金槿泰

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内検索
金槿泰
김근태
Kim Keun-Tae.jpg
生年月日 1947年2月14日
出生地 アメリカ合衆国の旗 南朝鮮京畿道富川市
没年月日 2011年12月30日(満64歳没)
死没地 韓国の旗 韓国ソウル特別市
出身校 ソウル大学校
所属政党 新政治国民会議新千年民主党ヨルリン・ウリ党民主党
配偶者 印在謹
公式サイト 金槿泰ブログ

任期 2004年7月1日 - 2005年12月31日

任期 2006年6月10日 - 2007年2月14日
テンプレートを表示
金槿泰
各種表記
ハングル 김근태
漢字 金槿泰
発音: キム・グンテ
日本語読み: きん きんたい
ローマ字 Kim Geun-tae
テンプレートを表示

金 槿泰キム・グンテ1947年2月14日 - 2011年12月30日)は、韓国の政治家、国会議員。盧武鉉政権与党であったヨルリン・ウリ党の元議長。ソウル大学校経済学科卒。

生涯[編集]

1970年代から1980年代にかけて民主化運動に従事し、指名手配、投獄、拷問といった弾圧を相次いで受けている。その後、1995年に民主党に入党した後、金大中が創党した新政治国民会議を経て1996年4月に国会議員に初当選し、盧武鉉政権で保健福祉部長官を務めた。2006年5月の統一地方選挙後に、惨敗の責任を取り議長職を退いた鄭東泳の後を受け、ウリ党議長に就任した。

ウリ党内では、鄭東泳前議長らとともに、2007年12月に実施された次期大統領選挙の有力候補の一人とされていたが、同年6月に出馬を断念することとなった。2008年4月の第18代総選挙では、2月に民主党と統合して結成された統合民主党に参加して選挙に望んだが、韓国の新保守勢力であるニューライト運動の代表格で学生運動時代の後輩に当たるハンナラ党申志鎬(シン・ジホ)候補に敗れた[1][2]。選挙後、民主党の常任顧問に就任した。

2006年にパーキンソン病を発症したが、その事実を隠して治療を続けた。また2011年11月には脳静脈血栓症が発見され、ソウル大学病院に入院。12月8日、入院とパーキンソン病であることを公表した[3]。2011年12月30日、ソウル大学病院にて敗血症で死去[4]

年表[編集]

1947年2月14日京畿道富川生まれ

学歴[編集]

  • 1959年2月:京畿道楊平郡楊州国民学校卒業
  • 1962年2月:ソウル光新中学校卒業
  • 1965年2月:京畿高等学校卒業
  • 1965年2月:ソウル大学校商科大経済学科入学
  • 1972年2月:ソウル大卒業

兵暦[編集]

  • 1967年:陸軍歩兵入隊
  • 1970年8月:陸軍兵長除隊

主要経歴[編集]

  • 1971年2月:内乱陰謀事件指名手配
  • 1974年:緊急措置9号違反で指名手配
  • 1983年:民主化運動青年連合(民青連)の初代、2代議長
  • 1985年~1988年:民青連事件で拘束される。拘束された際、南営洞対共分室で電気拷問を受けた。
  • 1989年:全国民族民主運動連合(全民連)の政策企画室長、執行委員長
  • 1990年~1992年:全民連の活動で拘束
  • 1992年:「民主大改革と民主政府樹立のための国民会議」の執行委員長
  • 1993年:「民主抗争記念国民委員会」の共同執行委員長
  • 1994年:「統一時代民主主義国民会議」の共同代表
  • 1995年
    • 2月24日:民主党入党、副総裁に就任
    • 9月:「新政治国民会議」(国民会議)が創党。副総裁に就任。
    • 「国民会議」道峰甲区地区党委員長
    • 赦免復権
  • 1996年4月:第15代総選挙。第15代国会議員当選(道峰甲区、新政治国民会議)
  • 1997年:「新政治国民会議」の大統領選挙首都圏対策委員会共同委員長
  • 1998年:新政治国民会議の電子政府具現政策企画団の委員長
  • 1999年
    • 「国民政治研究会」の指導委員
    • 国民会議、党刷新委員会の委員長
    • 漢陽大学校行政大学院、兼任教授
  • 1999年~2000年:国際金融博覧会推進委員会の委員長
  • 2000年
    • 1月
    • 3月:新千年民主党16代総選ソウル地域選挙対策委員会委員長
    • 4月:第16代総選挙。第16代国会議員当選(道峰甲区、新千年民主党)
    • 5月:又石大学校兼任教授
    • 8月:新千年民主党、最高委員に当選
    • 9月:延辺大学校硬座教授
    • 10月:新千年民主党公職資金管理および金融構造改革特委の委員長
  • 2001年
    • 韓半島平和と経済発展戦略研究財団理事長(現)
    • 新千年民主党、電子去来活性化をするための法令整備政策企画団委員長
    • 新千年民主党、所得格差緩和特別委員会委員長
    • 新千年民主党、常任顧問
  • 2002年
    • 6月:8.8再補選特別対策機構委員長
    • 10月:新千年民主党中央選挙対策委員長常任委員
    • 11月:国会政治改革特別委員会委員
  • 2003年
    • 6月13日:新千年民主党経済活性化対策特別委員会委員長
    • 9月19日:国民参与統合新党院内代表
    • 10月27日:ヨルリン・ウリ党院内代表
  • 2004年
    • 4月15日:第17代総選挙。第17代国会議員当選(道峰区甲、ウリ党)
    • 7月1日:第43代保健福祉部長官就任
  • 2005年:又石大学校兼任教授
  • 2006年
    • 2月18日:ウリ党最高委員当選
    • 6月10日:ウリ党議長就任
  • 2007年
    • 6月12日:大統領選挙への不出馬を宣言
    • 8月:大統合民主新党創党発起人及び中央委員
  • 2008年
  • 2011年
    • 12月30日:ソウル大学病院にて敗血症のため死去

出典:常任顧問:金槿泰プロフィール(民主党ホームページ)を元に作成

逸話[編集]

  • 2006年10月20日開城工業団地を視察した際に北朝鮮の女性と踊りを踊った(開城ダンス事件)。北朝鮮に対する制裁決議の履行を求めてライス国務長官が歴訪中であったこと、金槿泰が国会国防委員の職にあったことなどから、批判を浴びた。金槿泰は「当時の雰囲気で仕方なかった」と釈明している[5][6][7]
  • 大学時代は社会主義に傾倒しており、日本の社会主義関連の書物を読みたいが為に、独学で日本語を勉強した。

脚注[編集]

[ヘルプ]


公職
先代:
金花中 (ko)
韓国の旗 大韓民国保健福祉部長官
第43代:2004 - 2005
次代:
柳時敏
党職
先代:
鄭東泳
ヨルリン・ウリ党議長
第10代:2006 - 2007
次代:
丁世均