IndyCar

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IndyCar/INDYCAR
スポーツ オープンホイール・カー
管轄地域 アメリカ合衆国
ブラジル
カナダ
創立 1996年(IRL時代を含む)
本部所在地 インディアナ州インディアナポリス
会長 テリー・アングスタット (Commercial Division)
ブライアン・バーンハート (Competition Division)
チェアマン ブライアン・ローデス
最高経営責任者 ランディ・バーナード
他主要人物 ジェフ・ベルスカス
トニー・コットマン
公式サイト
www.indycar.com

IndyCar(インディカー)は、アメリカ合衆国のオープンホイール・レース統括組織。2010年までは「インディ・レーシング・リーグ」(Indy Racing League, IRL) の名称で活動していた。車体を指す"IndyCar"と区別するために"INDYCAR"と表記されることもある。

IndyCarの商標はハルマン・アンド・カンパニーが所有する。同社はまたインディアナポリス・モーター・スピードウェイ複合施設とクラッバー・ガールのブランドも所有している。

概要

設立

1994年、トニー・ジョージによって前身となるIRLが設立され、1996年に同名のシリーズを開始した。インディカーUSACから離れた1979年以来、CARTが認可を行っていたが、トニー・ジョージはF1の様に少数の裕福なチームが複数台出走させ、技術が大きなウェイトを占めるインディカーに対して、より低コストで参戦できるオープンホイール・レースとしてIRLを構想していた。初めはその構想を信じたいくつかの小規模なチームがIRLに引き付けられただけだったが、後には分離する前のCARTのシリーズと同様な物となった。

変革

開始当初、シリーズとジョージは各種メディアやCART参戦チームによる批判を受けた。初期のIRLはまばらなスケジュールと未知のドライバー、未経験なチームから成り、メインイベントであるインディ500でさえそのレベルを問われる物であった。しかしながらスケジュールは充実し、ドライバーの力量も向上していった。IRLは2000年からCARTチームの受け入れを始め、2002年のCARTの破産、2003年からのチャンプカーへの名称変更にも大きく影響した。この時期から大会名は「インディカー・シリーズ」と呼ばれるようになる。そして2008年にはチャンプカーを吸収統合した。このように運営団体が分裂していた間、同じくアメリカで開催されるNASCARに人気が移った。

新体制

2011年、IRLは"INDYCAR"に名称を変更、ジョージに代わり競技長のランディ・バーナードが最高経営責任者に就任した。バーナードはシリーズの発展のために様々なシステムを実験的に導入した。

レースシリーズ

ヨーロッパにおいて、F1を頂点に掲げGP2F3などの中級、下級カテゴリが存在するように、北米のオープンホイールレースにも下記のランク付けがある(上に書かれているものほどランクが高い)。これらのレースはIndyCarが育成団体「ロード・トゥ・インディ」を通じて運営する。

ポイントシステム

このポイントシステムはインディカー・シリーズとインディ・ライツに適用される。すべてのドライバーにポイントが与えられ、シリーズ中最も出走台数が多いインディ500の33台に合わせて33位まで設定されている。[1]

順位 1st 2nd 3rd 4th 5th 6th 7th 8th 9th 10th 11th 12th 13th 14th 15th 16th 17th 18th-24th 25th-33rd
ポイント 50 40 35 32 30 28 26 24 22 20 19 18 17 16 15 14 13 12 10

さらにインディ500を除くレースでは、ポール・ポジションを獲得すると1ポイント、最多ラップリードを記録すると2ポイントが与えられる。

死亡事故

IndyCarがIRLとして発足した1996年以来、上記4つのシリーズで事故によって以下のドライバーが死去している。(日付は現地時間)

ギャラリー

脚注

  1. ^ 34台以上が出走したレースも存在する。1997年のインディ500では35台が、2011年のラスベガス・ワールド・チャンピオンシップでは34台が出走した。

外部リンク