アフマド・シャフィーク

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内検索
アフマド・シャフィーク
أحمد شفيق
生年月日 1941年11月25日(73歳)
出生地 エジプトの旗 エジプトカイロ
所属政党 無所属

エジプトの旗 エジプト・アラブ共和国首相
任期 2011年1月29日 - 3月3日
元首 ホスニー・ムバーラク
ムハンマド・フセイン・タンターウィー (元首代行)

エジプトの旗 エジプト空軍司令官
任期 1996年4月7日 - 2002年3月1日
元首 ホスニー・ムバーラク
テンプレートを表示

アフマド・ムハンマド・シャフィーク・ザキーアラビア語: أحمد محمد شفيق زكي, ラテン文字転写: Ahmed Mohamed Shafik Zaki, [ˈæħmæd mæˈħæmmæd ʃæˈfiːʔ]1941年11月25日[1][2] - )は、エジプト・アラブ共和国軍人政治家。いわゆる世俗派[3]エジプト空軍英語版司令官(cf.エジプト軍)を務め、2011年1月29日から同年3月3日までの33日間、同国首相を務めた。その間2回の内閣改造を行った。2012年エジプト大統領選挙の有力候補であったが、決選投票で敗れた。

戦闘機パイロットにはじまり飛行中隊(スコードロン)司令官、ウィングコマンダー、基地司令官とキャリアを重ねていき、1996年から2002年までエジプト空軍司令官を務め、階級は空軍中将[要検証 ]。その後2002年から2011年までは民間航空大臣英語版を務めた。

2011年1月29日、エジプト革命における民衆の要求に応える形で、ホスニー・ムバーラクより首相に指名された。これによりシャフィークは末期のムバーラク政権の一端を支えた最後の首相となった[4]。首相を務めたのは約1ヶ月間のみであった。3月2日に出演した討論番組において、エジプトの著名な小説家よりムバーラク体制の遺物であると責めたてられ、翌日の3月3日に首相職を辞した[5]

生い立ち[編集]

1941年11月、エジプト王国カイロにて生誕。1961年空軍士官学校(en:Egyptian Air Academy)を卒業後、20歳で空軍(en:Egyptian Air Force) (EAF) に入隊する。その後、軍事学修士を得たほか、ナーセル軍事大学院英語版で高等戦争カレッジ(HWC)、国防カレッジ(NDC)、およびパリ高等戦争学校で連合部隊の 給費生。ナーセル軍事大学院で上級司令官コースを修了。また「宇宙における国家戦略」で博士号を取得している。空軍中将として数々のメダル勲章を獲得した[6]

軍人として[編集]

若き将校の時代は戦闘機のパイロットを務め、のちに飛行隊の指揮官となった。1967年から1970年にかけて発生した第三次中東戦争の消耗戦争 (War of Attritionにおいては、複数の航空隊の指揮官を同時に経験する。その後、空軍基地司令官のポストを得た[6]

1973年第四次中東戦争においては当時空軍司令官兼国防次官であったホスニー・ムバーラクの指揮のもと、上級の戦闘機パイロットとして戦った。この戦争ではイスラエルの航空機を2機撃墜したとされている[7]

1984年にはローマの在イタリア大使館武官に任命され、1986年までその任に就いた。1988年から1991年にかけていくつかの上級司令官を経験し、その後に空爆作戦局の司令官に任命された[6]。1991年に空軍参謀長に任命され、1996年4月には空軍司令官に昇進した。

2002年に兵役を退き、民間航空大臣に任命された。空軍司令官のポストは参謀長マグディー・ガラール・シャアラーウィ英語版空軍中将が引き継いだ。

政治家として[編集]

首相指名と辞任[編集]

2011年1月25日に革命運動が勃発し、1月28日には反体制派デモ隊24人が死亡。ムバーラクはアフマド・ナズィーフ首相を含む全閣僚を更迭し[8]、29日、野党を含めたエリート層から尊敬を集めるとされるシャフィークを新しい首相に指名した[9]。シャフィークは、首相就任当初、概ね容認された。彼に敬意を持っていたのは、エジプトのエリート層のみならず、(当時の)反体制派も含まれたと、仏語紙では報じられた。民間航空大臣として、エジプト航空を立て直した、清廉な政治家との評価もあった[10][11][12]。内相を更迭し、財界、なかでも、ムバーラクの次男ガマール・ムバーラクの側近は入閣しなかった[13]

