長谷川博一
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長谷川 博一(はせがわ ひろかず、1959年(昭和34年)5月10日 - )は、東海学院大学および同大学院(岐阜県各務原市)の教授[1]で、臨床心理学全般、とくに心理療法、犯罪臨床心理学(鑑定)、児童虐待、家族病理、自殺・自傷行為等の専門家である。また、同大学院附属の心理臨床センター長も務めている。臨床心理士。
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[編集] 略歴
[編集] 幼少期から現在まで
1959年5月10日、愛知県名古屋市にて出生。北区、瑞穂区と転居を繰り返し、幼稚園は南山幼稚園へ通う[2]。小学校は名古屋市立陽明小学校に通う。小学3年生(豊中市立南桜塚小学校)から中学1年生(豊中市立第一中学校)の間、銀行員であった父親の転勤の都合で、大阪府豊中市に住む。この頃、NHK児童放送合唱団等に所属し、子役としてテレビやラジオに出演し、CMやアニメソングも吹き込んだ。橋幸夫の「子連れ狼」のバックコーラスも担当していた。小学生時代の長谷川はいわゆるガキ大将で、常に10人ほどの小学生を引き連れて、遊びやいたずらのボス役をこなしていた。中学2年生以降は愛知県に戻り、愛知郡東郷町で過ごす。東郷町立東郷中学校に転入した[3]
[編集] 学歴(高校以降)
長谷川は元々心理学を志していなかった。自宅から近距離にあった愛知県立東郷高等学校に自転車進学し、物議をかもした管理教育の全盛期を過ごす。入学するまで、東郷高校が細かい規律が多く、体罰が日常化している高校であることを知らなかった[4]。入学早々、最も体罰の激しかった数学担当教師[5]と、授業中に激しい論戦を展開し、そのまま校長室へ駈け込んで抗議を行った。以降、正論を説く口の達者な生徒として、関係する教師からえこひいきを受け、益々不信感を募らせた。高校入学して間もなく合唱部顧問からスカウトされて入部。2年生後期以降、部長兼指揮者を務めている。県大会では毎年3位に終わり、中部大会に出たことはなかった。卒業後の1982年には、この高校独自のマル東訓練(軍隊方式の整列訓練)中に1年女子生徒が校舎から飛び降り自殺をしている。のちに藤井誠二が、1984年に『オイこら!学校 高校生が書いた“愛知”の管理教育批判』と題する単行本を世に輩出している。高校3年時には理系進学クラスに所属していた。東郷高校への批判は強く、現在でも同窓会等には一切顔を出さない。同期の友人(現教員)から「もう担任の先生は謝っている」と説得されたが、「当時、管理教育を推進したトップが公的に謝罪しない限り認めない」と、引かない。
卒業後、南山大学経済学部に入学したものの、この学問への興味を完全に失い、アルバイトに専念していた。主に海外旅行を扱う会社のスタッフとして働いたが、次第に家庭教師を増やしていく。アルバイトで貯めた資金で、口径21cmの反射望遠鏡を購入し、撮影した天体写真が天文雑誌に掲載されるほどに熱中した。また毎年、バックパック一つで海外に出かけ、自由気ままに過ごしていた[6]。経済学部時代の成績は惨たんたるものだった。ある日、名古屋市内の書店で時間を過ごしていたとき、何気なく手にした本が、河合隼雄が書いた『ユング心理学入門』(培風館)であり、運命を変えるきっかけとなった。むさぼるように読み、これを機に深層心理学へと傾倒していった。大学3年生になって、進路相談でたまたま学生相談室の門を叩いたところ、偶然にもユングの思想を取り入れていた山中康裕と出会った[7]。
翌年、南山大学文学部教育学科(心理学専攻)に転学部転学科し、本格的に心理学の世界を探求し始める。転学科してからは熱心に勉学に取り組み、翌年は教育学科で最優秀の成績を修め、大学から表彰される。「無意識の能動性」という考え方に強い関心を抱く。のちの処女作となる『子どもたちの「かすれた声」』(日本評論社)は、ユングの「光と影」の理論に準拠し、その思想は現在でも長谷川理論のコアをなしている。卒業論文[8]では、バウムテストと空間象徴理論の関係を取り扱った。
南山大学卒業後、名古屋大学大学院教育学研究科博士前期課程(心理学専攻)に入学し、カウンセリングの研修を受け始めるとともに、日本における臨床心理学のパイオニアの一人であった村上英治の指導を受けて、日本における人間性心理学の設立を手伝う。なお、ユングの共時性理論(シンクロニシティ)に惹かれ、超心理学にも関心を抱き、「超感覚的知覚」に関する実験に基づいて修士論文[9]を書いていることはあまり知られていない。この頃、日本における超心理学研究の第一人者だった大谷宗司に会うために、防衛大学校を訪れている。ユタに会うために沖縄にまで出かけている。だが、博士前期課程修了と同時に、この分野の研究はまったく進めなかった[10]。修士課程2年に入り、臨床実践のストレスから十二指腸潰瘍を患い、通院治療を続けた[11]。
博士後期課程では、田畑治の指導生となり、カール・ロジャーズ流のカウンセリングの基礎を学びながら、研究は「青年期の問題行動」の領域へと移っていく。ようやく臨床心理学的研究と心理臨床実践が一致していくようになる。
[編集] 職歴・研究歴
