Hi69
Hi69 | |
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プロフィール | |
リングネーム |
Hi69 HIROKI |
本名 | 田辺裕喜 |
身長 | 175cm |
体重 | 85kg |
誕生日 | 1981年12月13日(42歳) |
出身地 | 岩手県盛岡市 |
所属 | フリーランス |
トレーナー | TAKAみちのく |
デビュー | 2000年11月19日 |
Hi69(ひろき、1981年12月13日 - )は、日本の男性プロレスラー。岩手県盛岡市出身。フリーランス。
経歴
- プエルトリコ時代のKAIENTAI DOJOに入団(1期生)、
2000年
2002年
2004年
- 4月25日、「CLUB-K SUPER ev.3」にてTAKAみちのくに勝利。
- 「STRONGEST-Kトーナメント」では決勝に進出。
- 7月3日、「STRONGEST-K TOUR FINAL」で真霜拳號を撃破し「CHAMPION OF STRONGEST-K」の初代王者となる。
2006年
- 4月5日をもってKAIENTAI DOJOを退団、フリーとしてアパッチプロレス軍に主戦場を移すと正規軍を裏切り、佐々木貴率いる「たかし軍団」へ。以後、アパッチ・大日本を中心に活動することになった。
- 12月25日、新木場1stRING大会でのデスマッチトーナメントでの佐々木貴との対戦を機に「たかし軍団」からの離脱を宣言。
2007年
- 1月8日、GENTAROとのタッグを組むことを表明。GENTAROも、邪道・外道のタッグを目標にすることを条件に了承し、正式に結成。
- GENTAROとのコンビに、ジ・ウィンガーが合流する形でデスマッチ否定派閥「パルプパックス」を結成し、非デスマッチ宣言をする。
- 10月11日、新日本プロレスLOCK UP豊橋大会にて石井智宏の放った技によりケガ。診断は胸椎骨折と脱臼という重傷を負ってしまう(石井のパワーボムの体勢からフランケンシュタイナーに切り返そうとした瞬間とパワーボムが同時にくりだしてしまったため)。この事態を知った金村キンタローはTAKAみちのくをはじめとする各レスラー・団体に呼びかけ、11月12日新木場1stRING大会を、「Hi69 AID」として開催し、売上金をHi69、非道の手術・療養費用に当てると発表した。その後は岩手で療養生活を送ることとなる。
2008年、2009年
2010年
- 2月14日(K-DOJO千葉大会開始前)、TAKAみちのく・佐々木貴が同席し、同年4月2日K-DOJO後楽園ホール大会で復帰することを発表。今後はKAIENTAI DOJOとプロレスリングFREEDOMSを主戦場に活動する方針と、リングネームをそれまでの「Hi69」から「HIROKI」に変更することも発表。後日、復帰戦のカードが、HIROKI・MIYAWAKI vs TAKAみちのく・ヤス・ウラノ(HIROKI側のオーダーとして、TAKAとの対戦と、1期生をお互いのパートナーとしたタッグマッチとすることを希望)に決定。
- 4月6日、K-DOJOに続いてFREEDOMSでの復帰戦を実施(vs佐々木貴)。
- 5月26日FREEDOMS新木場、休業の原因を作った石井智宏と対戦し、敗れる。
2014年
- 9月5日より初心に戻るべくリングネームをHi69に戻す。
タイトル歴
- CHAMPION OF STRONGEST-K…初代
- STRONGEST-K TAG王座…15代(パートナーは真霜拳號)、27代(パートナーは火野裕士)
- 年間最優秀選手賞(2004年)
- 年間最高試合賞(シングルマッチ部門)(2004年)
得意技
- マハラジャ
- ジョン・シナのFUとほぼ同型の技。デスバレーボムの要領で持ち上げ、自らも飛び上がりつつサイドに落とす。この技でTAKAみちのく越えを果たした。
- トランスレイヴ
- 座り込んでいる相手の顔面にランニング式の膝蹴りを打ち込む技。現在のフィニッシュムーブ。
- スーパーダンス
- エプロンから体を反転しつつロープに乗り、スワンダイブムーンサルトを行う。初期フィニッシュ・ホールド。
- スーパーダンス2
- 二回転捻りを加えたムーンサルトプレス。
- ヒロキック
- ストゥーカ・スプラッシュ
入場テーマ曲
- 「RED (KSK)」 ※「TRANCE RAVE BEST #9」に収録(現在使用)
- 「Super Dance」(HAYASHI) ※キングレコード「KAIENTAI DOJO」に収録
テレビ、CM出演
- テレビ出演
- CM出演
- ファイト千葉キャンペーン(チバテレビ)
エピソード
- オムライスに対して並ならぬこだわりを持っている。
- 浜崎あゆみの大ファンである。
- ハーフ顔が好みである模様。