ラルプ・デュエズ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ラルプ・デュエズ(L'Alpe-d'Huez)は、中央フランスのアルプス山系に連なる峠の一つである。1952年に自転車ロードレースのツール・ド・フランスのコースに組み込まれて以来、この峠を舞台にして数々の名勝負や伝説が生まれた。
頂上までに全部で21のカーブがあり、それぞれのカーブにはステージ優勝者の名前入りパネルが立てられているが、そこにはファウスト・コッピ、ベルナール・イノー、マルコ・パンターニ、ランス・アームストロングなど、そうそうたる面々が名を連ねている。
目次 |
データ [編集]
- 標高 1850m
- 標高差 1130m
- 平均斜度 7.9%
- 最大斜度 11.5%
エピソード [編集]
- 最初の優勝者は、イタリアの英雄だったファウスト・コッピ。
- 1952年の次にコースに組み込まれたのは、20年以上も後の1976年。以後1983年までに行われた8回のステージのうち、6回までオランダ人選手が優勝している(1989年までだと13回中8回)。
- 1990年代は1990~1999年まで7回ステージに組み込まれ、うち6回がイタリア人選手の優勝という結果になっている。
- 現在、登坂記録の1~5位はマルコ・パンターニが1、3、5位、ランス・アームストロングが2、4位でちょうど交互に並ぶ形になっている。また1位と2位の差、3位と4位の差がそれぞれ1秒ずつ(各々37分35秒と36秒、38分00秒と01秒)である。
- 1986年に不仲だったベルナール・イノーとグレッグ・レモンが肩を組んでゴールした光景は、一つの時代の終焉と新しい時代の始まりを示す良い例とされている(詳細はベルナール・イノーの項を参照)。
- 1994年にそれまでの最速記録だったジャンニ・ブーニョの39分44秒(1991年に記録)を大幅に超える38分00秒でゴールしたことでマルコ・パンターニは一躍有名になったが、このときはステージ優勝ではなくステージ8位であった(先行集団の大逃げが決まってしまったため)。なお、優勝は後にパンターニのチームメートとなるロベルト・コンティであったが、コンティは自身プロ生活唯一の勝利をこの大舞台で飾った。
- 1997年にパンターニは自らの記録を塗り替える37分35秒をマークし、現在までの最速記録となっている(2004年にアームストロングが山岳TTで1秒差に迫るが及ばなかった)。
- 「ラルプ・デュエズを制するものは総合優勝を果たせない」というジンクスがある。実際のところ、その年のラルプ・デュエズにおける区間優勝を果たした選手はほとんどその年の総合優勝を果たせていない。これはあまりにも苛酷な山岳ステージであるため、そこで全力を出してしまうと後のステージで不利になるためである(近年ではランス・アームストロングとカルロス・サストレがそのジンクスを破り総合優勝を果たしている)。
歴代ステージ優勝者 [編集]
| 回 | 年 | 優勝者 | 国籍 |
|---|---|---|---|
| 39 | 1952 | ファウスト・コッピ | |
| 63 | 1976 | ヨープ・ズートメルク | |
| 64 | 1977 | ハニー・クイパー | |
| 65 | 1978 | ハニー・クイパー[1] | |
| 66 | 1979 | ジョアキン・アゴスティーニョ | |
| ヨープ・ズートメルク | |||
| 68 | 1981 | ペーター・ウィネン | |
| 69 | 1982 | ビート・ブロー | |
| 70 | 1983 | ペーター・ウィネン | |
| 71 | 1984 | ルイス・エレラ | |
| 73 | 1986 | ベルナール・イノー | |
| 74 | 1987 | フェルナンド・エチャベ | |
| 75 | 1988 | スティーブン・ルークス | |
| 76 | 1989 | ヘルトヤン・テュニス | |
| 77 | 1990 | ジャンニ・ブーニョ | |
| 78 | 1991 | ジャンニ・ブーニョ | |
| 79 | 1992 | アンドリュー・ハンプステン | |
| 81 | 1994 | ロベルト・コンティ | |
| 82 | 1995 | マルコ・パンターニ | |
| 84 | 1997 | マルコ・パンターニ | |
| 86 | 1999 | ジュゼッペ・グエリーニ | |
| 88 | 2001 | ランス・アームストロング | |
| 90 | 2003 | イバン・マヨ | |
| 91 | 2004 | ランス・アームストロング | |
| 93 | 2006 | フランク・シュレク | |
| 95 | 2008 | カルロス・サストレ | |
| 98 | 2011 | ピエール・ロラン |
※1979年は2回コースに組み込まれた
※太字はその年の総合優勝者
脚注 [編集]
- ^ 1位入線のミシェル・ポランティエールの失格による繰り上がり。