岡崎市制70周年記念博覧会

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
葵博・岡崎'87から転送)
葵博・岡崎'87
葵博・岡崎'87の資料
葵博・岡崎'87の資料
イベントの種類 地方博覧会
通称・略称 葵博
正式名称 岡崎市制70周年記念博覧会
開催時期 1987年(昭和62年)3月21日5月17日
会場 岡崎市岡町原山(第1会場)
岡崎地域文化広場(第2会場)
岡崎公園(第3会場)
主催 岡崎市・岡崎商工会議所・岡崎市制70周年記念事業実行委員会
プロデューサー 手塚治虫[1]
来場者数 1,409,100人[2]
テンプレートを表示

岡崎市制70周年記念博覧会(おかざきしせい70しゅうねんきねんはくらんかい)は、岡崎市において、岡崎市制70周年を記念して1987年(昭和62年)3月21日から5月17日まで開催された博覧会。「葵博」の愛称でも親しまれた。

沿革[編集]

会場への進入路として建設された市道岡藤川線。

歴史は1972年(昭和47年)に遡る。この年、トヨタ車体から岡崎市岡町原山の工場建設計画が出され、1977年(昭和52年)までに地主からの用地買収がおおむね終了した。市はそれを受け、1980年(昭和55年)から1984年(昭和59年)にかけて進入路の指導を行い、7億数千万円の起債で市道岡藤川線を建設した[3][4]。工場建設の条件がすべて整った1985年(昭和60年)夏、岡崎市とトヨタ車体の間で話し合いがもたれ、この用地を市に売却し市制70周年記念博覧会の会場とすることが決定された[5]

1985年(昭和60年)12月8日、ハクセキレイをモチーフに手塚治虫が描いたマスコットキャラクターが発表される[6]。愛称はその後、公募によって「ピーコ」と名付けられた[7]

1986年(昭和61年)1月23日、指名競争入札の結果、小原・岡崎工業・栄幹組建設共同企業体が記念博覧会会場造成工事を6億3,600万円で落札した[8]。同年、トヨタ車体が岡町原山に所有する22万3,728.8平方メートルの土地を、市が26億4,364万7,000円で購入することが市議会で承認された[9][8]。博覧会の愛称は、一般公募による応募総数303件の中から「葵博・岡崎'87」が選ばれた[10]

開催に先立ち、市はミス・コンテストを企画。1986年(昭和61年)6月15日、市・岡崎商工会議所中日新聞社の共催により、「ミス葵博」の公開コンテストが開かれた。コンテストには県内の18~24歳の女性133人が参加。4次審査まで行われ、御津町(現・豊川市)のY、岡崎市松本町のN、知立市新富のKの3人が栄冠に輝いた[11][12]

開幕[編集]

1987年(昭和62年)3月20日、岡崎市竜美丘会館で前夜祭が開催。3月21日、開会式が開催。清和会の領袖であった安倍晋太郎は両日舞台に上がり、祝辞を述べた[13][14]。会期中、ラジオ番組の生中継やテレビ局の公開録画、音楽家の演奏などが多数行われた(後述)[1]。会場のひとつであるおかざき世界子ども美術博物館では「近代絵画の流れを探って―世界の巨匠展」と「北斎・広重の版画展」が開かれ、ルノワールミレーピカソらの作品が展示された[1]。5月17日、閉幕。

同年6月4日、岡崎市制70周年記念事業実行委員会の総会で、葵博の収入は市の受託金、出展料、入場料など計25億8千万円、支出は会場費、広告宣伝費など計21億8千万円で、差し引き4億円の黒字であることが報告された[15]

これを受けて実行委員会は関係者のハワイ慰安旅行を計画。当初の計画では、メンバーは実行委員会事務局長の石原武建設部長[16]はじめ、事務局の課長補佐級以上の幹部職員7人と10人のキャンペーンレディー、事務局に出向していた岡崎商工会議所の職員など計23人。一人約20万円の旅行費は葵博経費の総務費から支出し、慰労と日光東照宮のレプリカを出展したハワイ在住の実業家、ジャック・ウジモリへの答礼が旅行目的とされた。ところが市民の間から「答礼なら少人数でいいはず」「ボランティアで力を貸した人もいるのに特定の人を慰労するのはおかしい」と批判の声が上がり、6月18日、実行委員会は旅行を市幹部7人に絞ることに決めた[17][注 1]

