主の祈り

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エルサレムにある我等の父教会に掲げられているギリシャ語の天主經

主の祈り(しゅのいのり、英語: Lord's Prayerラテン語: Pater Noster)は、キリスト教の最も代表的な祈祷文である。「主祷文」(しゅとうぶん)とも。日本ハリストス正教会では「天主經」(てんしゅけい、天主経)と呼ばれる。

イエス・キリスト自身が弟子たちに教えたと新約聖書に記されている祈祷文であり、キリスト教のほぼすべての教派で唱えられている。

目次

概説 [編集]

キリスト教は、神への祈りを捧げる時に唱える様々な定型文(祈祷文)を持っているが、どの文を正統な祈祷文と認めるかは教派によって異なり、またプロテスタントの一部には定型文としての祈祷をほとんど持たない教派もある。その中で、主の祈りは唯一、イエス・キリストその人が「祈るときは…(中略)…こう祈りなさい」と言って弟子たちに与えたとされる祈祷文であり、教派によって文章や訳文の違いはあるものの、キリスト教のほとんどの教派で正統な祈祷文として認められている。新約聖書福音書)には、イエスがこの祈祷文を弟子たちに教える場面が書かれている。(マタイによる福音書6章9-13、ルカによる福音書11章2-4)

構成・訳文 [編集]

主の祈りの原文はギリシャ語であり、その後西方教会では古くからラテン語で唱えられてきたが、英語など各国語に訳される際、教派や時代によって訳語が少しずつ違ってきた。

英語訳(1662年イングランド国教会) [編集]

イングランド国教会1662年の英語文は次のとおりである。

Our Father, who art in heaven,
hallowed be thy name;
thy kingdom come;
thy will be done,
in earth as it is in heaven.
Give us this day our daily bread.
And forgive us our trespasses,
as we forgive them that trespass against us.
And lead us not into temptation;
but deliver us from evil.
For thine is the kingdom,
the power, and the glory,
for ever and ever.
Amen.

具体的には、最初の3つの祈り(2 - 5行目)はと天上に関する祈り、次の3つの祈り(6 - 10行目)は人間と地上に関する祈りである。また、最後の部分(11 - 13行目)は、当時の欽定訳聖書には書かれていたものの、それまでの伝統的なラテン語訳聖書(ヴルガータ)には書かれておらず、後に付け加えられたと考えられているもので、一種の頌栄と考えられている。このため現代一般的に読まれている聖書では、福音書にこの部分は書かれていないが[1]ローマ・カトリック以外の多くの教派では、いまもこの部分(日本語訳:「国と力と栄えとは…」)を「主の祈り」に含めて唱えている。

ラテン語訳 [編集]

カトリック教会で伝統的に唱えられてきたラテン語訳文には、この頌栄の部分はない。

Pater noster, qui es in caelis:
sanctificetur Nomen Tuum;
adveniat Regnum Tuum;
fiat voluntas Tua,
sicut in caelo, et in terra.
Panem nostrum cotidianum da nobis hodie;
et dimitte nobis debita nostra,
sicut et nos dimittimus debitoribus nostris;
et ne nos inducas in tentationem;
sed libera nos a Malo.
Amen.

プロテスタント訳(1880年) [編集]

下記の訳文は、プロテスタント系の讃美歌集の多くに掲載されている文語訳のもので、現在でも多く用いられている。

天にまします我らの父よ
願わくは
み名をあがめさせたまえ
み国を来たらせたまえ
み心の天に成る如く地にもなさせたまえ
我らの日用の糧を今日も与えたまえ
我らに罪を犯す者を我らが赦す如く我らの罪をも赦したまえ
我らを試みに遭わせず悪より救い出したまえ
国と力と栄えとは限りなく汝のものなればなり
アーメン

カトリック教会と日本聖公会の共通口語訳 [編集]

2000年に、日本のカトリック教会日本聖公会では、独自の文語訳ないし口語訳から以下に紹介する共通口語訳を制定し、以降正式に用いている。

天におられるわたしたちの父よ、
み名が聖とされますように。
み国が来ますように。
みこころが天に行われるとおり地にも行われますように。
わたしたちの日ごとの糧を今日もお与えください。
わたしたちの罪をおゆるしください。わたしたちも人をゆるします。
わたしたちを誘惑におちいらせず、
悪からお救いください。
国と力と栄光は、永遠にあなたのものです。
アーメン

