蓑輪雅夫

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蓑輪 雅夫(みのわ まさお、1943年2月16日 - )は、主に特撮テレビドラマ作品の元映画監督演出家鹿児島県出身。日本大学藝術学部卒業。埼玉県新座市在住。

経歴[編集]

1966年に卒業し、一貫してフリー助監督として務め30歳のときに1973年に『流星人間ゾーン』で監督デビューを果たす。しかしその後監督として登板する機会がなく、東映に移り『刑事くん』、『Gメン'75』、『特捜最前線』などの一般ドラマや『スパイダーマン』、『科学戦隊ダイナマン』などのキャラクターものの東映テレビプロ制作の作品で助監督を務める生活が長く続く。

1987年チーフ助監督を務めていた『大都会25時』で監督を再度担当。後続作品の『ベイシティ刑事』でも助監督を担当した後、同年より始まった『仮面ライダーBLACK』で助監督&監督。このときに初めて監督ローテーションに定着したが、蓑輪はこのとき45歳であったためかなりの遅咲きといえる。翌年のRXではメイン監督を担当するが、これは旧知の堀長文プロデューサーの意向があったとされる。その後スーパー戦隊シリーズメタルヒーローシリーズなどで監督として頭角を現すことになるが、1996年制作の『超光戦士シャンゼリオン』を最後に監督作品はなくなった。これに関して、東映側がスタッフの刷新や若返りを図ったためのリストラ政策の一環ともいわれている。

『シャンゼリオン』終了後東映が制作協力した『新幹線'97恋物語』の現場に参加しているが、これは助監督としての参加である。同番組終了後、蓑輪の消息は伝わってきていない。

エピソード[編集]

  • 参加した東映キャラクター作品では最終回を担当することが多かった(10シリーズ中実に5シリーズ)。
  • 高速戦隊ターボレンジャー』最終回は本来の『ジグザグ青春ロード』ではなく挿入歌の『DANCEときめく心』が使用されたが、これは「最終回のエンディングに合っている気がした」という佐藤健太が最終回担当の蓑輪に意見した結果である。蓑輪に佐藤が曲のテープを渡し懇願したところ、蓑輪は「考えておく」と一旦その願いを保留した。その後蓑輪は佐藤宛に年賀状をしたためたそうで、「楽しみにしておいてくれ」とだけ書き、その意見を採用したとのことである。
  • 鳥人戦隊ジェットマン』の49話のロケ現場の海岸で転倒し骨折、蓑輪は急遽入院することになった。そのため、まだ撮りきれていなかった後半部のカットを病院のベッドで書き上げ、当時まだ26歳だったチーフ助監督の渡辺勝也に任せて凌いだことがある。これにより渡辺は監督として非公式デビューできることになり、翌年の正式デビューに繋がることとなった。言葉はおかしいが、蓑輪の骨折が渡辺に幸運をもたらしたという言い方もあながち間違いではない。
  • 1995年の『ブルースワット』最終話から1996年の『超光戦士シャンゼリオン』スタートまでおよそ1年間のブランクがあるが、この間は高嶋政伸主演の2時間ドラマ『五つの顔の変装刑事!右京警部補事件ファイルE』(監督・瀬川昌治)で助監督を務めている。
  • 演出指導としては役者に対しては厳しく当たる熱血スタイルで、萩野崇がかつて語ったところによると鉄拳制裁もあったようである。また『仮面ライダーBLACK RX』に出演していた小山力也によると、オーディションのときに蓑輪に初めて出逢ったそうで「怖そうな監督だなーという印象でしたけど、撮影が始まったら実際に怖かった」そうである。

作品(監督)[編集]

テレビドラマ[編集]

★ 最終回を担当

関連人物[編集]