ジョン・ローレンス・シーゲンソーラー

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John Seigenthaler Sr. speaking.jpg

ジョン・ローレンス・シーゲンソーラーJohn Lawrence Seigenthaler1927年7月27日 - )は、アメリカ合衆国ジャーナリスト、著述家。政治活動にも参加した。

テネシー州ナッシュビルに生まれる。ピーボディ大学を経て1949年に地元の新聞「テネシーアン」(The Tennessean) 紙に加わり、1962年には同紙編集人、1973年には発行人となった。1982年には会長に就任し、1991年に引退。現在は同紙名誉会長の地位にある。アメリカ新聞編集者協会会長も歴任し、1982年から1991年にかけては、自らが発起人となった「USAトゥディ」紙の論説主幹を務めた。

1955年に結婚したドロアズ・ワトソンとの間に生まれた子に、NBCニュースでアンカーを務めるジョン・マイケル・シーゲンソーラーがいる。兄のトーマス・シーゲンソーラーは広告企業「シーゲンソーラー・パブリック・リレーションズ」の創業者として知られている。

前半生[編集]

バンティン失踪事件[編集]

シーゲンソーラーは1953年11月にトーマス・C・バンティン(現在ではトーマス・D・パーマーの名で知られる)と彼の妻にインタビューし、初めてジャーナリストとして脚光を浴びた。バンティンはナッシュビルの裕福な実業家の息子で、1931年9月に突然失踪し、行方不明となっていた(彼の秘書もその6週間後に失踪している)。バンティンがテキサス州のどこかに生存しているとの噂が囁かれるようになったのを受け、テネシーアン紙はシーゲンソーラーを現地に派遣した。調査は何度となく行き詰まりをみせたが、ある日シーゲンソーラーはテキサス州オレンジでバスを降りる老人をみかける。その老人が特徴ある左耳をしていたのに気付いたシーゲンソーラーは、老人のあとをつけて家を突き止めようと試みた。3日間の調査ののち、ついに老人が家に帰ったところをおさえ、バンティンとその妻ベティー・マカディーおよび、6人の子供がそこにいることを確認した。

自殺志願者を救う[編集]

1954年10月5日、シーゲンソーラーはナッシュビル橋から飛び降り自殺しようとした男性を助け、再び全米でニュースとなった。ジーン・ブラッドフォード・ウィリアムズという男がテネシーアン紙編集部に自殺を予告し、ニュースにしたいのなら記者とカメラマンを派遣するよう伝えてきた。シーゲンソーラーはウィリアムズと40分間にわたって話したのち、ウィリアムズが約30メートルの高さから飛び降りようとした瞬間をとらえて彼の襟首をつかみ、落下を防いだ。ウィリアムズはこのときシーゲンソーラーに向かって、「あなたを絶対に許さない」とつぶやいたという [1]

国際トラック運転手組合の不正との戦い[編集]

1956年7月、シーゲンソーラーは国際トラック運転手組合(International Brotherhood of Teamsters, アメリカ最大のトラック運転手労働組合)のある地方部会が行っていた不正に対し、戦いを挑んだ。この地方部会は、組合員の運転手に犯罪者がいるのを知りながらこれを雇い続け、このことを外部に漏らさないよう脅迫行為を行っていた疑いがあった。組合の幹部であるデイヴ・ベックとジミー・ホッファに接触したシーゲンソーラーだったが、二人は嫌疑に対して無知を装った。この一件は結局、シーゲンソーラーの一連の記事に動かされたチャタヌーガ刑事裁判所判事が告発する事態に至った。

ロバート・ケネディの補佐官に[編集]

テネシーアン紙発行人のサイルマン・エヴァンズ・ジュニアの方針に不満がつのっていたシーゲンソーラーは、1960年、テネシーアン紙を辞職することを決意し、新任のロバート・ケネディ司法長官の補佐官に就任した。1961年4月21日にケネディがマーティン・ルーサー・キング牧師と会見した際、ケネディ以外ではただ一人の司法省スタッフとして会見に立ち合ったのがシーゲンソーラーだった。また、1961年フリーダムライドが起こった際には、アラバマ州知事ジョン・マルコム・パターソンと協力し、政府の主任折衝担当者として問題に対処した。

テネシーアン紙への復帰[編集]

1961年7月29日、サイルマン・エヴァンズ・ジュニアが心臓発作で急死したことをきっかけに、シーゲンソーラーの政府でのキャリアは終わりを告げることとなる。テネシーアン紙で長年にわたり記者として活躍したジョン・ナイが一時的に発行人を継いだのち、1962年3月20日、新たにエヴァンズの兄弟であるアーモン・カーター・エヴァンズが発行人に就任した。新任のエヴァンズにとって最初に成すべきことは、シーゲンソーラーを編集人として呼び戻すことだった。シーゲンソーラーの復帰により刷新されたテネシーアン紙は、これをきっかけに急速にその名声を高めていった。特に1962年8月の民主党予備選挙では、不在者投票にからんだ不正行為の証拠となる文書が発見されたことを報じ、有名となっている [2]

