セントラル20

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株式会社セントラル
CENTRAL
市場情報 株式会社
本社所在地 日本の旗 日本
182-0035
東京都調布市上石原一丁目32-34
北緯35度39分36.4秒 東経139度31分54.0秒 / 北緯35.660111度 東経139.531667度 / 35.660111; 139.531667座標: 北緯35度39分36.4秒 東経139度31分54.0秒 / 北緯35.660111度 東経139.531667度 / 35.660111; 139.531667
設立 1975年7月
業種 輸送用機器
法人番号 9012401008001
事業内容 自動車部品の開発・製造・販売
代表者 柳田春人
外部リンク central20.co.jp
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セントラル20Central 20)は、レーシングドライバー柳田春人によって設立されたレーシングチーム・チューニングショップ。社名は株式会社セントラル

主に日産・フェアレディZを取り扱い、「Z-SPORT」ブランドを展開する。

「セントラル20」とは、中央自動車道[注釈 1]国道20が交差する位置に立地することに由来する。

レース参戦実績[編集]

富士グランチャンピオンレース[編集]

1978年にセントラル20として初参戦。1984年から再度参戦を開始し第1戦で表彰台を獲得。1985年には鈴木亜久里もサポートした。

年度 参加マシン ドライバー 最高位
1978年 マーチ・75S 柳田春人 9位
1984年 マーチ・822/MCS V 柳田春人 3位
1985年 マーチ・822/MCS V 柳田春人
マーチ・842/MCS Ⅵ 鈴木亜久里 6位

スーパーシルエット[編集]

富士スーパーシルエットシリーズが開始された1979年からバイオレットターボで柳田が参戦。以降ガゼールターボブルーバードターボとマシンを換え、1983年にはシリーズチャンピオンを獲得した。

年度 参加マシン ドライバー 最高位
1979年 バイオレットターボ(710、PA10) 柳田春人 優勝
1980年 バイオレットターボ(PA10) 柳田春人 優勝
1981年 ガゼールターボ(S110) 柳田春人 優勝
1982年 ブルーバードターボ(910) 柳田春人 優勝
1983年 ブルーバードターボ(910) 柳田春人 優勝
1984年 ブルーバードターボ(910) 柳田春人 3位

WEC-JAPAN[編集]

1982年の第1回大会、当初ブルーバードターボでの参戦を柳田は希望していたがそれは実現せず、同じコカ・コーラのスポンサードでマーチの2座席GCマシンでの参戦となった。レース序盤上位がルーティーンのピットインする間に柳田が日本人初のラップリードを記録した。第2回以降は国内耐久と同様グループCカーで参戦。最高成績は1985年の8位。

年度 参加マシン ドライバー 順位
1982年 マーチ・75S/BMW 柳田春人/内田審司 10位
1983年 LM・03C/日産 柳田春人/和田孝夫 失格
1984年 LM・03C/日産 柳田春人/和田孝夫 Ret
1985年 ローラ・T810/日産 柳田春人/鈴木亜久里 8位
1986年 マーチ・85G/日産 柳田春人/中川隆正 18位

全日本耐久選手権[編集]

1983年から1986年まで、日産のエンジンを搭載するグループCカーで参戦。セントラル20は、ワークス活動を再開させる前の日産におけるセミワークス的立場にあった。1984年のNISMO設立で日産のワークス活動が本格化し、1986年オフの日産の参戦体制変更によりセントラル20は同選手権より撤退となった。

年度 参加マシン ドライバー 最高位
1983年 LM・03C/日産 柳田春人/和田孝夫
1984年 LM・03C/日産 柳田春人/和田孝夫 3位
1985年 LM・04C/日産、ローラ・T810/日産 柳田春人/鈴木亜久里 8位
1986年 ローラ・T810/日産、マーチ・85G/日産 柳田春人/中川隆正 6位

全日本ツーリングカー選手権[編集]

1986年、日産・スカイラインで参戦。前年のワークスマシンを使用。最高位は4位。この年のみの参戦。

年度 参加マシン ドライバー 最高位
1986年 スカイラインRSターボ(R30) 柳田春人/中川隆正 4位

主なメインスポンサー[編集]

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 調布IC至近。

出典[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]