ランディ・マイズナー

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ランディ・マイズナー
Randy Meisner
基本情報
出生名 Randy Herman Meisner
出生 1946年3月8日(68歳)
出身地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 ネブラスカ州スコッツブラフ
ジャンル カントリーロック
職業 シンガーソングライター
担当楽器
ベース
ギター
ギタロン
活動期間 1968年 -
レーベル アサイラム
エピック
Rev-Ola
共同作業者 ポコ
イーグルス
公式サイト randymeisneronline.com
著名使用楽器
リッケンバッカー

ランディ・ハーマン・マイズナーRandy Herman Meisner 1946年3月8日 - ネブラスカ州スコッツブラフ出身)はアメリカ合衆国音楽家作曲家ベーシストポコイーグルスの創設メンバーとして著名。 リズム感に優れていて、ベーシストとしての評価は高い。ボーカルとしては、音域が非常に広く高音を得意としている。

キャリア[編集]

小作農民の息子として生まれる[1][2]。10歳の時に、エド・サリヴァン・ショーに出演したエルヴィス・プレスリーを観てギターを手にする[3]。高校をドロップアウトし、音楽で生計を立てることを決心[3]1961年にザ・ダイナミックスのメンバーとして初めて人前で演奏する。17歳の時に結婚した妻と子供を養うため、1965年にザ・ソウル・サバイバーズ(のちにザ・プアー)に加入し、家族を残してカリフォルニアに移住する[4][5]。しかし成功からは程遠く、バンドは演奏の合間に新聞の販売や果てはマリファナ(しかも盗品)の売買にまで手を出して糊口をしのぐ有様だった[3]

1968年バッファロー・スプリングフィールドを解散したリッチー・フューレイジム・メッシーナのオーディションを受け、彼らとともに新バンド、ポコを結成する[6]。しかしファーストアルバム "Pickin'Up Pieces" のプロデュースを巡ってフューレイ、メッシーナと対立し、バック・ミュージシャン的な扱いにも耐えかねたマイズナーは同作のリリースを待たずに脱退[7]。ベースとバッキングボーカルはそのまま収録されたが、マイズナーがリードボーカルを取った曲は、ジョージ・グランサムのリードに差し替えられた。

1969年リッキー・ネルソンのマネージャー、ジョン・ボイランの誘いでネルソンのバック・バンド、ストーン・キャニオン・バンドに加入[8]"In Concert at the Troubadour, 1969" (1970)、"Rudy the Fifth" (1971) の2枚のアルバムに参加する。また、ジェームス・テイラーの『スウィート・ベイビー・ジェームス』などにもセッション・メンバーとして参加した。

一時は故郷ネブラスカの家族の下に戻り、ジョン・ディアの販売代理店で働いたりしたが[3]1971年夏、再びボイランの誘いでリンダ・ロンシュタットのバック・バンドのメンバーとして採用され、そこでドン・ヘンリーグレン・フライと出会う。後にバーニー・レドンも加わり、同年9月、ヘンリー、フライ、レドンとともにイーグルスを結成、デヴィッド・ゲフィンアサイラム・レコードと契約し[5]1972年にアルバム『イーグルス・ファースト』をリリース。イーグルスでは主にベースとバッキング・ボーカルを担当し、曲によってギターもプレイした。在籍した6年間に、自らリード・ボーカルを取った "Take It to the Limit" をはじめとして多数の作曲も手がけた。

イーグルスには1976年の『ホテル・カリフォルニア』の制作までメンバーとして参加。しかし、結成当初は民主的だったバンド内で、ヘンリー、フライが徐々に専制的な態度を見せるようになったこと[3]ジョー・ウォルシュが加入し、バンドのサウンドがよりロック寄りになったこと[3]、ビッグ・グループの一員としての多忙な生活に疲れたことなどが重なり、1977年9月にイーグルスを脱退する。後任には、ポコでもマイズナーの後任を務めたティモシー・B・シュミットが加入。私生活でもドラッグ癖など自堕落なライフスタイルが仇となって結婚生活は破たんする[3]

