シャンゼリゼ通り (ツール・ド・フランス)
ツール・ド・フランス(Tour de France)におけるシャンゼリゼ通り(L'Avenue des Champs-Élysées)は、1975年以降ゴール地点となっている。
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歴史 [編集]
ツール・ド・フランスでは、1903年の第1回より、パリ市内をゴール地点としてきた。1903年は西部にあるヴィル=ダヴレー。1904年から1967年までは、当時自転車競技場だったパルク・デ・プランス。1968年から1974年までは、一般的にはジャック・アンクティル自転車競技場と呼ばれる、ヴェロドローム・ド・ヴァンセンヌ(1900年開催のパリオリンピックの開会式会場)をゴール地点としてきた。
そして1975年、スプリンターたちの妙技を沸き立たせる意味合いから、ゴール地点をシャンゼリゼ通りと改め、今日に至っている。但し、1989年だけは個人タイムトライアルが行われた。
概要 [編集]
シャンゼリゼ通りをゴールとするツール・ド・フランスの最終ステージは、通常パリ郊外の町からスタートする。ただしパリ市内に入るまでは通常のレースよりもかなりゆっくり走る。これは、これまでの3週間を走りきった選手たちがお互いをたたえあう意味合いが込められており、選手たちはリラックスしてゆったりと走るのが慣例となっている。しかしこれがパリ市内に近づくと一変する。パリ市内に近づくにつれ集団のペースは徐々に上がり、シャンゼリゼ通りとテュイルリー宮殿を往復する反時計回りの周回コースに入ると集団は平均50km/hのハイペース(通常のレースでは平均40km/hほど)で疾走する。周回コースはほぼ平坦であり、逃げのアタックをかけてもそれが決まることはまずなく、たちまち集団に飲み込まれてしまう。選手たちはコンコルド広場、凱旋門を見ながら、その1周6.5kmの周回コースを8周(計52km)した後、ツール・ド・フランスのゴールを迎える。
出来事 [編集]
過去にシャンゼリゼ通りではいくつかの衝撃的シーンが演じられた。
- 1979年、前ステージまで総合首位のベルナール・イノーに対し、3分07秒差の総合2位につけていたヨープ・ズートメルクが逆転を期して果敢に挑む展開となり、最後は2人でワンツーフィニッシュしたが、イノーが勝利。(その後、ズートメルクにドーピング違反が発覚し、当該ステージの順位は剥奪された)。
- 2009年現在、唯一個人タイムトライアルが行われた1989年、前ステージまで総合首位の、ローラン・フィニョンに対して50秒差の2位だったグレッグ・レモンが当ステージでフィニョンに58秒の差をつけ、最終的に8秒差(2009年現在においても、ツール・ド・フランス史上最小総合タイム差)ながらも2度目の総合優勝を果たした。
- 1991年、ジャモリディネ・アブドヤパロフが、大集団のスプリント勝負に突入した、ゴールまで残りあと約100m付近において、広告用モニュメントに激突して転倒。これに他選手も多数乗り上げて転倒を余儀なくされたという、大量落車レースとなってしまった。
- 2001年、マイヨ・ヴェールを着用していたスチュアート・オグレディに対し、エリック・ツァベルが最後の最後で逆転して、6年連続のポイント賞を獲得。