1988年9月30日、名古屋大学大学院教育学研究科(心理学専攻)博士後期課程を中途退学し、同年10月1日に東海女子大学文学部人間関係学科助手として採用される。講師、助教授を経て教授へとの昇任し、現在に至る。1989年に隣接する日進市に転居し、1994年には片道2時間の遠距離通勤を避けるために家族と共に大学に近い岐阜県内に移った。20年間、同じ大学に勤続している。東海女子大学は2007年度から男女共学となり、現在の所属は東海学院大学人間関係学部心理学科である。大学院人間関係学研究科臨床心理学専攻(臨床心理士第一種指定校)の教授を兼任している。
就職後、名古屋大学の先輩にあたる速水敏彦が過去に行っていた心理テストの再検査効果の研究に取り組み、日本心理学会の機関誌である『心理学研究』に一連の論文を投稿した。自尊心への関心も高く、大学の紀要論文は毎年これをテーマにして書いていた。またブリーフセラピー学会会長の宮田敬一と出会い、これを契機にミルトン・エリクソンの技法を習得する。催眠療法と来談者中心療法の融合を提唱し、高石昇との親交をも深め、高石が会長を務める日本臨床催眠学会の常任理事(倫理委員長)となる。その他、精神分析、家族システム論、認知療法、ゲシュタルト療法、イメージ療法など多くの技法を取り入れ、次第に独特なマルチ心理療法のペースが作られていった。FCR(fully communicating relationship)面接という独自の面接法を学会誌[12]で提唱したが、これは、セラピストとクライエントとの間で、意識から無意識レベルまで含め、言語・非言語を問わず、あらゆる情報チャンネルで活発なコミュニケーションの交換がなされる面接を意味している。セラピスト側に高度の感受性と豊かなメッセージ性が求められるが、この関係が成立すると、クライエントは無意識レベルから能動的に動きを開始し、やがて建設的な変化が生じるものとするセラピスト側の信念である。面接中は、メタファー、ホットシート、ロールプレイ、パラドキシカルな助言、宿題法といったテクニカルな技法から、察した深い感情の代弁、インナーチャイルドへの問いかけ、無条件の存在価値の語りかけ、クライエントの沈黙を守りぬくといった徹底受容を貫くなど、型にはまったカウンセリングとはならない。このような関係性がすでに初回面接の段階で形成され始めるために、長谷川が担当したカウンセリングではクライエントの通所意欲が高まり、クライエント側の理由による中断は稀となっている。ただし、この理念と姿勢を習得することは非常に困難で、大学院生や若手の臨床心理士を訓練し育て上げることには苦労をしている。
カウンセリングでは、虐待の後遺症に苦しむ青年期のケースを多数扱い、その対応の困難さから、逆に児童虐待への関心を急速に高めていく。虐待の心理を理解するために対象関係論に大きな関心をもち、原始的防衛機制[13]への対処に苦慮する。近年は、支援体制が整っていない犯罪者の更生、児童虐待やドメスティックバイオレンスの加害者への心理療法に積極的に取り組んでいる。 2000年に、米国アリゾナ州を拠点とし、犯罪者や依存者の社会復帰を支援する「アミティ」という民間非営利団体招聘の呼びかけ人となり、4月に開催された岐阜でのイベントでを主催した。40歳になった1999年に岐阜家庭裁判所の調停委員になったが、多忙を理由に2年後に辞退した。
犯罪者との心理臨床を積むにつれて、その存在が法曹界の知るところとなり、1999年頃より、全国から事件の鑑定や意見の依頼が入るようになった。最初に取り組んだ事件は少年事件であり、付添人となって少年の生い立ち(被虐待経験)と犯罪の関連性を丹念に調べ、その要旨を「法学セミナー」(日本評論社)に書いた。
その後の刑事裁判における心理鑑定を遂行するにあたり、名古屋弁護士会に所属する金岡繁裕[14]との協同が与えた影響は大きく、これまで裁判所が実施しようとしてこなかった情状鑑定をいくつか担当している。弁護人から、鑑定終了後に被告人の態度が前向きに変化しているとのコメントが入ることがあり、更生的要素も含まれていると考えられている。また、同じく臨床心理士の立場から鑑定を手掛ける元家庭裁判所調査官で現日本福祉大学副学長の加藤幸雄や、神戸連続児童殺傷事件の少年Aの判事を担当し現在は弁護士活動を行っている井垣康弘との親交がある。
業務多忙により慢性過労状態に陥り、2007年度からは個人研究室専属の助手、野田仁美(臨床心理士)の雇用が認められ、鑑定業務等の補佐、学生のスーパービジョン等の専門的業務や、研究室での事務的対応等に当たっている。
[編集] 家族
旧都市銀行(東海銀行)に勤務する父親(岐阜県美濃加茂市出身)と専業主婦の母親(長野県上伊那郡出身)の元で、長男として誕生した。翌年5月に弟が生まれる。現在は実家から離れ、妻、長男、長女の4人で暮らしている。
弟の長谷川信次(1960年 - )は、東京に在住し、早稲田大学社会科学部の教授を務めている。
[編集] 鑑定人(臨床心理士)として関与した事件
[編集] 担当した主な事件
