プロシア公領
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- プロシア公領
- Herzogtum Preußen
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1525年 - 1618年
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(国旗) (国章) 
1575年のポーランド=リトアニア同君連合王国の当該領域。斜線の部分(Ducal Prussiaと記載)がプロシア公領。その西隣の薄いピンクの領域(Royal Prussiaと記載)はポーランド王領プロシア。紋章は中央の赤地に白馬の騎士と白鷲と王冠のものがポーランド王国。左の剣を掲げる黒鷲がポーランド王領プロシア。右の黒鷲がプロシア公領-
公用語 ドイツ語、ポーランド語、プロシア語 首都 ケーニヒスベルク - 公国
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1525 - 1568 アルブレヒト 1568 - 1618 アルブレヒト・フリードリヒ - 変遷
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ドイツ騎士団俗化 1525年4月10日 ブランデンブルクと同君連合化 1618年8月27日 公式独立 1657年9月19日
- プロテスタント
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ブランデンブルクとプロイセンの歴史 |
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| ノルトマルク 先史-12世紀 |
プルーセン 先史-13世紀 |
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| ブランデンブルク辺境伯 1157–1618 (1806) |
ドイツ騎士団国 1224–1525 |
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| プロシア公領 1525–1618 |
ポーランド王領プロシア 1466–1772 |
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| ブランデンブルク=プロイセン 1618–1701 |
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| プロイセン王国 1701–1772 |
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| プロイセン王国 1772–1918 |
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| プロイセン州 1918–1947 |
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| ブランデンブルク州 1947–1952 / 1990–現在 |
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プロシア公領(ポーランド語:Prusy Książęce, ドイツ語:Herzogtum Preußen)は、騎士修道会であったドイツ騎士団領の東プロシア地方に1525年に成立したホーエンツォレルン家のルター派プロテスタントの世俗公領である。首都はケーニヒスベルク(ポーランド語:クルレヴィェツ、現在のカリーニングラード)。公家が2代で絶えた後、1618年よりブランデンブルク選帝侯のホーエンツォレルン家宗家の同君連合下に入る(ブランデンブルク=プロイセン)。ポーランド・スウェーデン戦争の講和条約である1660年のオリヴァ協定によってポーランド・リトアニア共和国から正式に独立し、プロイセン公国(英語:Duchy of Prussia)となった。
ポーランド王領プロシアとは異なるので注意を要する。ポーランド王領プロシア(英語:Royal Prussia)はポーランド王国の領土であり、プロシア公領(英語:Ducal Prussia)はポーランド王国を宗主国としたポーランド王国の属領で、公はポーランド王に仕える封臣である。