ヒデオ・ササキ

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ササキ・ヒデオ(Sasaki Hideo、1919年11月25日 - 2000年8月30日)はアメリカ合衆国造園家ランドスケープアーキテクト日系アメリカ人

SWAの創始者の一人。環境デザイナーとして広く環境デザインの設計活動を展開するかたわら、ハーバード大学デザインスクールでランドスケープアーキテクト教育に従事し多くの門下生を育てた。

人物概要[編集]

カリフォルニア生まれ。実家は農家であったが、カリフォルニア大学ロサンゼルス校進学経営学専攻するが、都市計画に興味を持ち、カリフォルニア大学バークレー校に転学。 在学中、第二次世界大戦の間は日系のためポストン戦争強制収容センターアリゾナ捕虜収容所に強制収容されるが、農場労働者としてコロラドで働くのを志願し収容所を出る。その後コロラド大学を経て、イリノイ大学ランドスケープ学科に移籍。学部課程を最優秀の成績で卒業し、ハーバード大学デザイン大学院に進学、1948年、修士課程修了

卒業後はイリノイに戻って設計活動を展開。スキッドモア・オーウィングズ・アンド・メリルに在籍。 1953年、ササキ・アソシエイツ設立、1980年まで代表取締役を務める。 その間母校ハーバード大学教授に就任、1950年から1968年まで、ランドスケープアーキテクチャー学科の学科長。

1961年、ジョン F. ケネディ大統領から合衆国美術委員会委員に任命される。1971年まで就任。 1971年に、アメリカ造園学会・学会賞受賞。

コンペ審査員は、1981年ベトナム戦争戦没者慰霊碑、1988年宇宙飛行士メモリアルなどのを歴任。 1984年、コロラド大学から名誉博士号。2000年、ハーバード大学で開かれた国際シンポジウム「ランドスケープアーキテクチュア100周年」において、20世紀を代表するランドスケープ・アーキテクトとして100周年賞を受賞。

かかわった主なプロジェクト[編集]

参考文献[編集]

見えない庭―アメリカン・ランドスケープのモダニズムを求めて、ピーター ウォーカー メラニー サイモ (著) 佐々木葉二 宮城俊作 (翻訳) 、鹿島出版会、1997年