刑事裁判において、裁判所や弁護士からの依頼により、臨床心理学的な鑑定、すなわち情状鑑定、供述心理鑑定、犯罪心理鑑定、性格鑑定を手がけている。なお、検察から依頼された簡易鑑定等は行ったことがない。臨床心理学的な手法では、丹念に生育史を辿りながら犯行との関連性を検討するために情状面を訴えることにもなり、検察官の意向とはそぐわない性質をもつ点は否めない。長谷川がこれまでに担当した主なものに、以下が挙げられる。
- 大阪自殺サイト連続殺人事件
- 秋田県藤里町連続児童殺害事件(秋田小1男児殺害事件)
- 木曽川長良川連続リンチ殺人事件
- 千葉県連続放火殺人事件
- 愛知県豊川市男児連れ去り殺人事件
- 愛知県小牧市保冷車死体遺棄事件
- 愛知県藤岡町せっかん死事件
- 香川県連続放火事件
- 愛知県岡崎市ホームレス連続襲撃殺人事件
- 長野県松本市誘拐強姦事件
- 愛知県連続わいせつ事件
- など。
[編集] 大阪自殺サイト連続殺人事件
2005年、練炭心中を装い、3人を次々と窒息させて殺害した事件。一審で実施された精神鑑定書の検証を依頼され、その重大な欠陥が判明して被告との接見を始める。長谷川は「精神鑑定書への意見書」を提出し、2006年12月の証人尋問においても再鑑定の必要性を訴えたが、公判期日の変更はしないとの理由で却下される。2007年3月28日、求刑通り死刑判決が下る。弁護人は即日控訴。
判決後、長谷川は被告人から「どうして僕がこんな事件を起こすようになったか徹底的に調べて、再発防止のために役立ててほしい。実名公表を含めすべて任せます」と依頼され、調査にかかる。「先生が調べ終わるのに、どれくらい時間がかかりますか? それまで控訴取り下げは延期します」と言い、最初から死刑を受け入れることを表明していた。2か月間に23回の面会を行い、被告から29通の手紙を受け取り、事件の原因解明に至る。その中には公判でまったく取り上げられていない重大事実が多く(発達障害と虐待の関連性)、窒息や白いスクールソックスへの興奮についても合理的説明ができたとしている。長谷川は被告の意向を受け、単行本(講談社)として執筆中である。
分析が終わったことを告げた翌月の2007年7月5日、被告は控訴を取り下げ、死刑が確定する。長谷川は被告人の持つ生来的な精神障害を理由に、弁護人とは別に「控訴取下げの無効」の上申書を提出した。
[編集] 秋田児童連続殺害事件
2006年4月と5月に、2人の小学生が遺体で発見された事件。初動捜査やメディアスクラムなどの問題で議論が勃発する。一審では、1人の殺意を認定せず、無期懲役の判決だった。長谷川は控訴審へ向けて被告の鑑定を行うが、2008年9月25日開始の控訴審進行中のため詳細は内容は公表していない。控訴審の被告人質問において、被告は「記憶がない」「わからない」の答弁を繰り返し、一審よりも証言を後退させており、解離性健忘との関連でその供述の信ぴょう性が争点となっている。現在長谷川は、被告人との面会と書簡の交換を続けている。
[編集] 愛知県豊川市男児連れ去り殺人事件
2002年7月28日深夜に生じた事件。2003年4月13日に任意で事情聴取を行った男性が自白をし、15日に逮捕。当初から自白の信用性が争点となった裁判。長谷川は心理鑑定の結果「自白は信用できない」と主張し、2006年1月24日の名古屋地裁は無罪判決を下した。2007年7月6日の控訴審判決は、一審判決を破棄するもので懲役17年の逆転有罪を言い渡した。最高裁判所へ上告したが、2008年10月2日までに上告は棄却され、有罪が確定した。
[編集] 情状鑑定研究会の立ち上げ
全国規模の研究会を、現在、準備中である[15]。情状鑑定は、刑事訴訟法中にも記載がなく、何を調査することを目的としているかすら明確になっていない。また弁護士の中には「うちの県では実施されたと聞いたことがない」と言う者も多く、日本におけるこれまでの実績すら判然としていない。長谷川が担当した情状鑑定の中に、「責任能力に大きな疑問がある」との主張から、公判前整理の予定を修正して精神鑑定を新たに追加実施したケースもあり、その意義について議論を重ねる必要がある。
[編集] 臨床心理士による診断名の使用
刑事訴訟法上、鑑定人は「識者」と記載されているのみである。したがって精神鑑定を行う資格のある職種は医師には限らない。実際に心理学者が精神鑑定を行ったケース[16]もある。ただ問題となるのは、医師法による制限である。国家資格には「業務独占」のルールが伴っており、診断行為と治療行為を行えるのは医師に限ると考えねばならない。そうであれば、医師以外の識者が、鑑定書の中で診断行為を行ってはならないという結論にたどりつく。
しかし診断行為という営みが何を指すのかについては曖昧さを残している。患者に対して「あなたは〇〇性障害です」と宣告するのは当然診断行為である。では、鑑定書の中で「被告人は〇〇性障害を有する疑いがあるので、専門医による確定診断が必要である」と記すのはどうだろう。これは診断名を用いてはいるが、診断行為をしているといえるだろうか。「DSM-IVによれば、〇〇性障害に該当すると思われる」という書き方も微妙である。知能検査を実施し、その得点から「被告人は中等度の精神発達遅滞を有する」と明言した場合は、検査の得点から自動的に引き出される結果なので、違法性は低くなると考えられる。
