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* 1925, {{PDFlink|[http://www.jma.go.jp/jma/kishou/books/kenshin/vol1p107.pdf 震源の深さに就いて] 驗震時報第1巻 pp.107-110}}
* 1925, {{PDFlink|[http://www.jma.go.jp/jma/kishou/books/kenshin/vol1p107.pdf 震源の深さに就いて] 驗震時報第1巻 pp.107-110}}
* 1926, {{PDFlink|[http://www.jma.go.jp/jma/kishou/books/kenshin/vol2p030.pdf 遠地地震波に就いて] 驗震時報第2巻 pp.30-41}}
* 1926, {{PDFlink|[http://www.jma.go.jp/jma/kishou/books/kenshin/vol2p030.pdf 遠地地震波に就いて] 驗震時報第2巻 pp.30-41}}
* 1926, [http://hdl.handle.net/2261/9854 脈動に就いて] 東京帝国大学地震研究所彙報. 第1冊, 1926.10.15, pp.55-58, {{ISSN|0040-8972}}
* 1926, [http://hdl.handle.net/2261/9854 脈動に就いて] 東京帝国大学地震研究所彙報. 第1冊, 1926.10.15, pp.55-58, {{ISSN|0040-8972}}, {{hdl|2261/9854}}
* 1926, [https://www.jstage.jst.go.jp/article/jmsj1923/4/4/4_4_83/_article/-char/ja/ 脈動の研究(その二)] 気象集誌. 第2輯 Vol.4 (1926) No.4 P83-86
* 1926, [https://doi.org/10.2151/jmsj1923.4.4_83 脈動の研究(その二)] 気象集誌. 第2輯 1926年 4 4号 p.83-86, {{doi|10.2151/jmsj1923.4.4_83}}
* 1928, 深海地震の特異性及び三種類の地震に就いて, 気象集誌, 第2輯, 6, 1-43
* 1928, [https://doi.org/10.2151/jmsj1923.6.1_1 深海地震の特異性及び三種類の地震に就いて], 気象集誌, 第2輯,1928年 6 1号 p.1-43, {{doi|10.2151/jmsj1923.6.1_1}}
* 1932, [https://www.jstage.jst.go.jp/article/jmsj1923/10/9/10_9_540/_article/-char/ja/ 地震P波及びS波の速度の比と其の應用に就いて] 気象集誌. 第2輯 Vol.10 (1932) No.9 P540-551
* 1932, [https://doi.org/10.2151/jmsj1923.10.9_540 地震P波及びS波の速度の比と其の應用に就いて] 気象集誌. 第2輯 1932年 10 9号 p.540-551, {{doi|10.2151/jmsj1923.10.9_540}}
* 1934, [https://www.jstage.jst.go.jp/article/jmsj1923/12/9/12_9_496/_article/-char/ja/ 地球内核中の震波速度] 気象集誌. 第2輯 Vol.12 (1934) No.9 P496-49
* 1934, [https://doi.org/10.2151/jmsj1923.12.9_496 地球内核中の震波速度] 気象集誌. 第2輯 1934年 12 9号 p.496-497, {{doi|10.2151/jmsj1923.12.9_496}}
* 1934, [https://doi.org/10.11470/oubutsu1932.3.323 深發地震に就いて] 応用物理 1934年 3巻 9号 p.323-331, {{doi|10.11470/oubutsu1932.3.323}}
* [http://iss.ndl.go.jp/books/R000000004-I9833574-00 十勝沖地震と津浪警報] 科学朝日 科学朝日 12(5), 27-30, 1952-05
* [http://iss.ndl.go.jp/books/R000000004-I9833574-00 十勝沖地震と津浪警報] 科学朝日 科学朝日 12(5), 27-30, 1952-05
* 1963, 防災科学技術について, 水利科学 7(4), 1963-10
* 1963, [https://agriknowledge.affrc.go.jp/RN/2010845481 防災科学技術について], 水利科学 7(4), 1963-10, {{naid|120005757884}}
* [http://doi.org/10.2183/tja1948.36.suppl_1 日本学士院百年の歩み] 日本學士院紀要 Vol.36 (1979-1980) No.suppl P1-7
* 1979, [https://doi.org/10.2183/tja1948.36.suppl_1 日本学士院百年の歩み] 日本學士院紀要 1979年 36巻 suppl p.1-7, {{doi|10.2183/tja1948.36.suppl_1}}


