巫山県
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| 中華人民共和国 重慶直轄市 巫山県 | |
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| 巫山長江大橋から見る巫山県の市街地 | |
| 重慶市中の巫山県の位置 | |
| 簡体字 | 巫山 |
| 繁体字 | 巫山 |
| 拼音 | Wūshān |
| カタカナ転記 | ウーシャン |
| 国家 | 中華人民共和国 |
| 直轄市 | 重慶 |
| 行政級別 | 県 |
| 建置 | 紀元前277年 |
| 改称 | 583年 |
| 面積 | |
| - 総面積 | 2,958 km² |
| 人口 | |
| - 総人口(2004) | 58.9 万人 |
| 経済 | |
| 電話番号 | 023 |
| 郵便番号 | 404700 |
| 行政区画代碼 | 500237 |
| 公式ウェブサイト: http://wush.cq.gov.cn | |
目次 |
地理 [編集]
巫山県は重慶市東端部に位置し、東及び南は湖北省と、西は奉節県、北は巫渓県と接している。
三峡ダム地区の中心であり「渝東門戸」と称されてきた。巫峡の両岸に位置し、県政府は大寧河と長江の合流する所にある。東経109度33分から110度11分、北緯30度45分から23度28分の範囲にある。県内の地形は複雑で、南北は高地でその間は低くなって深い峡谷を形成しており、カルスト地形として発達している。山地の面積は96%、平坦な部分は4%。亜熱帯に属し季節風により湿潤な気候である。年平均気温は摂氏18.4度、年平均降水量は1041mm。
歴史・沿革 [編集]
- 戦国時代、楚の巫郡の領域であった。
- 紀元前277年(秦の昭襄王30年)、秦によって巫県となる。
- 211年(後漢の建安15年)、荊州の主となった劉備が巫県を分割して北井県を設置。
- 222年(蜀の章武2年)、県境付近が呉に属し、宜都郡の下に置かれる。
- 260年(呉の永安3年)、宜都郡を分割して建平郡を置き、巫県を治める。
- 268年(西晋の泰始4年)、巴東郡に属す。
- 583年(隋の開皇3年)、建平郡を設置し、巫山県と名称を改める。
- 1997年6月28日、重慶市の管轄下に入る。
行政区画 [編集]
11鎮、13郷、2民族郷(土家族)、あわせて567の村を管轄下におく。
- 鎮:巫峽鎮、福田鎮、龍渓鎮、大昌鎮、廟宇鎮、双龍鎮、官陽鎮、騾坪鎮、抱龍鎮、官渡鎮、銅鼓鎮。
- 郷:龍井郷、両坪郷、建平郷、曲尺郷、大渓郷、金坪郷、平河郷、廟堂郷、三渓郷、竹賢郷、篤坪郷、培石郷、当陽郷。
- 民族郷:鄧家土家族郷、紅椿土家族郷。
観光 [編集]
- 長江三峡
- 支流の小三峡(大寧河の竜門峡・巴霧峡・適翠峡)及びさらにその支流に当たる小小三峡がある。
- 神女峰をはじめとする巫山には「三台八景十二峰」の景勝地が位置する。
- 2003年より開始された三峡ダムの第二期蓄水のあと、湖域が拡大し観光地区の峡谷が船舶による連絡が可能となった。
- 1991年、長江三峡、小三峡はともに中国の有名な観光地トップ40に選ばれ、2001年には国家AAAA級旅游景区に選ばれた。一日あたり8000人の観光客を受け入れ出来るようになり、一年間で100万人の観光客が訪れるほど中国でも有数の観光都市である。
考古学 [編集]
外部リンク [編集]
- 巫山県人民政府(中国語)
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