長谷川の鑑定書および意見書は、初期の頃は「被告人に疑われる精神障害は、〇〇である」と書き、場合によってはその精神障害と責任能力の関連にまで言及していた。最近は「可能性」「疑い」という言葉とともに診断名が用いられ、専門医による鑑定を促す書き方へと変わってきている。司法上の鑑定の場合、業務独占の基準でグレーゾーンが広く、放置されているともいえる。
ちなみに、臨床心理士の間では従来は診断という表現を多用していたが、現在では心理査定(心理アセスメント)に置き換わっている。法律上の制約の影響もあるが、適切な検査を組み合わせて実施し、面談によって確認しながら、正確・客観的に心理的問題の把握を行うプロセスを重視する表れであると考えたほうがよい。臨床心理士は、アメリカ精神医学会による「精神障害の診断と統計の手引き((Diagnostic and Statistical Manual of Mental Disorders: DSM-IV-TR 第4版改訂版 2000年)」や世界保健機構(WHO)による「疾病及び関連保健問題の国際統計分類 (International Statistical Classification of Diseases and Related Health Problems :ICD-10 第10版 1990年)」 なとの国際的な標準診断法に精通していることが期待され、クライエントに直接伝えることは一般にしないが、ケース会議等では医師が使用するものと同じ診断名を用いて議論を行っている。以上、診断をアセスメントと言い換えたとしても、実際の診断行為の「行為」とは何かについては議論の余地が大きいし、使用する分野によってもそれは異なるようである。
医師に限定される「治療行為」についても、カウンセリングや心理面接には治療的側面が入っていることは否定できず、名称を使用しないだけで実態はどうなのか、やはり曖昧である。現在でも、ケース報告やケース検討会では、セラピストや治療者と呼ぶ場合は多く、それを直訳すると「セラピー(治療)を行う者」になる。
[編集] 死刑囚等との接見
裁判所等依頼の鑑定を目的とせず、独自に接見を行った被告等に以下のものがある。なお、長谷川は死刑廃止論・死刑存置論には一切言及していない。
- 大阪教育大学附属池田小事件 死刑執行2004年9月14日
- 東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件 死刑執行2008年6月17日
- 奈良小1女児殺害事件
- 光市母子殺害事件(未決)
[編集] 大阪教育大学附属池田小事件
2001年6月8日に発生した歴史的にも悲惨な事件。 2003年8月28日に大阪地方裁判所で死刑判決が出され、弁護人が即日控訴したが、被告人は当初から「自ら控訴を取り下げる」と明言していた。被告は法廷で遺族感情を逆なでするような暴言を繰り返し、退廷命令が出されることもあり、謝罪の意をまったく表明していなかった。長谷川は臨床心理学的な接見によって被告の真意を探ることを目的とし、弁護人の1人であった戸谷茂樹(大阪弁護士会)と協同して接見禁止処分となっていた被告との面会を求めた。大阪地裁および高裁は「接見禁止の一部解除願い」を認め、同年9月5日と12日に面会を行った。当時、メディアは「臨床心理士が控訴を取り下げないように説得」と報道したため、2chなどでバッシングを受ける。 26日に被告自ら控訴を取り下げ、死刑が確定した。確定後、長谷川は大阪拘置所に対し継続的な特別面会を上申し、監獄法改正前としては異例の許可が下りる。死刑確定後13回の面会を行ったあと、2004年9月14日に、確定後約1年という早さで刑が執行された。当日、長谷川は大阪司法記者クラブで会見を開き、執行前に聞いたこととして以下の言葉を公表をした。
- 「子どもたちには何の罪もない」
- 「自分が子どもの立場やったら、無念やったろうなぁ」
早期執行の背景として、長谷川は「刑事訴訟法475条が関係している」と発言するのみで、詳細は語ろうとしない。
[編集] 東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件
1988年8月から1989年にかけて発生した事件。被告は、母親以外の面会を一切拒否していたが、最高裁判断(死刑確定)の直前に長谷川に宛てた手紙の中で「面会してもいいでしょう」と書き、上告棄却前日の2006年1月16日から連日のように東京拘置所で8回の面会(この中で言語連想検査を実施)を行った。本人は面会希望の理由を「精神鑑定をしてほしい」と語ったという。長谷川はTBS報道特集の取材に応じ、性欲動機説に否定的な見解を述べた。この中で「昔に戻って、(死んだ)おじいさんと遊びたい」「私はふつうの優しい人間だということを伝えてほしい」と、何度とも語ったと話している。
[編集] 奈良小1女児殺害事件
2004年11月17日に生じた痛ましい事件。2006年9月26日、奈良地方裁判所は死刑判決を言い渡した。自ら控訴を取り下げる10月10日までの間に、奈良少年刑務所で2回の面会を行った。長谷川は「被告は鑑定書の内容と判決理由には納得していない」「償いのために、(被害児の)命日までに死刑執行をしてほしいと繰り返した」ことを、司法記者クラブで公表した。現在、新たな弁護人によって「控訴取下げの無効」を訴える手続きがとられている。
[編集] 光市母子殺害事件
