フランツ・フォン・バイエルン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内検索
バイエルン公フランツ、ディーター・シュタイン画

フランツ・ボナフェントゥラ・アーダルベルト・マリア・プリンツ・フォン・バイエルンFranz Bonaventura Adalbert Maria Prinz von Bayern, 1933年7月14日 - )は、ドイツの旧諸侯家門の一つ、バイエルン王家の家長(1996年 - )。家督を継承した翌年の1997年より、「バイエルン公(Herzog von Bayern)」を称している。

経歴[編集]

1918年に退位した最後のバイエルン王ルートヴィヒ3世の嫡系の曾孫である。またイングランド王およびスコットランド王チャールズ1世の嫡系子孫でもあるため、ジャコバイトから正統なイングランド王およびスコットランド王フランシス2世 (Francis II) と見なされているが、本人はイングランド王位を請求していない。

バイエルン公アルブレヒトと、その最初の妻でクロアチア貴族のマリア・ドラシュコヴィチ・フォン・トラコシチャン伯爵夫人(1904年 - 1969年)の間の長男として生まれた。両親の結婚は貴賤結婚とされたが、1949年5月18日に対等結婚として承認された。

バイエルン王国の王家であったヴィッテルスバッハ家はナチス・ドイツ体制に反対しており、フランツの父アルブレヒトは1939年に妻子を伴ってハンガリーへ亡命した。一家はブダペストで4年間暮らした後、1943年末にショムローヴァール城に引っ越した。ナチスは1944年3月にハンガリーを占領すると、同年10月6日に11歳のフランツを含むバイエルン公一家を逮捕し、オラニエンブルク強制収容所ダッハウ強制収容所に送り込んだ。1945年4月下旬、一家はアメリカ合衆国軍第3軍によって解放された。フランツはベネディクト会の経営するエッタール修道院 (Ettal Abbey) にある付属学校で中等教育を受け、ミュンヘン大学チューリッヒ大学で企業経営を学んだ。

フランツは現在、旧バイエルン王家の夏の離宮であったニンフェンブルク宮殿の一角を住まいとしている。フランツは現代美術の収集に情熱を注ぎ、そのコレクションの多くは現在、ミュンヘンのピナコテーク・デア・モデルネに永久貸与されている。フランツは聖ゲオルギウス騎士団 (Royal Order of Saint George for the Defense of the Immaculate Conception)、聖フーベルト騎士団 (Order of Saint Hubert) の総長であり、またミュンヘン大学の理事やバイエルン科学・人文学アカデミーの名誉会員をも務めている。フランツはまたバイエルンにある多くの聖俗両界の諸団体で名誉職にある。

フランツは未婚であり、彼の死後は弟のマックス・エマヌエルがバイエルン王家家長を継ぐ予定である。しかしマックス・エマヌエルにも男子がないため、家長位はフランツの従弟(単純に男系のみから見れば又従弟)にあたるルイトポルト(Luitpold Prinz von Bayern) とその子孫が継承することになる。ただし、ジャコバイトの主張するイングランド王位はマックス・エマヌエルの長女でリヒテンシュタイン侯世子夫人のゾフィーとその子孫に受け継がれることになる。

参考文献[編集]

  • Adalbert, Prinz von Bayern. Die Wittelsbacher: Geschichte unserer Familie. München: Prestel, 1979.
  • McFerran, Noel S. (2005年8月1日). “Francis II”. The Jacobite Heritage. 2008年6月22日閲覧。
  • McFerran, Noel S. (2006年11月22日). “The Royal Family, the Nazis, and the Second World War”. The Jacobite Heritage. 2008年6月22日閲覧。
爵位・家督
先代:
アルブレヒト
〈名目上〉バイエルン王
ヴィッテルスバッハ家家長

1996年 -
次代:
-
推定相続人:マックス・エマヌエル
先代:
"アルバート1世"
ジャコバイトの王
1996年 -
次代:
-
推定相続人:マックス・エマヌエル