アンドレイ・グロムイコ
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アンドレイ・アンドレーエヴィチ・グロムイコ
Андре́й Андре́евич Громы́ко |
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| 任期 1985年11月11日 – 1988年10月1日 |
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| 前任者 | コンスタンティン・チェルネンコ ヴァシリー・クズネツォフ |
| 後任者 | ミハイル・ゴルバチョフ |
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| 任期 1983年3月24日 – 1985年7月2日 |
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| 総理 | ニコライ・チーホノフ |
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第5代ソビエト連邦外務大臣(en:Minister of Foreign Affairs of the Soviet Union)
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| 任期 1957年2月14日 – 1985年7月2日 |
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| 総理 | ニコライ・ブルガーニン ニキータ・フルシチョフ アレクセイ・コスイギン ニコライ・チーホノフ |
| 前任者 | ドミトリー・シェピーロフ |
| 後任者 | エドゥアルド・シェワルナゼ |
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| 出生 | 1909年7月5日 |
| 死亡 | 1989年7月2日(79歳) |
| 国籍 | ベラルーシ人 |
| 政党 | ソビエト連邦共産党 |
| 母校 | ミンスク農業大学 |
アンドレイ・アンドレーエヴィチ・グロムイコ(ロシア語: Андре́й Андре́евич Громы́ко, ラテン文字表記の例:Andrei Andreevich Gromyko, 1909年7月18日(ユリウス暦7月5日) - 1989年7月2日)は、ソビエト連邦の外交官、政治家。28年の長きにわたってソ連の外務大臣を務め、「ミスター・ニエット」の異名で知られた。ミハイル・ゴルバチョフ政権時代にエドゥアルド・シェワルナゼと外務大臣を交代し、ソ連閣僚会議第一副議長(第一副首相)、そして国家元首に相当するソビエト連邦最高会議幹部会議長を歴任した。
目次 |
来歴・人物 [編集]
外交官時代 [編集]
1909年7月6日、ロシア帝国時代の白ロシア(現在のベラルーシ)共和国ホメリ州の農家に生まれる[1]。1931年にソ連共産党に入党。1932年にミンスク農業大学を卒業する。ソ連科学アカデミー経済研究所勤務を経て、1939年にソ連外務人民委員部(外務省)に入る。米州諸国局課長、アメリカ局次長、同局長、駐米大使館参事官を歴任する。第二次世界大戦中の1943年駐米大使に抜擢され、大戦中は1944年のダンバートン=オークス会議、1945年のヤルタ会談など主要な国際会議に出席し、とくにアメリカとソ連の関係強化に動いた。
1946年から1949年まで国際連合安全保障理事会のソ連代表を務め、この間に何度も拒否権を行使したことから、「ミスター・ニェット(ニェットнетは、ロシア語のノーにあたる)」の異名を奉られた。1951年のサンフランシスコ会議でもソ連代表として出席したが、講和条約の内容に反対し、署名をしなかった。その後、外務次官、駐英大使などを歴任する。駐英大使時代には、日ソ共同宣言に先立つロンドン交渉でソ連側の代表に立った。
1955年に外務次官を経て、ニキータ・フルシチョフ政権の1957年に外務大臣に就任した。以後、1985年にエドゥアルド・シェワルナゼと交代するまで、28年間にわたって冷戦時代のソ連外交を担った。ブレジネフ時代の1960年代後半から1970年代にかけてのデタント(緊張緩和)を実現するが、1979年のアフガニスタン侵攻によって新冷戦を招いた。
政治家として [編集]
この間、1956年には党中央委員に選出され、1973年4月には党政治局員となる。元来ソ連外務省は、ほかのソ連の国家機関同様、ソ連共産党の国際部や社会主義連絡部などの指導を受けて、外交を実施する機関であったが、1970年代からソ連閣僚会議が膨大な官僚を擁して行政府として強大化していったことと軌を一にしたこと、そしてグロムイコの外務大臣の在職が長期化したことに連れて、その権威も増大していった。
ブレジネフ政権末期からグロムイコは、政治的権威を増し、1983年からは閣僚会議第一副議長(第一副首相)を兼任した。その後のユーリ・アンドロポフ政権を経て1985年3月のコンスタンティン・チェルネンコの死を受けて、後継書記長の選出に当たってはゴルバチョフを強く推し、キング・メーカーとしての存在感を見せつけた。推薦演説に当たっては、ゴルバチョフを「この人物は若いが、鉄の歯を持っている」と評した。
しかし、皮肉にもゴルバチョフの鉄の歯はグロムイコ自身にも向かった。7月に外務大臣のポストをシェワルナゼに譲り、最高会議幹部会議長に祭り上げられた。これはゴルバチョフが外交の主導権を掌握し、新思考外交を進める上で老齢のグロムイコが障害となったためである。
1988年の秋に政治局員から引退し、1989年4月には中央委員会から引退した。
1989年7月2日死去。享年79。
著書 [編集]
著書に『回想録』(1989年、邦題は『グロムイコ回想録・ソ連外交秘史』 読売新聞社)がある。エリツィンの著書『告白』(草思社)には、最高会議幹部会議長時代のグロムイコの様子が描かれており、エリツィンに対しては好意的な姿勢を見せていた。
脚注 [編集]
- ^ Gromyko, Andrei. Memoirs, p. 2. Doubleday, New York, 1990. ISBN 0385412886.
| 官職 | ||
|---|---|---|
| 先代: コンスタンティン・チェルネンコ |
第10代:1985年 - 1988年 |
次代: ミハイル・ゴルバチョフ |
| 先代: ドミトリー・シェピーロフ |
第7代:1957年 - 1985年 |
次代: エドゥアルド・シェワルナゼ |