2008年4月22日の差戻し控訴審で死刑が言い渡された。検察と弁護団(団長は安田好弘:東京第二弁護士会)の主張がまったく違っているとして、事件事実調査のため、6日後の28日に広島拘置所で1回目の面会を行う。その後、本田兆司主任弁護人(広島県弁護士会)と協議を行ったが、現在の本人との接触状況については、非常にデリケートな局面を迎えているとして公表していない。遺族の本村洋とも連絡を取り、真実追求活動と真実の公表に対する賛同を得ている。また、弁護人を解任された今枝仁(広島県弁護士会)とも連絡を取り合っている。これまで被告の元少年に対して弁護側の私的鑑定しかなされていないため、長谷川は最高裁判所に対して「正式鑑定の必要性」を訴える上申書を提出している。
[編集] 自ら死刑を確定させた被告
長谷川がかかわった被告で、一審で死刑判決が言い渡され、弁護人の控訴を取り下げて死刑を確定させるケースが続出している。ここに記した事件では3名が該当し、現在進行中の裁判においても被告は無期懲役判決を不服とし、死刑を願い出ている。この動向に対し、死刑制度が合法的な自殺幇助の役割を担っているのではないかとの議論が持ち上がっている。長谷川は「法律は自分の専門領域ではないのでノーコメント」との姿勢を貫いている。
2008年に入ってから、秋葉原通り魔事件の容疑者が「死刑になりたかった」と動機を語ったように、同じような供述をする犯罪者が増加している。長谷川は「人生に終止符を打ちたい人間が、自殺をためらい、死刑判決が予想される事件を起こし、社会への復讐を兼ね、世に名を残すかたちで犯行に及ぶのではないか」と、いくつかのテレビ番組で解説している。これら犯罪の傾向と、自ら控訴を取り下げて死刑を確定させる事例の続出との間に、関連性があるという考え方をしているが、議論の余地が残されている。
[編集] 被害者支援
犯罪やDVの被害者支援への関心も高い。一時期、ある全国犯罪被害者の会(NPO法人)の理事を務めたこともあるが、現在はこの会には関与していない。DVの分野では、「歩み出した女性の会」(岐阜)の顧問を務め、困難なケースのアドバイスや支援者養成、デートDVの啓発を行っている。加害者側に立っているとの誤解を一部に与えているが、専門性に対する依頼に応じているのが実際であり、実際に犯罪被害当事者や、家族内殺人事件の遺族のカウンセリングなども手掛けている。2005年に高知県の某高校で、授業中に級友を刺傷させた事件直後には、学校と連絡を取りながら現地へ飛び、授業を担当していた女性教諭がPTSDを発症しないためのカウンセリング(危機介入)も行った。
前項に紹介したような加害者への接見に際しても、被害者や遺族とコンタクトを取りその心情への配慮を伝えることに努め、稀ではあるが被害者側の支援につながるケースもみられる。
被害者支援に取り組みながら、長谷川自身も、家族が「強盗傷害事件」の被害者になっている。
[編集] 児童虐待の親支援
[編集] 親子連鎖を断つ会の主宰
子どもを虐待する親の支援を行うために、1999年2月に「親子連鎖を断つ会」を設立し、現在も主宰者としてボランティアで活動を続けている。活動の内容は、毎月一度実施される「グループセラピー」と、会員のみが閲覧・書き込みできる掲示板での情報交換である。自助グループではなく、臨床心理士数名のスタッフにより運営がなされている。会費は無料であり、入会と退会は、会則に則り原則自由である。様々な危険性を排除するため、会員個人同士の接触は強く禁じている。
会員になる資格は、「子ども時代に虐待を受け、現在は親の立場で子どもに虐待してしまう人、もしくは子ども時代に体験したことが影響して、結婚に対して強い不安を持つ人、自分の親との間で抗争が続いている人」で、「世代連鎖(世代間伝達)[17]を認識し、それを断つという目的意識をもつ人」である。北海道から沖縄県にまで、200人ほどの会員が登録されている。
2007年にニュースレター方式から掲示板に転換したところ、会員間のリアルタイムな書き込みが激増し、修了会員[18]や回復の後期にいる会員が助言を書き込んだりと、自助性が高まっている。
[編集] 他機関との連携
児童相談所との連携も行い、児童相談所から親ケアを紹介されたり、職員への研修を行ったりしている。さらに1995年に弁護士が中心となって結成された民間の組織CAPNA(子どもの虐待防止ネットワーク・あいち)[19]との連携も進めている。反対に、親子連鎖を断つ会を通じて子どもへのリスクが極度に高まったことが把握された場合、児童虐待防止法に則り、事故予防のために児童相談所に情報提供(通告)することもある。
虐待の親に対する心理カウンセリングの第一人者であり、医学関連学会においても基調講演を行っている。日本小児救急医学会(2003年)、日本行動医学会(2008年)。その他、全国各地で子どもの虐待防止に関する講演を行っている。
[編集] メンタルフレンド活動の展開
[編集] 地域貢献性
日本において、民間でメンタルフレンド活動を積極的に展開してきた第一人者と位置づけられる。 メンタルフレンドとは「心の友」であるが、もともとは不登校の子どもたちの家庭を訪問し、心を通い合わせる友達となることによって、子どもの自尊心向上と、その結果としての社会性の発達を目指すものであった。最初から学校復帰を前面に出して取り組まない。子どもたちの中には大人の臨床心理士には警戒するが、大学生という素人の「お兄さん・お姉さん」に対しては同世代と受け止め、初期の人間関係が形成されやすいという大きなメリットがある。
