油屋熊八
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別府駅前に設置されている油屋熊八の像
油屋 熊八(あぶらや くまはち、1863年(文久3年) - 1935年(昭和10年)3月24日)は、大分県別府市を日本有数の温泉地に育てた実業家。
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[編集] 概要
愛媛県宇和島市の裕福な米問屋の生まれで、1888年(明治21年)には27歳で宇和島町議に当選。30歳の時に大阪に渡って米相場で富を築くが、日清戦争後に相場に失敗して全財産を失う。35歳の時にアメリカに渡り約3年滞在。帰国後、再度相場師となるがうまく行かず、熊八のアメリカ渡航時に別府に身を寄せていた妻を頼って別府温泉に移る。
別府では、1909年(明治42年)に亀の井旅館(現在の別府亀の井ホテル)を創業。1924年(大正13年)には洋式ホテルに改装して亀の井ホテルを開業。続いてバス事業に進出し、1928年(昭和3年)1月10日に亀の井自動車(現在の亀の井バス)を設立して、日本初の女性バスガイドによる案内つきの定期観光バスの運行を開始した。この間、自らのもてなしの哲学と様々な奇抜なアイデアで別府の宣伝に努め、大正の広重といわれる盟友吉田初三郎とともに別府の名前を全国へと広めた。さらに、中谷巳次郎とともに由布岳の麓の静かな温泉地由布院に、内外からの著名人を招き接待する別荘(現在の亀の井別荘)を建て「別府の奥座敷」として開発している。
クリスチャンで酒を飲まず、「旅人をねんごろにせよ」(旅人をもてなすことを忘れてはいけない)という新約聖書の言葉によって、サービス精神を説いた。
没後も別府観光の父として慕われ、現在、別府市民らで「油屋熊八翁を偲ぶ会」が作られている。2007年11月1日には、その偉業を称えて別府駅前にブロンズ像が建てられた。墓は宇和島市の光国寺にある。
[編集] 熊八のアイデア
- 「山は富士、海は瀬戸内、湯は別府」というキャッチフレーズを考案し、このフレーズを刻んだ標柱を1925年に富士山山頂付近に建てたのをはじめ、全国各地に建てて回った。
- 1926年に別府ゴルフリンクスというゴルフ場を開き、温泉保養地とスポーツを組み合わせた新しいレジャーの形を提案した。
- 1927年に大阪毎日新聞主催で「新日本八景」が選ばれた際に、葉書を別府市民に配って組織的に投票を行い、別府を首位に導いた。
- 1928年に日本初の女性バスガイドによる案内つきの定期観光バスで別府地獄めぐりの運行を始めた。
- 1931年から手のひらの大きさを競う「全国大掌大会」を亀の井ホテルで開催した。
- 温泉マークを別府温泉のシンボルマークとして愛用し、一般に広めた(このマーク自体も熊八が考案したという説があるが、真偽は不明である。)。
[編集] 熊八をモデルにした作品等
- 小説:『別府華ホテル 観光王と娘の夢』 佐和みずえ(石風社、2006年)
- 舞台:『別府温泉狂騒曲 「喜劇 地獄めぐり ~生きてるだけで丸もうけ~」』
[編集] 関連項目
- 別府温泉
- 別府亀の井ホテル
- 亀の井バス
- 由布院温泉
- 吉田初三郎 - 大正の広重と云われた鳥瞰図絵師、最大の盟友。別府温泉御遊覧の志おり「日本第一の温泉別府亀の井ホテル御案内」の作者。
- 油屋
- 油屋 (千と千尋の神隠し)

