石塚英蔵
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いしづか えいぞう
石塚 英蔵 |
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| 生誕 | 1866年10月31日 |
| 死没 | 1942年7月28日(満75歳没) |
| 出身校 | 東京帝国大学 |
| 職業 | 台湾総督 枢密顧問官 貴族院議員 日本産業協会理事 |
| 配偶者 | 青森県士族山川徳治の娘 |
石塚 英蔵(いしづか えいぞう、1866年10月31日(慶応2年7月23日) - 1942年(昭和17年)7月28日)は、日本の官僚、政治家。台湾総督、貴族院議員、枢密顧問官。
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経歴 [編集]
福島県出身。会津藩士・石塚和三郎の長男として生まれる。共立学校、第一高等学校を経て、1890年(明治23年)7月、帝国大学法科大学政治学科を首席で卒業。同年同月、法制局試補となり、以後、法制局参事官、兼法制局書記官などを歴任。1894年(明治27年)12月から翌年7月まで内閣顧問官として朝鮮国に出張した。
1898年(明治31年)3月、台湾総督府に転じ参事官に就任。以後、参事官長、民政部外事課長心得、総務局長を歴任し、1905年(明治38年)5月、関東州民政署民政長官を兼務した。
1905年8月、関東州民政署民政長官の専任となる。1906年(明治39年)9月、関東都督府が設立されると民政長官に就任し、1907年(明治40年)4月まで在任。同年9月、統監府に転じ参与官となり、監査部長、総務長官事務取扱を歴任。1910年(明治43年)10月、朝鮮総督府設置に伴い取調局長官に就任。1912年(明治45年)4月、朝鮮総督府農商工部長官となり1916年(大正5年)10月まで在任。
1916年10月、貴族院勅選議員に任命され、同和会に属し1934年(昭和9年)4月まで活動した。また、1916年10月に東洋拓殖株式会社総裁となり1923年(大正12年)12月まで在任。1929年(昭和4年)7月、第13代台湾総督に就任。霧社事件により1931年(昭和6年)1月に台湾総督を辞任した。
1934年(昭和9年)3月、枢密顧問官となり在任中に死去した。没後に勲一等旭日桐花大綬章が贈られた。
長男(南洋興発勤務)の妻は竹下勇海軍大将の三女である[1]。
親族 [編集]
- 娘婿 石井康(外交官)
出典 [編集]
- ^ 『大衆人事録 東京篇』「石塚英蔵」、「竹下勇」
参考文献 [編集]
- 秦郁彦編『日本近現代人物履歴事典』東京大学出版会、2002年。
- 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』1990年。
- 帝国秘密探偵社『大衆人事録 東京篇』(第13版)1939年。
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