長谷川は、大学生らの「子どもの役に立ちたい」との熱意に押され、1997年6月に「心理臨床グループ」という学内組織を立ち上げた。心理学を専攻する学生に限定して、毎週90分の研修を行い、子どものためになるメンタルフレンドの育成に努め、同年12月から派遣を開始した。2000年には、それまでの実績をまとめた単行本を出版し、学生のテキストとして使用してきた。その後、活動が多岐に渡り、地域での知名度も高まり、東海学院大学の正式な授業科目となっている。単位が与えられるのは1年間だけだが、卒業まで継続して活動を続ける学生は多く、2008年度の登録学生は、心理学科の1年生から大学院生、卒業生まで含めて110人程度になる。単なるボランティアと違い、臨床心理学的な訓練を行っている点は特筆すべきである。
現在、家庭訪問だけでなく、公立・私立の学校、いわゆるサポート校、適応指導教室、児童養護施設、母子生活支援施設、地元警察署とも連携して、それら施設にも訪問している。訪問するたびに学生は報告書を提出することが義務づけられている。児童相談所などの公的機関からも紹介されてくるケースが多い。
地元の岐阜中警察署との連携はとくに強く、同警察署の少年警察ボランティア(補導員)の三分の一近くに相当する27人は、このグループの学生の中から委嘱されている。5年連続委嘱を受けて警察署長賞を受ける者も出ている。少年補導ボランティアに大学生を移植する動きは全国的に見られるものであるが、他の地区では複数の大学から募集して集め、人数もまだ少ない。毎年、代表者が全国集会に出席している。
[編集] 自己成長性
メンタルフレンドとして登録した学生は、子どもたちへの支援だけを目的としていない。大学1年生から4年生、大学院生、研究生が所属しているため、ここに縦の人間関係が自然発生し、先輩が後輩に目を配りアドバイスをしたり相談に乗ったりするという自助性を生んでいる。毎週の研修内容は、子どもとのかかわり方を学ぶだけでなく、自己を見つめ、感じ、表現し、伝え、理解される体験も取り入れ、感情と向き合いながらSST(ソーシャルスキルトレーニング)も行われている。毎年夏季休暇中に、山村で2泊3日の合宿を実施し、班を構成してエンカウンターグループ等、自己理解を目的としたプログラムを実施している。一部、自己との直面に困難をきたし、グループへの登録を中途で解除せざるをえない学生も出ている。
[編集] カウンセリング
[編集] 個別カウンセリング
カウンセリングは東海学院大学大学院附属の心理臨床センター心理相談室で受け付けている。ただし、長谷川を指名した申込や問い合わせが多く、新規のカウンセリングを受けることは実際不能な状況になっている。数週間で40件程度の申し込みがあったこともある。代わりに、同僚の臨床心理士10名以上や、教員の指導のもとで臨床心理士を目指す大学院生が、相談に応じている。
数年前までスクールカウンセラーを行っていた[20]が、多忙のあまり辞退した。学校に派遣されるスクールカウンセラーに関連して、臨床心理士によってスキルに大きな差があることを問題視し、「臨床心理士資格取得=実力の保証」ではなく、十分に訓練を積んだ者が担当すべきとの発言を、研修会等で行っている。
個人カウンセリングではないが、長谷川がディレクターを務める(財)こども教育支援財団(文部科学省認可)のクラーク記念国際高等学校名古屋校の「元気の泉」で、2、3か月に一度のペースで、「親の会」に参加し、20人程度に定員を絞り、グループカウンセリングを行っている。ここでは個人的な、かなり踏み込んだやりとりがなされている。
カウンセラーは「相談室にいて予約クライエントを待つ」というスタイルが一般であるが、長谷川の場合は自ら現場に足を運び、当事者との信頼関係を結び、真実を明らかにし、癒しに尽力するという、ワーカー型カウンセラーの顔をも持っている。
[編集] 東ちづるのカウンセリング
女優である東ちづるのカウンセリングを行い、カウンセリングの逐語録等を載せた単行本」[21]が発行されている。カウンセリングのきっかけは、NHK教育の放送番組「週刊ボランティア」[22]。(テーマはメンタルフレンド)で、東ちづるが司会者、長谷川博一がゲスト出演した際に、楽屋で生じたやりとりにあると、本書中に東ちづる本人が書いている。なお、この日の番組コメンターは、評論家の宮崎哲弥だった。
東は、カウンセリングを振り返る企画番組として、「徹子の部屋」(テレビ朝日)、「私はあきらめない」(NHK)、「いつみても波瀾万丈」(日本テレビ)等に積極的に出演している。
カウンセリング継続期間中は日程調整以外は一切連絡をとらなかったが、終結後は食事を共にしたりして、メル友となっている。
他にも著名人のカウンセリングを行っているが、クライエントの意向により公にはしていない。
[編集] アダルトチルドレンをめぐって
