チャンドリカ・クマーラトゥンガ

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チャンドリカ・バンダラナイケ・クマラトゥンガ
චන්ද්‍රිකා බන්ඩාරනායක කුමාරතුංග


任期
1994年11月12日 – 2005年11月19日
首相 シリマヴォ・バンダラナイケ
ラトナシリ・ウィクラマナカ英語版
ラニル・ ウィクラマシンハ英語版
マヒンダ・ラジャパクセ
前任者 ディンギリ・バンダ・ウィジェトンガ英語版
後任者 マヒンダ・ラジャパクセ

任期
1994年8月19日 – 1994年11月14日
大統領 ディンギリ・バンダ・ウィジェトンガ英語版
前任者 ラニル・ ウィクラマシンハ英語版
後任者 シリマヴォ・バンダラナイケ

出生 1945年6月29日(67歳)
政党 統一人民自由同盟
配偶者 ヴィジャヤ・クマーラトゥンガ英語版
子女 ヤソーダラー
ヴィムクティ
母校 パリ政治学院
信仰 仏教
ウェブ
サイト
公式サイト

チャンドリカ・バンダラナイケ・クマラトゥンガシンハラ語: චන්ද්‍රිකා බන්ඩාරනායක කුමාරතුංග、Chandrika Bandaranaike Kumaratunga、1945年6月29日 - )はスリランカ政治家。同国の第5代大統領(在任1994年-2005年)。

来歴[編集]

母親のシリマヴォ・バンダラナイケは世界初の女性首相で、2000年10月10日に死亡。父ソロモン・バンダラナイケはスリランカ自由党創立者で1959年に、夫であるヴィジャヤ・クマーラトゥンガ英語版1988年にそれぞれ暗殺された。姉のスネトラ英語版フィランソロピストとなり、弟のアヌラ英語版1949年-2008年)はスリランカ国会議長および外務大臣を勤めた。

パリ大学で開発経済学、政治学を学んだ。1974年スリランカ自由党 (SLFP) 婦人連盟執行委員に、1986年にはスリランカ人民党 (SLMP) 総裁にそれぞれ就任。1994年8月に首相に就任し、世界初の「母娘首相」誕生となった。

1994年11月に大統領に就任。スリランカの大統領任期は6年で、任期満了を待たずに1999年、大統領選を実施して再選。クマラトゥンガは2期目が1期目満了時から始まるとの計算に基づき、任期は2006年末までと主張したが、スリランカ最高裁は2005年8月26日、クマラトゥンガの任期は2005年12月21日で終了する判断を下した。スリランカは大統領の3選は禁じられている。

スリランカでは1976年6月の死刑執行を最後に制度は凍結され、歴代大統領により死刑囚は自動的に減刑された。しかし、1999年3月13日、犯罪増加の報告を受けた政府は、「今後、大統領は死刑判決を自動的に減刑しない」と発表。2004年11月19日に発生した高等裁判所判事殺害事件を機に死刑復活を求める世論が高まり、同年11月20日、クマーラトゥンガ大統領は、「強姦殺人麻薬取引に関する死刑制度を復活する」と発表した。同年12月18日にはタミル・イーラム解放のトラ (LTTE) による暗殺未遂が起き、これによりクマーラトゥンガは右目の視力を失った。以降、彼女はLTTEへは強硬姿勢で臨むこととなった。

2005年11月19日に大統領を辞任。それに伴い、首相のマヒンダ・ラジャパクサを次期候補に指名すると共にスリランカ自由党党首の座を譲り、ラジャパクサは大統領選に勝利した。

チャンドリカ・クマーラトゥンガ(中央)

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