星洋二

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星 洋二
出身地 日本の旗 日本 福島県 会津若松市
学歴 東京藝術大学
ジャンル クラシック音楽
職業 声楽家テノール
音楽教育者

星 洋二(ほし ようじ)は日本の声楽家テノール)、音楽教育者。父は作曲家で音楽教諭の星和男

経歴[編集]

福島県会津若松市出身。福島県立会津高等学校卒業。高校では合唱部に所属し、3年時に全日本合唱コンクールで全国優勝。その際に演奏された湯山昭作曲『ゆうやけの歌』は名演奏として名高いが、そのテノールソロを務めている[1]

1984年(昭和59年)東京藝術大学音楽学部声楽科卒業。1986年(昭和61年)東京藝術大学大学院オペラ科修了。渡邊高之助高丈二高橋啓三疋田生次郎に師事。1991年(平成3年)1月より1年間、アルド・プロッティのもとで、ヴェルディ(『リゴレット』『椿姫』など)の歌唱法と、ベルカント・オペラの発声法を学んだ[2]。また、1996年(平成8年)12月より1年間、文化庁在外派遣芸術家として、フランコ・コレルリのもとで、テノール独特の発声、歌唱技術を学ぶとともに、当時リッカルド・ムーティのもとでスカラ座コレペティトーレであったダンテ・マッツォーラ (Dante Mazzola) よりオペラ歌唱法を学んだ[2]。プロッティ、コレルリ両氏よりディプロマを授与される[3]。在欧中はイタリア各地でコンサートに出演、本場の熱い絶賛を浴びた[4]

帰国後、ロッシーニオテロ』(原語初演)のタイトルロールでデビュー、グノーロメオとジュリエット』(日本初演)ロメオ、続いて数多くの歌劇で立て続けに主役を演じた。力強く輝きのあるリリコ・チェントラーレの美声と、気品に満ちた慈味豊かな演唱、スケールの大きいダイナミックな役づくりに定評がある。1999年(平成11年)の二期会公演ワーグナータンホイザー』と翌年の東京都民オペラソサイエティ公演ヴェルディ『オテロ』のタイトルロールで、その日本人離れした歌唱と演技が絶賛を集めた[4]

コンサート活動では、オラトリオや『第九』のソリストとして定評があり、主要オーケストラや来日指揮者との共演も数多い。テレビ朝日系『題名のない音楽会』『土曜リサイタル』『FMリサイタル』[3]等、放送分野でも活躍している[4]

2020年(令和2年)4月1日現在東京音楽大学准教授[5]。元東京藝術大学非常勤講師[4]。二期会会員。日伊音楽協会会員[3]

主な受賞歴[編集]

演奏活動[編集]

演奏歴はきわめて多く、Researchmap[2]および昭和音楽大学オペラ情報センター[7]に一覧が記録されている。

社会活動[編集]

  • 啓声会(高橋啓三を会長とする音楽家の会)運営委員・副委員長として、定期公演以外にも、ア−トカフエ(恵比寿)においてサロンコンサ−トを開催するほか、各種の勉強会や公開レッスン等を行っている[2]
  • 高会声(高丈二を会長とする声楽家の会)会員及び運営委員として、演奏会や研修会の企画等に参加し、 定期公演コンサ−トに出演している[2]
  • ぐるーぷ・なーべ(渡邊高之助を会長とした声楽家の会)会員として、定期公演コンサ-トに出演している[2]

エピソード[編集]

  • 音楽教師(元藤原歌劇団員)の父と美術教師の母の間に生まれた[1]
  • 小学校低学年までは、ボーイソプラノ、音楽の授業ではよく一人で歌わされた[1]
  • 中学校ではブラスバンドに夢中、3年間ドラムを叩きに通学。高校1年の時、歌とパーカッションのどちらで音楽大学を受験するか迷い、とりあえず太鼓で夏期講習を受講、大学の練習室で一人太鼓を叩くことにつまらなさを感じ、声楽専攻を決意。その年の冬、地元会津の『第九』に合唱で参加、ソリストの高橋啓三の声に惚れ込み、ホテルのロビーで待ち受け弟子入りをした[1]

主なディスコグラフィー[編集]

脚注・出典[編集]

  1. ^ a b c d 星洋二をもっと知りたい方へ”. 星洋二. 2020年3月1日閲覧。
  2. ^ a b c d e f 星洋二”. Researchmap. 2020年3月1日閲覧。
  3. ^ a b c プロフィール”. 星洋二. 2020年3月1日閲覧。
  4. ^ a b c d ジプシーの歌/愛の歌 CD ライナーノーツ
  5. ^ 教員紹介”. 東京音楽大学. 2020年3月1日閲覧。
  6. ^ 受賞者一覧は『ジロー・オペラ賞』の項を参照
  7. ^ 星洋二”. 昭和音楽大学オペラ情報センター. 2020年3月1日閲覧。

外部リンク[編集]