ギリェルモ・コリア

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内検索
ギリェルモ・コリア Tennis pictogram.svg
Guillermo Coria wimbledon.jpg
ギリェルモ・コリア
基本情報
ラテン文字名 Guillermo Coria
フルネーム Guillermo Sebastián Coria
国籍 アルゼンチンの旗 アルゼンチン
出身地 同・ルフィーノ
居住地 同・ベナード・トゥエルト
生年月日 1982年1月13日(32歳)
身長 175cm
体重 69kg
利き手
バックハンド 両手打ち
ツアー経歴
デビュー年 2000年
引退年 2009年
ツアー通算 9勝
シングルス 9勝
ダブルス 0勝
生涯通算成績 228勝139敗
シングルス 218勝114敗
ダブルス 10勝25敗
生涯獲得賞金 $5,915,620
4大大会最高成績・シングルス
全豪 4回戦(2003・05)
全仏 準優勝(2004)
全英 4回戦(2005)
全米 ベスト8(2003・05)
4大大会最高成績・ダブルス
全豪 1回戦(2003)
全英 1回戦(2004)
キャリア自己最高ランキング
シングルス 3位(2004年5月3日)
ダブルス 183位(2004年3月1日)

ギリェルモ・コリアGuillermo Coria, 1982年1月13日 - )は、アルゼンチンルフィーノ出身の元男子プロテニス選手2004年全仏オープン男子シングルス準優勝者。シングルス自己最高ランキングは3位。身長175cm、体重69kg、右利き。ATPツアーでシングルス9勝を挙げた(ダブルス優勝はない)。同国のライバル、ダビド・ナルバンディアンとは年齢も同じで、幼少時からしのぎを削ってきた。名前はアルゼンチンの男子テニス選手、ギリェルモ・ビラスGuillermo Vilas)にあやかって「ギリェルモ」と命名された。

経歴[編集]

テニスコーチであった父親オスカーは、長男がよちよち歩きのうちからテニスを教え始めたという。1999年全仏オープン男子ジュニア部門でダビド・ナルバンディアンを破って優勝し、2000年にプロ入り。

2003年のシーズンに急成長を始め、年間5勝を挙げて世界ランキングトップ10に入る。この年に初めて全仏オープンの準決勝に進出を果たし、幼い頃から憧れてきたアンドレ・アガシを準々決勝で破ったが、続く準決勝でオランダマルティン・フェルカークに 6-7, 4-6, 6-7 のストレートで敗れた。

2004年全仏オープンで、コリアは第3シードに選ばれ、準々決勝でカルロス・モヤ、準決勝でティム・ヘンマンを破って宿願の決勝進出を果たす。決勝戦はノーシードから勝ち上がったガストン・ガウディオとの“アルゼンチン対決”になった。コリアが先に 6-0, 6-3 で2セットを奪ったが、勝利が目前に見えてきたところで、ガウディオが土壇場から反撃を開始し、6-4, 6-1 で第3・第4セットを奪い返す。最終第5セットで、コリアに5本のマッチ・ポイントが訪れたが、ガウディオに 6-8 で押し切られて準優勝に終わった。

2005年度の成績は、全仏オープンは4回戦で止まったが、ウィンブルドン4回戦進出と全米オープンベスト8がある。

2006年春に肘を痛め、得意とする全仏オープンを欠場した。この頃は、セカンドサーブが不調をきたしており、またその変化をつけるテニスを他の選手たちに研究されてしまい、勝ちきれないでいた。もともと小柄なので筋力も足りていないこともあり、安定した成績を上げるには、サーブの改良はもちろんさらなるフィジカル(肉体面)の強化が必要とされていた。

2008年2月にブラジルの大会で、ISシリーズ以上のグレードの大会としては実に2006年7月のオランダでの大会以来となる勝利を挙げたものの、怪我の治療の為ツアーへの参加は断続的なものとなっており、ランキングも500位台まで大きく下げてしまった。

コリアは2009年4月に引退を表明した。

コリアは摂取したビタミン剤が原因でドーピング違反となり2001年8月から7カ月の出場停止処分を受けたことがある。名誉回復と慰謝料を求めて製造元の食品会社を提訴していたが、2007年に和解した[1]

ATPツアー決勝進出結果[編集]

シングルス: 20回 (9勝11敗)[編集]