その後はソロ・アーティストとして "Randy Herman Meisner" (1978)、"One More Song" (1980)、"Randy Meisner" (1982) をリリース。またセッション・プレイヤーとしてジェームス・テイラージョー・ウォルシュダン・フォーゲルバーグボブ・ウェルチリッチー・フューレイリチャード・マークスらのレコーディング、ライブに参加したほか、元ファイアフォールのリック・ロバーツとともにロバーツ-マイズナー・バンドでも活動。

1989年、オリジナル・ラインナップで再結成したポコのアルバム "Legacy" に参加。

1996年、ニック・セント・ニコラス、マイケル・モナーク(いずれも元ステッペンウルフ)、ファーギー・フレデリクセン(元TOTO)、デニー・レイン(元ウイングス)、スペンサー・デイヴィス、アレックス・リガートウッド(元サンタナ)らビッグ・ネームのバンドの元メンバーたちが集まって結成されたワールド・クラス・ロッカーズに参加。

1998年にはイーグルスがロックの殿堂入りした際に授賞セレモニーに登場。イーグルスのメンバーとともに「テイク・イット・イージー」「ホテル・カリフォルニア」を演奏した。

2004年頃から心臓疾患を患い[3]、現在はあまり人前で演奏する機会は多くないが、ロサンゼルスのスタジオ・シティにおいて、1996年に結婚した2人目の妻と暮らしている。

なりすまし事件[編集]

ルイス・ピーター・モーガンなる人物がマイズナーの名を語って数々の詐欺事件を働いたことがあった[9]。被害者は楽器メーカー、カジノの経営者、女性など。モーガンは1998年に逮捕され16ヶ月を刑務所で過ごしたが、出所後もたびたびマイズナーになりすまし、2006年に再逮捕されるまで詐欺行為を続けた(ネバダ州のリノで、ホテルの部屋をマイズナーの名義で使用しようとするなど。周辺のホテルがこの詐欺師について情報交換していたおかげでこの詐欺は成功しなかった)。

ディスコグラフィ[編集]

アルバム[編集]

タイトル Billboard 200
1978 Randy Meisner #94
1980 One More Song #50
1982 Randy Meisner
2002 Dallas
2005 Love Me Leave Me Alone

シングル[編集]

タイトル チャート 最高位
1975 "Take It To The Limit"
(イーグルス)
Adult Contemporary 4
Pop Singles 4
1980 "Deep Inside My Heart" Pop Singles 22
1981 "Hearts on Fire" Mainstream Rock 14
Pop Singles 19
1982 "Never Been in Love" Pop Singles 28
1990 "Nothin' To Hide"(ポコ Adult Contemporary 10
Pop Singles 39
1990 "Nature of Love"(ポコ Adult Contemporary 10

脚注[編集]

  1. ^ Felder, Holden. Pg. 80. ISBN 978-0-470-28906-8
  2. ^ Eliot. Pg. 28. ISBN 978-0-306-81398-6
  3. ^ a b c d e f g h http://www.randymeisneronline.com/biography.htm
  4. ^ Eder, Bruce (1946年3月8日). “((( Randy Meisner > Biography )))”. allmusic. 2012年7月15日閲覧。
  5. ^ a b http://www.billboard.com/#/artist/eagles/bio/4516
  6. ^ http://www.billboard.com/#/artist/randy-meisner/bio/5180
  7. ^ Eliot. Pg. 37.
  8. ^ Eder, Bruce (1969年12月13日). “((( Rick Nelson in Concert (The Troubadour, 1969) > Overview )))”. allmusic. 2012年7月15日閲覧。
  9. ^ Comment by Jack Hopkins. “San Francisco News - Fake It to the Limit - page 1”. Sfweekly.com. 2009年11月28日閲覧。

外部リンク[編集]