立川談笑
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
立川 談笑(たてかわ だんしょう)は江戸落語の名跡である。当代は6代目と名乗っているが、過去に談笑は4人ほど、談生を入れて6人前後確認されている。
初代 談笑(? - 文化7年12月27日(1811年1月21日))は本名を足袋屋庄八という。烏亭焉馬の一番弟子で最初は烏亭談笑。没年不詳。港区芝の正伝寺に墓石が存在する。
2代目 談笑(生没年不詳)は本名不詳。2代目菅良助が初代立川談志から改名した際名乗っていた。のち都鳥を経て2代目菅良助。
談笑(? - 1876年)は3代目立川談志(通称「花咲爺の談志」)が襲名する前に名乗っていた。立川談笑から立川燐馬を経て立川談志。没年不詳。
談笑(1862年 - 1918年5月11日)は3代目古今亭志ん生(通称「軍鶏の志ん生」)が最初に名乗っていた名跡。初代むかし家今松、5代目雷門助六をへて志ん生。享年56。
談生(生没年不詳)は4代目立川談志(通称「郭巨の釜掘り」)の門人。もり蕎麦を一時に40枚とか食べたと伝わる。そのほかの事は不明。明治10年代から20年代に存在。通称「そば食いの談生」という。
談生(1949年10月23日 - )は5代目鈴々舎馬風の一番弟子鈴々舎馬桜が真打昇進間もない頃名乗っていた。前座名は立川談吾。二つ目名は立川談生。
丸に左三蓋松は立川流の定紋である。
6代目立川 談笑(たてかわ だんしょう、1965年9月23日 - )は落語立川流所属の落語家である。東京都江東区出身。本名は小田桐 英裕(おだぎり ひでひろ)。海城高等学校、早稲田大学法学部卒業。出囃子は『野球拳』。身長182cmと落語家の中では高い方。基本は古典落語だがアレンジ色が強い。
目次 |
[編集] 略歴
- 1992年2月 - 7代目立川談志に入門、立川談生(だんしょう)を名乗る。
- 1996年7月 - 二つ目に昇進。
- 2003年 - 二つ目のまま6代目立川談笑を襲名。
- 2005年 - 真打昇進。
- 2006年 - 国立演芸場の6月上席(1~10日)に出演。1983年の落語協会脱会以後、立川流としては初定席。
[編集] 落語以外の活動
- 情報プレゼンター とくダネ!(フジテレビ(FNN/FNS)系列) - プレゼンター※真打になるまでは本名で出演していたが現在は高座名。
- 唐沢俊一のポケット(TBSラジオ、2006年10月27日)
- ザ☆ネットスター!(NHK-BS2) - 司会ー
[編集] 著書
- 超(スーパー)落語!立川談笑落語全集 ISBN-13:978-4757213043
[編集] 出典
- 諸芸懇話会、大阪芸能懇話会共編『古今東西落語家事典』平凡社、ISBN 458212612X
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
- 立川談笑Web(公式サイト)
- NHK『週刊!ハタラキング』ぶっちゃけ大変でした!~20代、私の仕事〜 立川談笑篇(NHKオフシャルサイト)

