万州区

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中華人民共和国 重慶直轄市 万州区
万州区の新市街。万州では市街の半分が三峡ダム建設で水没し、20万人近い人々が新市街に移転している
万州区の新市街。万州では市街の半分が三峡ダム建設で水没し、20万人近い人々が新市街に移転している
重慶市中の万州区の位置
重慶市中の万州区の位置
簡体字 万州
繁体字 萬州
Wànzhōu
カタカナ転記 ワンヂョウ
国家 中華人民共和国
直轄市 重慶
行政級別 市轄区
建置 216年
改制 1997年
面積
- 総面積 3,457 km²
人口
- 総人口(2004) 169.7 万人
- 市区人口(2004) 54.5 万人
経済
電話番号 023
郵便番号 4004000
行政区画代碼 500111

万州区(ばんしゅうく)は中華人民共和国重慶市に位置する市轄区。重慶市中心部から北東へ374km離れた地点にある。かつては四川省万県市という地級市であり、現在の万州区は万県市の市轄区だった天城区・竜宝区・五橋区が合わさったものである。

地理[編集]

歴史[編集]

殷代は梁州の地とされ、周代には巴子国に属し、秦代は巴郡朐忍県の管轄とされた。万州地区に始めて県制が設置されたのは216年建安21年)、後漢朐忍県を分割し羊渠県を設置、県治を現在の長灘に設置した。三国時代による230年建興8年)に南浦県が設置され、西魏により魚泉県と、北周により安郷県、後に万川県、598年開皇10年)には再び南浦県と改称された。

619年武徳2年)、唐朝は南浦郡を設置し梁山、南浦、武寧の三県を管轄した。627年(武徳8年)に南浦郡は浦州と改称され、634年貞観8年)には万州と改称され、末期まで沿周され、中華民国が成立すると万県専区に改編された。1926年には軍閥を率いる楊森指揮下の軍によりイギリスの商船が万県で拿捕され、これをきっかけにイギリス軍砲艦が万県市街を砲撃した万県事件が起こっている。

中華人民共和国が成立すると1950年に万県専区は東行署区の管轄とされたが、1952年に四川省管轄に変更となり、翌年万県市が省轄市に昇格した。1970年、専区から地区に改編され、1992年12月11日に万県地区が廃止となり万県市(地級)が成立した。万県市は竜宝区・天城区・五橋区、および開県梁平県忠県雲陽県奉節県巫山県巫渓県城口県の3区8県を管轄していた。

1997年12月20日、四川省の地級市(計画単列市)・重慶市が直轄市に昇格した。同時に同じく四川省の地級市だった万県市は廃止されて重慶市に編入され、重慶市万県移民開発区と万県区に改編された。翌年それぞれ万州移民開発区と万州区に改称された。2000年6月25日、万州移民開発区が万州区に統合され現在に至っている。

万州は重慶からは離れており経済的格差も大きく、しかも三峡ダム建設で市街地の半分近くが水没することになったため16万から17万人の住民が新市街地へ移転することになった。このため社会的混乱も大きく、重慶市とは利害が対立することもある。万州区には重慶市とは独立した公安局、工商局、税関などがあり、周囲の県を管轄する官庁もあり、重慶東部の中心都市となっている。

行政区画[編集]

下部に11街道、29鎮、10郷、2民族郷を管轄する。

  • 街道
    • 高筍塘街道、太白街道、牌楼街道、双河口街道、龍都街道、周家壩街道、沙河街道、鐘鼓楼街道、百安壩街道、五橋街道、陳家壩街道
    • 小周鎮、大周鎮、新郷鎮、孫家鎮、高峰鎮、龍沙鎮、響水鎮、武陵鎮、瀼渡鎮、甘寧鎮、天城鎮、熊家鎮、高梁鎮、李河鎮、分水鎮、余家鎮、後山鎮、弾子鎮、長嶺鎮、新田鎮、白羊鎮、龍駒鎮、走馬鎮、羅田鎮、太龍鎮、長灘鎮、太安鎮、白土鎮、郭村鎮
    • 柱山郷、鉄峰郷、渓口郷、長坪郷、燕山郷、梨樹郷、普子郷、黄柏郷、九池郷、茨竹郷
  • 民族郷

外部リンク[編集]