ジュニウス・リチャード・ジャヤワルダナ

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ジュニウス・リチャード・ジャヤワルダナ
Junius Richard Jayewardene
Junius Richard Jayawardana (1906-1996).jpg

任期 1978年2月4日 – 1989年1月2日

任期 1977年7月23日 – 1978年2月4日
元首 ウィリアム・ゴパラワ英語版

任期 1978年2月4日 – 1979年9月9日

出生 1906年9月17日
British Ceylon flag.png イギリス領セイロンコロンボ
死去 1996年11月1日(90歳)
スリランカの旗 スリランカコロンボ
政党 統一国民党
配偶者 Elina Jayewardene
米国のレーガン大統領と米国民へ子象を贈るジャヤワルダナ大統領(1984年)

ジュニウス・リチャード・ジャヤワルダナ1906年9月17日 - 1996年11月1日)は、かつて1978年から1989年までスリランカ大統領を務めた。彼は英国統治下のセイロンで頭角を現し、独立後、内閣で要職を務めた。1977年から1978年まで首相だった。

経歴[編集]

セイロンの第2代大統領になったJ・R・ジャヤワルダナは、11人兄弟の長男としてセイロンの最高裁判所判事の息子として生まれ、ロイヤル・カレッジ・コロンボで学んだ。クリケットの選手としてロイヤル-トミアンに出場したこともある。ジャヤワルダナはキリスト教から仏教に改宗し、コロンボ法科大学で優秀な成績を修めて法律家となった。しかし法曹界には長くは留まらず、1938年、セイロン国家機構 (CNC) の活動家となった。

1946年に国民連帯同盟へ加入し、1947年に初代蔵相として入閣した。

1951年には国連に蔵相として参加し、同年、サンフランシスコ講和会議にセイロン代表として出席した。その際の会議演説でジャヤワルダナは、「日本の掲げた理想に独立を望むアジアの人々が共感を覚えたことを忘れないで欲しい」と述べ、また、「憎悪は憎悪によって止むことはなく、慈愛によって止む」という仏陀の言葉を引用して、セイロン(現スリランカ)は日本に対する賠償請求を放棄する旨の演説を行って各国の賛同を得、日本が国際社会に復帰できる道筋を作った。

1977年には、スリランカ建国に貢献した。姓のジャヤワルダナは「勝利をもたらす」を意味する。

1983年、スリランカの首都をコロンボから古都コッテへ遷都するに当たり、コッテがかつてジャヤワルダナと呼ばれていたことに加え、彼自身の姓をも絡めてスリジャヤワルダナプラコッテ(輝ける勝利をもたらす町・コッテ)と改称の上、遷都させた。

政治家としての経歴[編集]

蔵相をはじめとして、首相、大統領と要職を務めた。ジャヤワルダナは1977年、無投票で首相に選ばれ精力的に活動した。1978年、初代大統領になった。しかし高まる民族間の対立を抑えることはできず、大統領任期中の1983年にはスリランカ内戦が勃発している。

日本との関係[編集]

閣僚首相大統領としてたびたび訪日、更に政界引退後も日本を訪れている。また日本の仏教関係者をスリランカに招待するなど日本とスリランカの交流に尽力した。1989年昭和天皇大喪の礼に本人の希望により夫人とともにプレマダーサ大統領に代わって参列。既に肩書きは「前大統領」だったが、元首級参列者・大統領同格の国賓として待遇された。1991年には日本の仏教関係者の招待で広島市を訪れ、広島平和記念資料館を見学している。1996年、死去に際し献眼、角膜提供。「右目はスリランカ人に、左目は日本人に」との遺言により、片目は日本に贈られた。

参考文献[編集]

  • De Silva, K. M., & Wriggins, W. H. (1988), J.R. Jayewardene of Sri Lanka: a political biography, University of Hawaii Press, ISBN 0824811836
  • Jayewardene, J. R. (1988), My quest for peace: a collection of speeches on international affairs, OCLC 20515117
  • Dissanayaka, T. D. S. A. (1977), J.R. Jayewardene of Sri Lanka: the inside story of how the Prime Minister led the UNP to victory in 1977, Swastika Press, OCLC 4497112

外部リンク[編集]