東ちづるが、自らをアダルトチルドレンと名乗ったことから、長谷川はアダルトチルドレン (AC) 専門のカウンセリングを行うとの情報が広まった。全国から AC のカウンセリング依頼が殺到するが、特別にそれを専門としているわけではない。長谷川の著書等に、子ども時代の「感情を解放する」という手法をとることが記載されており、ACや被虐待者を積極的に担当してきたのは事実である。
なお、アダルトチルドレンは正式な診断名ではなく、「子ども時代に機能不全家族の中で育ち、自分らしく生きられず、大人になってから生きづらさに苦しむ人々」を表す通俗的な呼称である。また、精神科医や臨床心理士の中でこの概念を用いることの否定的な見解は多く、安易に使用すべきでないとの考えもある。
長谷川は「自分が悪いんじゃなかった」という前提から始まる概念である点を重視し、カウンセリングを受ける人にとって有効な場合は使用するとの立場をとっている。
[編集] 警察署との連携
1999年に岐阜県警察本部が設置した「被害少年サポーター」事業において、岐阜中警察署のサポーターを10年間を務めている。少年補導ボランティアの副会長も兼任している。 またこの間、岐阜中・北・南署犯罪被害者支援ネットワークの会長職の委嘱を受けていた時期もある。その他、警察学校での研修や、警察官への講和を何度か行っている。岐阜県警察本部の科学捜査研究所(科捜研)との親交もある。
[編集] いじめへの対処
いじめに関しては、加害者と被害者が明確に区分できない特質もあり、とちらの立場であってもクライエントの側に立って事実を把握し、学校への働きかけをすることが多い。学校から教師が数名訪れたり、長谷川のほうから訪問したりして話し合い、教師の把握の程度、認識の質、取り組みの意欲を判断する。多くの場合、当事者はいじめとして訴えているが、学校はいたずらやからかいと捉え、いじめとして報告・対処をしていない。まず学校がいじめと認定して調査、再発防止を図るように、考え方を改める契機を作っている。ときに、加害者と被害者の保護者を交えたグループカウンセリングを行うこともある。加害者とされる側の親には、基本的に、それが子どものSOSのメッセージであり、「けっして叱らないように」「聴くように」という助言を行っている。
いじめにより自殺した生徒の保護者のケアに当たったこともある。また、いじめへの対応に悩む教師の相談にも乗っている。
[編集] マスメディアへの姿勢
犯罪や児童虐待、しつけの問題を中心に、テレビ・新聞等の取材依頼には実践型識者として積極的に応じている。真実追求主義を自ら名乗り、「社会の誤解を解きたい」「予防型社会を作りたい」とその理由を語っている。長谷川のコメントに対して、視聴者の反応は賛否両論に分かれることがしばしばあり、それはネット上の各個人ブログで確認できる。フジテレビの「とくダネ!」やTBSの報道特集には、何度もスタジオもしくはVTR出演している。NHKクローズアップ現代では、リストカットのテーマで出演した(2004年1月26日)。
その他、主に重大事件に関して、自らが知り、社会に広く情報提供をするとが望まれる事案に関して、記者クラブで会見を開いたことが何度かある。被告や死刑囚等、個人情報については、本人に「情報公開への承諾・賛同」を得るステップを踏んでいる。ただし、裁判所の職権で行う鑑定に関しては内容を公表しない、弁護人依頼の鑑定については弁護人と被告人の意向を尊重するという、自己ガイドラインを設定している。
マスメディアでの発言への積極的な姿勢に対し、一部から批判の声が上がっているのも事実であり、これまで国が情報統制を行ってきた領域において、「守秘義務」と「知る権利」をめぐって、今後も議論は続けられていく。
[編集] 講演活動
全国からの講演や研修の依頼が多い。内容は、子育て、児童虐待、人権、少年犯罪に関するものが主である。日程の都合から、それらの一部を引き受けている。
子育てや教育に関して、「子どもは子どもらしく、伸び伸びと、内発的動機(好奇心)に従って主体的に動き、喜怒哀楽の感情を体験し受け入れることによって自尊心が培われる。試行錯誤が必然的に生じ、困難への直面や対人的衝突を通して自己解決能力と社会性も育まれる」、「親や教師が力を行使して巧みに導いたり、失敗には罰を与えて律するなど論外」と語り、いわゆるしつけについては「大人が子どもをしつけるものではなく、子どもが大人を観察しながら自ら身に着けていく能動的な営みである」とし、徹底した子ども・個性尊重主義を貫いている。
いわゆる「よい子」は、大人の視点から見たものに過ぎず、期待通りに育っている、手のかからない子で助かるという、コントロールされた結果であり、場合によっては思春期以降に破綻をきたすおそれがあると警告する。このような信念の背景に、これまで犯罪や虐待の加害者の声に傾聴してきたことが影響している。
しつけを否定する一方で、そうする親たちに対しても理解を示し、原因の一つとして、親の子ども時代のしつけられ方や境遇との関連性を指摘している。講演では、親が囚われている過去性に焦点を当てており、聴衆に対し、親が無条件に自分の存在価値を認めるような言葉を投げかけている。その結果、子育て講演を聞きに来た親が、自分自身を振り返り、過去の呪縛から解放されるような感覚を経験し、癒しの効果がもたらされるとの感想が多く寄せられている。