閉幕後、市はトヨタ車体から会場用として購入した土地を愛知県企業庁に55億286万5,000円で売却した[9]。同庁はこれを「岡崎葵工業団地」として造成。1996年(平成8年)夏、アイシン・エィ・ダブリュ(現・アイシン)がそのうち最大区画の土地を県から購入[21]。同社岡崎工場が建設された。

会場、展示物[編集]

岡崎市南公園で保存されるHSST-03

岡町原山が第1会場[22]岡崎地域文化広場が第2会場[23]岡崎公園が第3会場とされた。

2056年の岡崎市を描いたアニメーションの短編作品が製作されたり[24]日光東照宮の10分の1スケールの精密な模型(五重塔や陽明門ほか)が展示されたり、岡崎公園から伊賀川堤防まで磁気浮上式鉄道HSSTが運転されたりした[25]。磁気浮上式鉄道は博覧会の終了後、1990年(平成2年)8月31日まで約180mの軌道上を運行した後、岡崎市南公園に移され、保存展示されている[26]

主なイベント[編集]

内容は当時の広報紙に拠った[1][13][27]

月日 イベント内容 出演者
3月21日 山下洋輔&スペシャル葵オーケストラ 山下洋輔
3月29日 中京テレビ生中継「ライブらいく岡崎・葵姫コンテスト」 司会:上岡龍太郎
4月2日 CBC公開録画「天才クイズ 司会:斉藤ゆう子
4月4日 CBC公開録画「歌で見せます!葵博」 芳本美代子山瀬まみ酒井法子
4月5日 FM愛知公開録音「サウンド・オン・セレクション」 ケント・デリカット
4月8日 ミュージック・フェスティバル '87 THE GOOD-BYE
4月12日 東海テレビ公開録画「決定!カラオケ花のグランプリ」 司会:六代目 三遊亭円楽(当時、楽太郎)
ゲスト:小林幸子
4月15日 落語 二代目 三遊亭圓丈
4月16日 東海ラジオ生中継「ぶっつけワイド 司会:松原敬生蟹江篤子
4月20日 CBCラジオ「花のコンパニオン のどくらべPR合戦」
4月25日 懐かしのグループサウンズ・コンサート ザ・ワイルドワンズ
4月29日 中部電力ラブリーススプリングショー 宮崎萬純&スクールメイツ
4月30日 ラテンミュージックショー トリオ・ロス・チカノス
5月2日 ジャズスペシャルナイト 渡辺香津美MOBO-Ⅲ 渡辺香津美向井滋春梅津和時
5月3日 CBCラジオ公開録音「三菱ドライビングポップス 河合奈保子
5月3日 パリ・ダカール・ラリー・トーク 夏木陽介篠塚建次郎
5月4日 おかざき世界子ども美術博物館テーマソング発表会 冨田勲
5月5日 コロコロ東海ファミコンチャンプ大会 高橋名人
5月5日 東邦ガス・ギネスに挑戦 司会:おぼん・こぼん、ゲスト:石野陽子
5月15日 ジャズスペシャルⅠ 坂田明カルテット、佐藤允彦トリオ
5月16日 ジャズスペシャルⅡ 阿川泰子宮沢昭オールスターズ

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 記念事業の事務局長として辣腕をふるった石原武建設部長は、ボーイスカウト岡崎第1団の委員長も務めていた。ボーイスカウト岡崎第1団と同第11団は葵博のあった1987年の8月、ボーイスカウト・アロハ連盟との合同研修のためハワイに滞在するが、このとき中高生16人と大人10人が現地の訓練所でライフル射撃を体験し、石原も5発実弾を撃ったことから問題となった。愛知県教育委員会は「常識では考えられない」と石原ら指導者を非難した[18]。その後、石原は1988年(昭和63年)7月の岡崎市長選挙に浦野烋興衆議院議員の後ろ盾により立候補。中根鎭夫市長に真っ向から立ち向かったが、次点で落選した[19][20]

