二世アブドーラ・ザ・ブッチャーが出場。谷川、サップがプロレスリング・ノア日本武道館大会を観戦し、三沢光晴と対面、曙もノア事務所を訪ねて三沢と面会するなど、ノアに全面協力を依頼。その結果、三沢が小川良成とタッグを組み曙&スコーピオ組と対戦するスペシャルマッチが実現。トーナメント2回戦はムタ対健介、サップ対秋山、みのる対諏訪間、ジャマール対ドン・フライ(天龍の代打)が行なわれ、ムタ、サップ、みのる、ジャマールが勝ち上がった(ジャマールは後年死去)。

なおノアが全面協力する代償としてFEG側からサップがノア日本武道館大会で小橋建太とシングルマッチを行うことになっていたと言われている。だがサップが谷川からの依頼を断り、更には現在まで続くゴタゴタが起きたため結局、曙が参戦した。

延期、中止

第3弾が決勝トーナメントとして同年12月に横浜アリーナで行われることは既に第2弾の時点で決まっていた。だが時同じくして全日本プロレス渉外担当役員2名が全日本を退社、キングスロードを設立。また新日本もユークスが筆頭株主となるなど、各団体の体制・事情が目まぐるしく変化した。このことから、WRESTLE-1の窓口が無くなり、谷川も「ノアさん以外に話せる状態にない」とコメントを発表した。また、同年8月に旗揚げしたビッグマウスの別ジャンル興行「ビッグマウス・ラウド」に上井が一生懸命になっていると谷川は話し、事実上の中止を示した。これに対し上井は「今の状態では皆様にお見せするプロレスが出来ないが、延期しても絶対にやります。絶対に決着は付けます」と話したが、「絶対に決着は付けます」という言葉は、新日本の時代の「アルティメットロワイヤル」、その後もビッグマウスに於ける前田の離脱、村上らビッグマウス・ラウドとの確執の際にも聞かれており、その通り2016年現在に至るまで行われていない。

関連項目