犯罪や虐待、自殺等の重いテーマに関しては、個人情報保護に抵触しない範囲内で、長谷川が直接かかわったケースや特別に入手した情報をパワーポイントで映写しながら事実を述べ、現代社会病理の根深さを訴えている。マスコミを通じて公にされているものと真実のギャップが大きく、また提示される映像も生々しいものが含まれ、聴衆はかなりの衝撃を受けるが、その後、価値観や視点が変わる機会になったとの声が多い。
行政等が定期的に行う啓発活動に対しては「茶番」と断罪し、社会を動かす立場にいる人々の本音から変化していかないと何も変わらない、隠蔽と保身に躍起になっているようでは終わりだ、と手厳しい。
[編集] 現在の所属学会
- 日本心理学会
- 日本教育心理学会
- 日本心理臨床学会
- 日本犯罪心理学会
- 日本健康心理学会
- 日本パーソナリティ心理学会
- 日本子どもの虐待防止学会
- 日本催眠医学心理学会
- 法と心理学会
- 日本臨床催眠学会
[編集] 脚注・出典
- ^ 大学内の研究室を「心理臨床研究室」と呼び、臨床心理士の資格を持つ助手と、大学院生らで運営されている。
- ^ 保護者参観日で「将来、何になりたいか」を問われて「総理大臣」と即答した、というエピソードがある。
- ^ 当初、関西弁がクラスの笑い物になったが、間もなく標準語に変わっていく。この年のバレンタインデーには、チョコレートを10個以上もらったという逸話がある。
- ^ ここで体験した「教師による生徒支配」も、現在の独自の「しつけ理論」を支えている。
- ^ のちに、この教師の授業中の罵声を隠し録りした後輩がテープをテレビ局に持ち込み、放映されて社会問題にまで発展した。愛知県立平和高等学校の教頭に栄転してから、校則違反の生徒を校門から外へ締め出す行為を実践し、持論を公言して話題になった。
- ^ これまでに観光目的で出かけた国は、アメリカ(西海岸・中南部・ハワイ)、カナダ、メキシコ、オーストラリア、シンガポール、イギリス、フランス、スイス、オランダ、ベルギー、ルクセンブルグ、ドイツがある。
- ^ ユング心理学に惹かれた旨を話をしたところ、山中は「実はね、僕は周りからユング派と言われているんだよ」と言われ、ひどく驚いたという。
- ^ 『バウムテストに表わされる向性についての実証的研究』
- ^ 『感覚的に遮断されたターゲットのゲスに関する研究-PMIR理論に基づいて-』
- ^ 名古屋大学大学院後期課程における研究としてはふさわしくないと判定されたため。
- ^ 当時は、ピロリ菌除菌という治療方法が確立されていなかった。
- ^ 「FCR面接を用いた3事例の検討」催眠学研究、日本催眠医学心理学会。
- ^ スプリット(分裂)、否認、投影的同一視、原始的理想化等が知られている。
- ^ 名古屋南部法律事務所。「再犯のおそれを考え、関わる」と題する論文で、第3回季刊刑事弁護新人賞優秀賞を受賞した(2006年)。
- ^ 詳細は長谷川博一公式サイトを参照のこと。
- ^ 宮崎勤の3種類の精神鑑定書(正式鑑定)の一つは臨床心理学者によるものだった。
- ^ 「世代連鎖はしない」と断言する専門家もいる。
- ^ 世代連鎖を克服したと自覚し、家族関係にも変化が生じ、主宰者がそれを認めた者。
- ^ 1999年に「名古屋弁護士会人権賞」を受賞。2001年に「2000年朝日社会福祉賞」を受賞。初代理事長であった祖父江文宏が2002年に逝去後、弁護士の岩城正光が後任を務めている。
- ^ 県の派遣事業で務めた後の6年間を岐阜県可児郡御嵩町の独自予算で個別契約し、3中学校と4小学校を受け持った。
- ^ 『<私>はなぜカウンセリングを受けたのか-「いい人、やめた!」母と娘の挑戦』マガジンハウス、2002年
- ^ この番組はすでに放送打ち切りとなっている。
[編集] 主な著作
- 『親と子の気持ちを結ぶ 魔法のしつけ』 PHP文庫、2008年
- 『わが子の気持ちがわからない-思春期の子育て-』PHP文庫、2008年
- 『あなたはダメな子じゃない-「私の子育て失敗かも……」というお母さんのためのマニュアル-』主婦の友社、2006年
- 『お母さんはしつけをしないで』草思社、2005年
- 『新版 子どもたちのかすれた声-キレる深層心理を読み解く-』樹花舎、2005年
- 『断ち切れ! 虐待の世代連鎖-子どもを守り、親をも癒す-』樹花舎、2004年
- 『あのとき、本当は……-封印された子どもたちの叫び-』樹花舎、2004年
- 『カウンセリングマインドの重要性-学校臨床の現場から-』樹花舎、2004年
- 『よい子になりたい-少女の心に棲みつく悪魔-』樹花舎、2003年
- 『たすけて! 私は子どもを虐待したくない』径書房、2003年
- 『しつけ-親子がしあわせになるために-』樹花舎、2002年
- 『<私>はなぜカウンセリングを受けたのか-「いい人、やめた! 母と娘の挑戦-』マガジンハウス、2002年
- 『こんにちは、メンタルフレンド-ひきこもりの子どもの心を開き、家族をも開く支援システム-』日本評論社、2000年
- 『たましいの誕生日-迷えるインナーチャイルドの生きなおしに寄り添う-』日本評論社、1999年
- 『子どもたちの「かすれた声」-スクールカウンセラーが読み解く「キレる」深層心理-』日本評論社、1998年