出典[編集]

  1. ^ a b c d 市政だより おかざき No.588 別冊 葵博岡崎'87へのご招待” (PDF). 岡崎市役所 (1987年3月15日). 2020年3月8日閲覧。
  2. ^ 岡崎市議会 昭和62年6月 定例会 06月10日-07号”. 岡崎市会議録検索システム. 2021年11月11日閲覧。
  3. ^ 岡崎市議会議事録 昭和63年9月定例会 - 09月05日 - 13号。
  4. ^ 岡崎市議会議事録 昭和60年9月定例会 - 09月20日 - 15号。
  5. ^ 岡崎市議会議事録 昭和60年9月定例会 - 09月04日 - 12号。
  6. ^ 岡崎市議会議事録 昭和60年12月定例会 - 12月09日 - 19号。
  7. ^ 市政だより おかざき No.563” (PDF). 岡崎市役所. p. 16 (1986年3月1日). 2020年3月8日閲覧。
  8. ^ a b 岡崎市議会議事録 昭和61年2月臨時会 - 02月03日 - 01号。
  9. ^ a b 岡崎市議会議事録 平成4年9月定例会 - 09月04日 - 19号。
  10. ^ 岡崎市議会議事録 昭和60年12月定例会 - 12月05日 - 17号。
  11. ^ 『中日新聞』1986年6月16日付朝刊、西三河版、10面、「葵博の華 ミス3人決まる 岡崎の中川さん 知立の神谷さん 御津の横田さん」。
  12. ^ 市政だより おかざき No.571” (PDF). 岡崎市役所. p. 17 (1986年7月1日). 2021年8月13日閲覧。
  13. ^ a b 市政だより おかざき No.589” (PDF). 岡崎市役所. p. 28 (1987年4月1日). 2020年3月8日閲覧。
  14. ^ 『朝日新聞』1987年3月19日付朝刊、「激戦地東へ西へ 県議選岡崎市選挙区 4議席に6氏が名乗り 調整できず自民公認4」。
  15. ^ 中日新聞』1987年6月5日付朝刊、26面、「岡崎市がっぽり4億円 黒字葵博」。
  16. ^ 『中日新聞』1987年4月13日付朝刊、西三河版、14面、「おはようトーク 葵博岡崎'87 事務局長 石原武さん 100万人に見てほしい」。
  17. ^ 『中日新聞』1987年6月18日付夕刊、二社、8面、「黒字葵博ハワイ慰安 幹部7人、24日から 批判に人数縮小」。
  18. ^ 『中日新聞』1987年9月10日付夕刊、二社、8面、「岡崎のボーイスカウト ハワイで実弾訓練 引率の市建設部長『友好交流で...』 中高生16人がライフル射撃」。
  19. ^ 『中日新聞』1988年8月1日付朝刊、1面、「岡崎市長に中根氏 石原氏に2万票差で3選」。
  20. ^ 岡崎の選挙記録 - 岡崎市長選挙”. 岡崎市ホームページ (2023年7月12日). 2023年10月29日閲覧。
  21. ^ 岡崎市議会議事録 平成9年3月定例会 - 03月04日 - 02号。
  22. ^ 岡崎市議会議事録 平成9年3月定例会 - 03月04日 - 02号。
  23. ^ 岡崎市議会議事録 昭和62年3月定例会 - 03月06日 - 01号。
  24. ^ 2056 未来都市OKAZAKI
  25. ^ 葵博・岡崎87 博覧会資料COLLECTION | 乃村工藝社 NOMURA
  26. ^ 新交通システム. 保育社. (1990). p. 85. ISBN 9784586508037 
  27. ^ 市政だより おかざき No.593” (PDF). 岡崎市役所. pp. 12-13 (1987年6月1日). 2020年3月8日閲覧。

参考文献[編集]

  • リバーシブル』株式会社ペーパードール。
    • 1987年1月号、特集「葵博とことんレポート」
    • 1987年5月号、特集「葵博 SEE・SAW・SEEN」