斜字部分は、前述のとおりラテン語訳文になかったためカトリック教会では伝統的に唱えられてこなかった部分で、カトリックの祈祷書などでは、エキュメニカル(超教派的)な集いなどで頌栄を続けて唱える場合の祈りとして紹介されている[2]。カトリック教会では、この部分が主の祈りとして唱えられることはいまもほとんどなく、カトリックのミサ式次第や典礼聖歌集には、共通口語訳のうちこの部分を除いた[3]祈りが掲載されている。ただし、ミサ式文では、主の祈りに続いて司祭が唱える副文[4]の結びに、一同で「国と力と栄光は、かぎりなくあなたのもの」という頌栄が唱えられている。

なお、1990年版「日本聖公会祈祷書 聖餐式」においては、冒頭部分にルブリック(小さい文字で書かれる注釈)で「主の祈りを歌いまたは唱える」と書かれており、また斜線部分(頌栄)の直前にルブリックで「続けて次の祈りを歌いまた唱える」と書かれてある。

カトリック教会の文語訳 [編集]

カトリック教会が、2000年2月15日まで使用していた主の祈り(主祷文)。現在は、公式には使用されていない。

天にまします我らの父よ
願わくは
み名の尊まれんことを
み国の来たらんことを
み旨の天に行わるる如く地にも行われんことを
我らの日用の糧を今日我らに与え給え
我らが人に許す如く我らの罪を許し給え
我らを試みに引き給わざれ
我らを悪より救い給え
アーメン

日本正教会の「天主経」 [編集]

日本正教会は、明治期に作成された独特の文語体を現在でも使用しており、天主経(てんしゅけい)と呼ぶ。頌栄の部分は、司祭がその場に居るか居ないかで変わる。正教会では聖体礼儀などの奉神礼においてのみならず、食前や集会の始まりに天主経を用いる。多く集会の場では定められた単純な旋律にのせて歌われる。

てんいまわれちちや。
ねがはくなんぢせいとせられ。
なんぢくにきたり。
なんぢむねてんおこなはるるがごとく、
にもおこなはれん。
にちようかてこんにちわれあたたまへ。
われおひめあるものわれゆるすがごとく、
われおひめゆるたまへ。
われいざなひみちびかず、
なほわれきょうあくよりすくたまへ。
(司祭が居る場合、以下司祭朗誦・高声)
けだくに權能けんのう光榮こうえいなんじちち聖神゜せいしんす、
いま何時いつ世々よよに。
「アミン」。
(司祭がいない場合は以下、ただし唱えられないことも多い)
けだくに權能けんのう光榮こうえいなんじ世々よよす「アミン」。

典礼上の使用 [編集]

多くの教派が、その公祈祷に主の祈りを取り入れている。もっとも代表的なものは、ミサ聖体礼儀などの聖餐を伴う祈祷である。また、多くの教派において作曲され、聖歌ないし賛美歌として歌われている。ほかにも正教会においては晩課や各時課カトリック教会でも聖務日課ロザリオの祈りの中でも唱えられる。具体的な配置についてはそれぞれの項目を参照。

脚注 [編集]

  1. ^ プロテスタント日本語訳聖書では、明治元訳聖書にはこの頌栄部分も書かれていたが、大正改訳以降の聖書には書かれていない。
  2. ^ 「主の祈り」 カトリック中央協議会
  3. ^ カトリックのミサ式次第では、最後の「アーメン」も唱えないとされている。
  4. ^ 司祭が唱える副文は、次のとおり。
    「いつくしみ深い父よ、すべての悪から わたしたちを救い、現代に平和をお与えください。あなたのあわれみに支えられ、罪から解放されて、すべての困難にうち勝つことができますように。わたしたちの希望 救い主イエス・キリストが来られるのを待ち望んでいます。」

関連項目 [編集]

外部リンク [編集]