しかし組閣にあたっては閣僚を数名入れ替えただけにとどまったため、不満の声があがった[14]1月31日、僅か組閣の2日後、1回目の内閣改造をした。

2011年2月11日にムバーラク政権は倒れ、SCAF エジプト軍最高評議会がエジプトの統治を暫定的に引き継いだが、シャフィークはSCAFの一員でもあった[15]

2月22日、2回目の内閣改造を余儀なくされ、ムバーラク政権に協力した守旧派の一人と見做され、首相として表舞台に残ることに反発を受けた[16]

2011年3月2日、エジプトの衛星ネットワークONTV英語版にて放送されているリーム・マーギド英語版のトーク番組バラドナー・ベル・マスリ英語版において、ヤコービアン・ビルディング英語版の著者であるアラー・アル=アスワーニー英語版に喧嘩腰のインタビューをされた翌日の3月3日に首相を辞した。アスワーニーは放送中、シャフィークを厳しく批判した。これはエジプトの歴史の中で初めて、政府高官に対する国民の批判がテレビ放送されたケースであった。放送中、アスワーニーは「あなたの息子がパトカーに轢かれたうちの一人であったならば、あなたはそのようにだんまりを決め込むようなことはないだろう」と述べた[17]。さらにアスワーニーは、シャフィークはエジプト人が打倒しようと戦っている体制の残党であり、革命後にエジプトを代表するにはふさわしくない人物だと批判した[18]

こうした反体制派などからの退陣圧力により2011年3月3日に首相を辞任。在任期間は1ヶ月強という短命政権であった。後任にはイサーム・シャラフ英語版が就任した。

2012年大統領選挙[編集]

2011年11月次期大統領選挙への立候補を表明した。 2011年11月から2012年1月にかけて行われた人民議会選挙ではイスラム系政党が大躍進を遂げた。

2012年4月中旬にその議会でいわゆる「分離法」が制定され、ムバーラク政権時代の後半10年間に幹部であった者の政治活動が禁じられることとなった。これは議会多数となったイスラム系政党がシャフィークを狙ったものとされ[19][20]、実際にSPEC 最高大統領選挙委員会は同法を根拠にシャフィークをいったん登録不許可とした。しかし異議申立てが認められ、立候補が可能となり[21]、SCC 最高憲法裁判所に判断が委ねられることとなった。

大統領選挙ではムスリム同胞団脅威論を訴え[22]、第1回投票でシャフィークは2位となり決選投票に進出する。ムバーラク政権下で首相を務めたシャフィークの勝ち上がりには反発の声が起こり、SPECによる選挙結果発表後には首都カイロタハリール広場にて抗議デモが行われた[23]ほか、シャフィークの選挙事務所が放火されるなどした[24]。またカイロ以外でもエジプト各地で抗議デモが行われ、シャフィークや同じく決選投票に進んだ自由と公正党党首のムハンマド・ムルシーのポスターが破られるなど混乱が続いた[24]

6月14日6月16日17日の決選投票の直前、最高憲法裁判所は「分離法」を憲法違反とし、無効とした[20]。これによりシャフィークに立候補資格があることが確定した。同時に最高憲法裁判所は選挙法に不備があったと認定し、人民議会議員の3分の1が当選を取り消された。このため議会は解散されることとなり、同選挙で躍進したイスラム系政党の支持を得るムルシーには打撃に、逆にシャフィークには有利に働くとも報じられた[22][25]。決選投票翌日の6月18日にはムルシーが自由と公正党の独自集計により勝利宣言を行ったがシャフィークはこれを認めず[26]19日までにシャフィークも勝利を宣言を行った[27]。6月24日、選挙管理委員会はムルシーを当選者と認定し、シャフィークは敗北を認めた[28][29]

選挙の結果が確定した翌日の6月25日、民間航空大臣時代に汚職を行なっていたとの告発を受け、検察当局が捜査を開始。その翌日の6月26日、シャフィークは巡礼目的でアラブ首長国連邦経由でサウジアラビアへと向かった[30]

