マヒンダ・ラジャパクサ

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マヒンダ・ラジャパクサ
Percy Mahendra 'Mahinda' rājapaksa
Mahinda Rajapaksa 2006.jpg

任期 2005年11月19日 – (現職)

任期 2004年4月6日2005年11月19日
元首 チャンドリカ・クマーラトゥンガ

出生 1945年11月18日(68歳)
British Ceylon flag.png 英領セイロン、ハンバントタ
政党 スリランカ自由党
配偶者 Shiranthi Rajapaksa

マヒンダ・ラジャパクサPercy Mahendra 'Mahinda' rājapaksa, 1945年11月18日 -)はスリランカの政治家、第13代目スリランカ首相(2004年-2005年)、第6代目スリランカ大統領(2005年-)。

来歴[編集]

ヨルダンで開催された世界経済フォーラムに参加するラジャパクサ。この直後、LTTEの首領ヴェルピライ・プラバカランの死亡の連絡が入り、急遽帰国した。ヨルダン滞在は3日間のみとなった。

ラジャパクサはハンバントタ郊外の町でシンハラ人仏教徒の両親の息子として生まれた。彼の父はスリランカを代表する政治家で独立運動の指導者のひとりであった。成長したラジャパクサはゴールのリッチモンド・カレッジ、コロンボのサースタン・カレッジとナランダ・カレッジに学んだ。若い頃にはシンハラ語の映画に出演した経験がある[1]。25歳になった1970年に国会議員に初当選し、スリランカの国会議員初当選最年少記録を打ちたてた。以降は労働・職業訓練大臣や漁業・水産資源開発大臣を務め[2]2004年に首相に就任し、2005年から大統領を務めている。スリランカ内戦では、タミル人武装組織のタミル・イーラム解放のトラ (LTTE) に対して徹底攻撃で臨み、2009年にはLTTEを滅ぼし、スリランカ全土の実効支配を回復した。

2010年1月26日投開票の大統領選挙ではサラス・フォンセカ英語版前国防参謀長を破り、再選された。同年、国会の解散総選挙を行い、与党・統一人民自由同盟は225議席中144議席と大勝した。さらに、選挙後の入党者を含め161議席を占めた。こうした圧倒的な人気を背景に、同年10月には大統領の三選禁止などを撤廃する憲法修正案を可決させた。

2007年12月と2013年3月12日に訪日している。

脚注[編集]

  1. ^ http://www.globalinsight.com/SDA/SDADetail2481.htm
  2. ^ 外務省 マヒンダ・ラージャパクサ スリランカ民主社会主義共和国大統領略歴