1968年の大統領選挙では民主党大統領候補として出馬したロバート・ケネディのもとで働き、同年7月6日にケネディが凶弾に倒れた後は、葬儀で彼の棺を担いだ。後にシーゲンソーラーは、『名誉ある告白:ロバート・ケネディに捧ぐ』(ISBN 0385471270) の編者の一人に名を連ねている。

60年代のシーゲンソーラーはこの他に公民権運動への注目に精力を傾け、1969年にはジョーゼフ・ドゥリック司教がすすめていた人種差別撤廃運動を支援している。

アル・ゴアの政界進出[編集]

1976年2月、当時テネシーアン紙記者だったアル・ゴアを自宅に訪れたシーゲンソーラーは、テネシー州選出下院議員ジョー・エーヴィンスが次の選挙で立候補しないことをゴアに告げた。これを知ったゴアは新聞社を辞め、ヴァンダービルト大学ロースクールも中退することを決意する。その後、父であるアルバート・ゴア・シニアが議席を占めていたテネシー州第4区から立候補したゴアは、政治家への道を歩むこととなる。

FBIとの戦い[編集]

1976年5月5日、シーゲンソーラーはテネシーアン紙の原稿管理編集者ジャック・スラウジを解雇した。スラウジがFBIへの情報提供者だったことが明るみに出たからである。FBI副長官補のホーマー・ボイントンが、「(シーゲンソーラーは)完全に潔白というわけではない」から「彼を調査するよう」ニューヨーク・タイムズ紙編集者に指示したことを知ったシーゲンソーラーは、FBIの持っている自分の調査ファイルを入手しようと奔走した。大幅に削除修正が加えられた調査ファイルをついに受け取ったシーゲンソーラーは、そこに「若い女性との間に不道徳な関係を結んでいる疑惑あり。匿名の情報提供者からの情報」などと書かれているのを発見する。シーゲンソーラーは「FBIから提供されたものは何であれ公にする」と公言していたので、このときもこのファイルの内容を公表しているが、疑惑については端的に否定している。後に司法長官はこれについて陳謝し、疑惑に関する記述はファイルから削除された。その「公表への勇気」を讃え、1976年度シドニー・ヒルマン賞 (Sidney Hillman Prize) はシーゲンソーラーに贈られている [3]

後半生[編集]

1986年、州立中部テネシー大学は、「言論の自由の価値に対する長年にわたる貢献」を讃え、「ジョン・シーゲンソーラー記念憲法第1修正研究教授職」(John Seigenthaler Chair of Excellence in First Amendment Studies) を設置した。1991年にはヴァンダービルト大学に「憲法第1修正センター」を設立し、2001年には、2000年大統領選挙の反省を踏まえて設立された連邦選挙制度改革委員会 (National Commission on Federal Election Reform) の委員に選ばれている。また彼は、アメリカ同時多発テロ事件を受けて設置された「自由と安全に関する憲法プロジェクト」 (Constitution Project on Liberty and Security) のメンバーでもある。

シーゲンソーラーは現在、ナッシュビルの公共放送局WNPTが放映している書評番組「ワード・オン・ワーズ」(A Word on Words) にホストとして出演している。その他には、ジョン・F・ケネディ図書館基金の「勇気の人賞」(Profiles in Courage Award) 選考委員および、ロバート・ケネディ記念財団の「ロバート・ケネディ出版賞」(Robert Kennedy Book Award) 選考委員を務めている。

シーゲンソーラーはジャーナリストとしての長いキャリアのなかで、幾度となく生命の危険に晒されている。1991年には拳銃を持った男につけねらわれる事件が発生し、1995年にはある兄弟によって誘拐事件が企てられた。この際には警察がシーゲンソーラーの自宅を警護する事態にまで発展し、その兄弟の自宅からは爆弾爆薬が発見された [4]

ウィキペディア論争[編集]

2005年5月、インターネット上の百科事典英語版ウィキペディア」にシーゲンソーラーの誤った経歴が投稿され、これをめぐって論争が生じた。

主要著作[編集]

  • Seigenthaler, John, A Search for Justice, Aurora Publishers, 1971 (ISBN 0876950039).
  • Seigenthaler, John, The Year of the Scandal Called Watergate, New York: Times Books, 1974 (ISBN 0914636014).
  • Seigenthaler, John, James K. Polk: 1845-1849, The American Presidents Series, New York: Times Books, 2004 (ISBN 0805069429).

参考文献[編集]

  • [1] "Reporter Balks Man's Suicide From Bridge", Los Angeles Times, October 6, 1954, pp. 6.
  • [2] "The Fighting Tennessean", Time Magazine, September 14, 1962.
  • [3] Lewis, Anthony, "'Not Entirely Pure'", New York Times, August 25, 1977.
  • [4] Fitzgerald, Mark, "Kidnap attempt", Editor & Publisher, May 6, 1995.

外部リンク[編集]

  • John Seigenthaler: Biography - シーゲンソーラーの伝記記事(憲法第1修正センター公式サイト内)
  • A Word on Words - シーゲンソーラーがホストを務める書評番組「ワード・オン・ワーズ」の公式サイト