9月11日、シャフィーク本人が帰国しない中、エジプト司法当局が汚職容疑で捜査機関に対しシャフィークの逮捕命令を出した[31]

参考文献[編集]

  1. ^ Qomra.org: Biography
  2. ^ http://www.bbc.co.uk/arabic/middleeast/2011/01/110129_egypt_shafiq.shtml
  3. ^ “アラブの春、成否は…エジプト大統領選投票開始”. 読売新聞. (2012年5月23日). http://www.yomiuri.co.jp/world/news/20120523-OYT1T00963.htm 2012年6月17日閲覧。 
  4. ^ Live blog 29/1 - Egypt protests”. Al Jazeera Blogs (2011年1月29日). 2011年1月29日時点のオリジナルよりアーカイブ。2012年6月17日閲覧。
  5. ^ Luhnow, David (2011年3月5日). “Egypt PM Undone by TV Debate”. ウォール・ストリート・ジャーナル. http://online.wsj.com/article/SB10001424052748704076804576180862540155764.html 2012年6月17日閲覧。 
  6. ^ a b c http://www.mmc.gov.eg/branches/AIRFORCE/cv1.htm
  7. ^ Ibrahim, Amirah. “Ahmed Shafiq: With an iron fist”. Al-Ahram Weekly. 2012年6月17日閲覧。
  8. ^ “エジプト全閣僚更迭…反体制デモで24人死亡”. 読売新聞. (2011年1月29日). http://www.yomiuri.co.jp/world/news/20110129-OYT1T00331.htm 2012年6月17日閲覧。 
  9. ^ “エジプト、副大統領と首相の指名後もデモ続く 死者100人超える”. AFPBB News (フランス通信社). (2011年1月30日). http://www.afpbb.com/article/war-unrest/2783838/6749606 2012年6月17日閲覧。 
  10. ^ “Egypte: Omar Souleimane nommé vice-président, Ahmad Chafic Premier ministre”. rfi. (2011年1月29日). http://www.rfi.fr/afrique/20110129-egypte-omar-souleimane-nomme-vice-president-ahmad-chafic-premier-ministre 2012年6月23日閲覧。 
  11. ^ “Egypte: Ahmad Chafik nommé Premier ministre”. DjaZairess. (2011年1月29日). http://www.djazairess.com/fr/ennaharfr/6435 2012年6月23日閲覧。 
  12. ^ François d'ALANCON (2011年1月30日). “Ahmad Chafik, un militaire apprécié de l'élite et de l'opposition”. La Croix. http://www.la-croix.com/Actualite/S-informer/Monde/Ahmad-Chafik-un-militaire-apprecie-de-l-elite-et-de-l-opposition-_NG_-2011-01-30-562687 2012年6月23日閲覧。 
  13. ^ “Egypte nouveau gouvernement, largemant inchangé”. Le Monde.fr avec AFP. (2011年1月31日). http://www.lemonde.fr/proche-orient/article/2011/01/31/egypte-nouveau-gouvernement-largement-inchange_1473226_3218.html7 2012年6月23日閲覧。 [リンク切れ]
  14. ^ “エジプト新内閣が発足、一部閣僚の入れ替えは不十分との声”. ロイター (ロイター). (2011年2月1日). http://jp.reuters.com/article/topNews/idJPJAPAN-19306220110131 2012年6月17日閲覧。 
  15. ^ アルジャジーラ (2011年2月11日). “Egypt's military leadership” (英語). オリジナル2011年2月12日時点によるアーカイブ。. http://web.archive.org/web/20110212055830/http://english.aljazeera.net/news/middleeast/2011/02/201121185311711502.html 2012年6月17日閲覧。 
  16. ^ Fam, Mariam (2011年3月3日). “Egyptian Prime Minister Shafik Resigns, Caving Into Key Protester Demands” (英語). ブルームバーグ. http://www.bloomberg.com/news/2011-03-03/egypt-military-accepts-shafik-resignation-asks-sharaf-to-form-government.html 2012年6月17日閲覧。 
