藤栄道彦
| 藤栄 道彦 | |
|---|---|
| 生誕 | 1971年8月28日(40歳) |
| 国籍 | |
| 職業 | 漫画家 |
| 活動期間 | 1997年 - |
| ジャンル | 少年漫画 青年漫画 |
| 代表作 | 『コンシェルジュ』 |
| 受賞 | 第41回新人コミック大賞入選「黒鷲の仮面」(1997年) |
| 公式サイト | 独立国ソレイユ |
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藤栄 道彦(とうえい みちひこ、1971年8月28日 - )は、日本の漫画家。栃木県宇都宮市出身。男性。B型。那智正芳(なち まさよし)名義で描いていた事もあった。
目次 |
[編集] 略歴
高校卒業後、漫画家を目指し『週刊少年サンデー』(小学館)に投稿を開始。この頃から松浦聡彦に師事。
1997年、第41回新人コミック大賞で「黒鷲の仮面」が入選しデビュー。『週刊少年サンデー』増刊号に幾たびか読切を掲載したのち、新潮社に活動の場を移す。
2003年、『週刊コミックバンチ』(新潮社)に投稿した「賞金稼業」が準入選。同年秋、『週刊コミックバンチ』2003年48号(11月14日号 / 通算118号)にて『コンシェルジュ』の読切を掲載。その後『コンシェルジュ』はシリーズ掲載となり、最終的に本格連載に昇格。『週刊コミックバンチ』休刊号となる2010年39号(9月10日号 / 通算445号)まで連載され、完結した。約6年間、全21巻の長期連載となった。
連載終了後、『コンシェルジュ』は『コンシェルジュ プラチナム』と題を改め、『月刊コミックゼノン』(徳間書店)2010年12月号(創刊号)より連載を再開。また、『月刊コミック@バンチ』においても2011年4月号(創刊2号)よりオリジナル作品『最後のレストラン』を連載している。
[編集] 作品
[編集] 連載
- コンシェルジュ(原作:いしぜきひでゆき、週刊コミックバンチ、2003年48号(11月14日号 / 通算118号) - 2010年39号(9月10日号 / 通算445号)、全21巻)
- コンシェルジュ プラチナム(原案:いしぜきひでゆき、月刊コミックゼノン、2010年12月号(創刊号) - 連載中)
- 『コンシェルジュ』の続編。ただし、登場人物や勤務先であるホテルが変更されている。
- 最後のレストラン(月刊コミック@バンチ、2011年4月号(創刊2号) - 連載中)
- 2011年4月号(創刊2号)より新連載。隔月掲載。第1話に上記作品『コンシェルジュ』の登場人物、川口涼子と惣田純菜と思われるキャラがモブキャラクターで登場。
[編集] 読切
- 那智正芳 名義
- 黒鷲の仮面(少年サンデー超1998年3月25日号)
- TOP GUY(少年サンデー超2001年2月25日号)
- 超人クルセイダー(少年サンデー超2001年3月25日号)
- Dリーガー(少年サンデー超2002年2月25日号)
- バンと一本!!(少年サンデー超2002年12月25日号)
- 藤栄道彦 名義
- 賞金稼業(週刊コミックバンチ2004年4月23日号)
- SPARK!!(コミックバンチ増刊2007年1月8日号)
- 北斗賞金稼業(月刊少年ファング2007年5月号)
[編集] 人物・エピソードなど
- 両親共に教員であり、その関係で教職員の知り合いも多く、『コンシェルジュ』17巻収録の109話「存在理由」が故郷の宇都宮で話題となり、中学校の教員向け教材として使われた事がある。なお、本人は教職者向きの性格ではないのでその道には進まなかったとの事(以上、すべて『コンシェルジュ』20巻折り返しより引用)。
- 昭和の漫画・アニメ・特撮ヒーローものなどを好んでおり、作中に度々オマージュされた絵や背景、記述が見られる。
- 自分の意見をブログに綴ったことに読者から意見が寄せられるが、その反響内容に自分の主張を曲げず、譲らない頑固さを発揮する場合がある。その場合は自らの意見を削除ではなく訂正線を引き、その内容も読めるようにしておきながら、新たな意見を綴る手段を取ることも。沈静化するまでコメント欄を閉鎖するなどの処置を行う場合もある。
- 『コンシェルジュ』の人気が安定した頃、親に乞われ、一戸建てを購入した。
[編集] ブログ関連の騒動
2008年7月、雷句誠が『金色のガッシュ!!』の原稿紛失の件で小学館を訴えた件について、自身のブログで小学館の編集者・冠茂を擁護し、雷句の主張を鵜呑みにしてはいけないと注意を呼び掛けた[1][2]。また、雷句が編集者の悪行の例として出した酒井ようへい(漫画家、雷句の元アシスタント)の件に関して、「誰が言ったか知りませんが、こんな情けない言い訳を聞いたのは初めてです。」と、辛辣な批判を行った[3]。
この時点で賛否両論ながら批判的なコメントが多くつき、ブログ炎上の恐れが出てきたためかコメントが一部削除され、以後コメントは認証制となる。以前の投稿では雷句への直接的な批判はしてこなかったが、7月21日の投稿では、一転して苛烈に攻撃。「陳述書の中でもっとも横暴な編集者像が、捏造してもまったく火の粉が雷句さん側にかからない部分で描かれているんです。」「雷句さん側のやっていることは、漫画界のためなんかではありません。」など様々な点で雷句を激しく批判した[4]。
しかし、あまりに批判が大きかったためか、精神に支障をきたしたかのような投稿が7月22日になされる[5]。この後上記の記事は削除され、“漫画家奮闘日記”改め“漫画家墓場”とブログを改名し「おれはクズ野郎だけどな、やることはちゃんとやるんだよ。」として漫画を描く作業に戻ることを報告した[6]。
この後上記の記事を削除し、コメント欄を非表示に変え、8月5日の『再開とお詫び』の投稿を持ってこのブログの騒動は終了した[7]。