=== 共著・分担執筆 ===
=== 共著・分担執筆 ===
* 和達清夫、益田クニモ:[https://www.jstage.jst.go.jp/article/jmsj1923/11/10/11_10_444/_article/-char/ja/ 地震波の走時に就いて(第三報)] 気象集誌. 第2輯 Vol.11 (1933) No.10 P444-454
* 和達清夫、益田クニモ:[https://doi.org/10.2151/jmsj1923.11.10_444 地震波の走時に就いて(第三報)] 気象集誌. 第2輯 1933年 11 10号 p.444-454, {{doi|10.2151/jmsj1923.11.10_444}}
* 1953, 和達清夫、[[諏訪彰]]:『1952年明神礁噴火の空中観察』 験震時報 17(4), 71-77, 1953-07
* 1953, 和達清夫、[[諏訪彰]]:『[http://www.jma.go.jp/jma/kishou/books/kenshin/vol17_4p071.pdf 1952年明神礁噴火の空中観察]』 験震時報 17(4), 71-77, 1953-07
* 湯村哲男、広野卓蔵、和達清夫:[https://www.jstage.jst.go.jp/article/zisin1948/23/2/23_2_99/_article/-char/ja/ 日本付近における地震帯の構造について] 地震 第2輯 Vol.23 (1970) No.2 P99-121
* 湯村哲男、広野卓蔵、和達清夫:[https://doi.org/10.4294/zisin1948.23.2_99 日本付近における地震帯の構造について] 地震 第2輯 1970年 23 2号 p.99-121, {{doi|10.4294/zisin1948.23.2_99}}
* 和達清夫、高橋末雄:[https://www.jstage.jst.go.jp/article/zisin1948/27/1/27_1_42/_article/-char/ja/ 日本附近の地殻および上部マントルの構造について (その1)] 地震 第2輯 Vol.27 (1974) No.1 P42-56
* 和達清夫、高橋末雄:[https://doi.org/10.4294/zisin1948.27.1_42 日本附近の地殻および上部マントルの構造について (その1)] 地震 第2輯 1974年 27 1号 p.42-56, {{doi|10.4294/zisin1948.27.1_42}}


== 脚注 ==
== 脚注 ==

2018年10月11日 (木) 06:27時点における版

和達 清夫
和達 清夫
生誕 (1902-09-08) 1902年9月8日
愛知県
死没 (1995-01-05) 1995年1月5日(92歳没)
国籍 日本の旗 日本
研究分野 気象学地震学
出身校 東京帝國大学理学部物理学科
主な受賞歴 文化勲章(1985年)
プロジェクト:人物伝
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和達 清夫(わだち きよお、1902年明治35年)9月8日 - 1995年平成7年)1月5日)は、愛知県生まれの地球物理学者[1]歌人。専門は気象学地震学。子息に物理学者・和達三樹がいる。

経歴・人物

天王寺中学東京開成中学一高を経て、1922年4月に東京帝國大学理学部物理学科卒業。

1932年、東京帝國大学から理学博士。論文は『Shallow and deep earthquakes』(震源の深さによる地震の研究)。

第6代中央気象台台長を経て、初代気象庁長官に就任。1960年、第5期日本学術会議議長に就任、その後、第17代日本学士院院長や埼玉大学学長、日本環境協会会長などを歴任した。

1940年代後半から日本気象学会に於いて理事長を始めとして指導的地位にあり、1969年には名誉会員となった[2]

1985年文化勲章受章。

1995年1月5日、腹部大動脈瘤破裂にて死去[2]。92歳没。

地震のエネルギーを現すマグニチュードは、和達の研究がヒントになって作られたものである。また深発地震を発見したことでも知られ、和達-ベニオフ帯に和達の名が今も残っている。

沖縄戦で犠牲となった沖縄地方気象台職員の慰霊碑が沖縄県糸満市に『琉風之碑』として建立されるにあたっては和達が自ら碑文を揮毫し、自らが詠んだ和歌「夏草の原に散るべき花もなく」を刻んだ碑も慰霊碑の傍らに設置されている[2][3]

著書

単著

  • 『大地雲の話』(社会教育協会 1927年
  • 『岩波講座 物理及ビ科学 宇宙物理学・地震観測法』(岩波書店 1929年
  • 『地震』(鉄塔書院 鉄塔科学選書 1933年、1993年に中公文庫で復刊)
  • 『地球と人』(岩波書店 岩波叢書 1941年
  • 『あく迄希望あれ 西須諸次肺病文叢第一集』(西須諸次のペンネームで執筆 自然療法社 1941年 西須諸次は「さいすもろじ」と読み、自身の専門である地震学の英語seismologyから)
  • 『お天気博士 藤原咲平・藤原咲平の生涯』(日本放送出版協会 NHKブックス 1982年
  • 『地震の顔』
  • 『海洋大事典』

共著

監修書

主要論文

共著・分担執筆

脚注

  1. ^ 鈴木尉元「和達清夫の地震学と地盤沈下研究への貢献(地学者列伝)」『地球科学』第58巻第1号、地学団体研究会、2004年、61-64頁、doi:10.15080/agcjchikyukagaku.58.1_61 
  2. ^ a b c "和達清夫名誉会員を偲んで" (PDF) (Press release). 日本気象学会. 1995-5. 2017-8-15閲覧 {{cite press release2}}: |date=の日付が不正です。 (説明)
  3. ^ 沖縄地方気象台の沖縄戦 沖縄戦史

関連項目

ウィキメディア・コモンズには、和達清夫に関するカテゴリがあります。