大会グレード
グランドスラム (0-1)
テニス・マスターズ・カップ (0-0)
ATPマスターズシリーズ (2-5)
ATPインターナショナルシリーズ・ゴールド (2-0)
ATPインターナショナルシリーズ (5–5)
サーフェス別タイトル
ハード (0–3)
クレー (8-7)
芝 (0-1)
カーペット (1-0)
結果 No. 決勝日 大会 サーフェス 対戦相手 スコア
優勝 1. 2001年2月12日 チリの旗 ビニャ・デル・マール クレー アルゼンチンの旗 ガストン・ガウディオ 4–6, 6–2, 7–5
準優勝 1. 2001年5月7日 スペインの旗 マヨルカ クレー スペインの旗 アルベルト・マルティン 3–6, 6–3, 2–6
準優勝 2. 2002年9月18日 ブラジルの旗 コスタ・ド・サイペ ハード ブラジルの旗 グスタボ・クエルテン 7–6(4), 5–7, 6–7(2)
準優勝 3. 2003年2月24日 アルゼンチンの旗 ブエノスアイレス クレー スペインの旗 カルロス・モヤ 3–6, 6–4, 4–6
準優勝 4. 2003年4月21日 モナコの旗 モンテカルロ クレー スペインの旗 フアン・カルロス・フェレーロ 2–6, 2–6
優勝 2. 2003年5月12日 ドイツの旗 ハンブルク クレー アルゼンチンの旗 アグスティン・カレリ 6–3, 6–4, 6–4
優勝 3. 2003年7月14日 ドイツの旗 シュトゥットガルト クレー スペインの旗 トミー・ロブレド 6–2, 6–2, 6–1
優勝 4. 2003年7月27日 オーストリアの旗 キッツビュール クレー チリの旗 ニコラス・マスー 6–1, 6–4, 6–2
優勝 5. 2003年7月28日 ポーランドの旗 ソポト クレー スペインの旗 ダビド・フェレール 7–5, 6–1
優勝 6. 2003年10月12日 スイスの旗 バーゼル カーペット (室内) アルゼンチンの旗 ダビド・ナルバンディアン 不戦勝
優勝 7. 2004年2月16日 アルゼンチンの旗 ブエノスアイレス クレー スペインの旗 カルロス・モヤ 6–4, 6–1
準優勝 5. 2004年4月5日 アメリカ合衆国の旗 マイアミ ハード アメリカ合衆国の旗 アンディ・ロディック 7–6(2), 3–6, 1–6, 途中棄権
優勝 8. 2004年4月19日 モナコの旗 モンテカルロ クレー ドイツの旗 ライナー・シュットラー 6–2, 6–1, 6–3
準優勝 6. 2004年5月17日 ドイツの旗 ハンブルク クレー スイスの旗 ロジャー・フェデラー 6–4, 4–6, 2–6, 3–6
準優勝 7. 2004年6月7日 フランスの旗 全仏オープン クレー アルゼンチンの旗 ガストン・ガウディオ 6–0, 6–3, 4–6, 1–6, 6–8
準優勝 8. 2004年6月21日 オランダの旗 スヘルトーヘンボス フランスの旗 ミカエル・ロドラ 3–6, 4–6
準優勝 9. 2005年4月18日 モナコの旗 モンテカルロ クレー スペインの旗 ラファエル・ナダル 3–6, 1–6, 6–0, 5–7
準優勝 10. 2005年5月9日 イタリアの旗 ローマ クレー スペインの旗 ラファエル・ナダル 4–6, 6–3, 3–6, 6–4, 6–7(6)
優勝 9. 2005年7月31日 クロアチアの旗 ウマグ クレー スペインの旗 カルロス・モヤ 6–2, 4–6, 6–2
準優勝 11. 2005年9月19日 中華人民共和国の旗 北京 ハード スペインの旗 ラファエル・ナダル 7–5, 1–6, 2–6

4大大会シングルス成績[編集]

略語の説明
W  F  SF QF #R RR Q# LQ A WG Z# PO SF-B S G NMS NH

W=優勝, F=準優勝, SF=ベスト4, QF=ベスト8, #R=#回戦敗退, RR=ラウンドロビン敗退, Q#=予選#回戦敗退, LQ=予選敗退, A=大会不参加
WG=デビスカップワールドグループ, Z#=デビスカップ地域ゾーン, PO=デビスカッププレーオフ, SF-B=オリンピック銅メダル, S=オリンピック銀メダル, G=オリンピック金メダル, NMS=マスターズシリーズから降格, NH=開催なし.

大会 2000 2001 2002 2003 2004 2005 2006 2007 2008 通算成績
全豪オープン A 2R A 4R 1R 4R 3R A A 9-5
全仏オープン 2R 1R 3R SF F 4R A A 1R 17-7
ウィンブルドン A 1R A 1R 2R 4R A A A 4-4
全米オープン LQ A 3R QF A QF 1R A A 10-4

脚注[編集]

外部リンク[編集]