  17. ^ “In Egypt, Television Confronts State; TV Wins” (英語). Connected in Cairo. (2011年3月7日). http://connectedincairo.com/2011/03/07/in-egypt-television-confronts-state-tv-wins/ 2012年6月17日閲覧。 
  18. ^ El-Saeed, Youmna (2011年3月9日). “The Episode That Toppled an Egyptian Cabinet” (英語). onislam.net. http://www.onislam.net/english/culture-and-entertainment/media/451394-the-episode-that-toppled-an-egyptian-cabinet.html 2012年6月17日閲覧。 
  19. ^ “大統領選決選投票控えたエジプト、最高裁が選挙関連2法を判断へ”. wsj.com (ウォール・ストリート・ジャーナル). (2012年6月12日). http://jp.wsj.com/World/Europe/node_459445 2012年6月17日閲覧。 
  20. ^ a b “改正選挙法は違憲・無効…エジプト最高憲法裁”. 読売新聞. (2012年6月14日). http://www.yomiuri.co.jp/world/news/20120614-OYT1T01192.htm 2012年6月17日閲覧。 [リンク切れ]
  21. ^ “エジプト大統領選で前首相の出馬可能に、選管が異議認める”. ロイター (ロイター). (2012年4月26日). http://jp.reuters.com/article/topNews/idJPTYE83O06W20120425 2012年6月17日閲覧。 
  22. ^ a b “エジプト議会、3分の1議席無効 最高裁判決、解散・総選挙へ”. 産経新聞. (2012年6月15日). http://sankei.jp.msn.com/world/news/120615/mds12061500090000-n1.htm 2012年6月17日閲覧。 
  23. ^ “エジプト大統領選、モルシ氏とシャフィク氏が決選投票に”. AFPBB News (フランス通信社). (2012年5月29日). http://www.afpbb.com/article/politics/2880715/9018952 2012年6月17日閲覧。 
  24. ^ a b “エジプト前首相の事務所に放火、決選投票進出に不満か”. ロイター (ロイター). (2012年5月28日). http://jp.reuters.com/article/jpAntigovernment/idJPTYE84S01520120529 2012年6月17日閲覧。 
  25. ^ “エジプト議会解散へ、憲法裁が選挙区選無効判断”. 読売新聞. (2012年6月14日). http://www.yomiuri.co.jp/world/news/20120614-OYT1T01192.htm 2012年6月17日閲覧。 [リンク切れ]
  26. ^ “エジプト大統領選、イスラム主義候補が勝利宣言”. 読売新聞. (2012年6月18日). http://www.yomiuri.co.jp/world/news/20120618-OYT1T00555.htm 2012年6月19日閲覧。 [リンク切れ]
  27. ^ “エジプト大統領選の両候補が勝利宣言、広場では大規模デモ”. CNN.co.jp (CNN). (2012年6月20日). http://www.cnn.co.jp/world/30007051.html 2012年6月21日閲覧。 [リンク切れ]
  28. ^ “エジプト大統領選、イスラム主義候補の当選発表”. 読売新聞. (2012年6月24日). http://www.yomiuri.co.jp/world/news/20120624-OYT1T00996.htm 2012年6月24日閲覧。 
  29. ^ “「全エジプト人の大統領に」 モルシ氏 イスラエル和平維持”. 東京新聞. (2012年6月25日). http://www.tokyo-np.co.jp/article/world/news/CK2012062502000205.html 2012年6月25日閲覧。 [リンク切れ]
  30. ^ “シャフィク氏がエジプト出国…汚職捜査開始翌日”. 読売新聞. (2012年6月26日). http://www.yomiuri.co.jp/world/news/20120626-OYT1T01258.htm 2012年6月30日閲覧。 
  31. ^ “エジプト元首相に逮捕命令”. 産経新聞. (2012年9月11日). http://sankei.jp.msn.com/world/news/120911/mds12091123160013-n1.htm 2012年9月12日閲覧。 

外部リンク[編集]


公職
先代:
アフマド・ナズィーフ
エジプトの旗 エジプト・アラブ共和国首相
2011
次代:
イサーム・シャラフ英語版
先代:
アフマド・アブドッラフマーン・ナーセル英語版
エジプトの旗 エジプト民間航空大臣
2002 - 2011
次代:
イブラーヒーム・マンナーウ
軍職
先代:
アフマド・アブドッラフマーン・ナーセル英語版
エジプトの旗 エジプト空軍司令官
1996 - 2002
次代:
マグディー・ガラール・シャアラーウィ英語版