金岡神社
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金岡神社 | |
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社殿正面 | |
所在地 | 大阪府堺市北区金岡町2866 |
位置 | 北緯34度33分34.2秒 東経135度31分13.4秒 / 北緯34.559500度 東経135.520389度座標: 北緯34度33分34.2秒 東経135度31分13.4秒 / 北緯34.559500度 東経135.520389度 |
主祭神 |
住吉大神 素戔嗚尊 巨勢金岡 大山咋神 勝手大神 |
社格等 | 旧郷社 |
創建 | 伝・仁和年間(885年 - 889年) |
本殿の様式 | 春日造3棟 |
例祭 | 大祭(10月10日) |
主な神事 | 画神祭(5月3日) |
地図 |
金岡神社(かなおかじんじゃ)は、大阪府堺市北区金岡町にある神社。旧社格は郷社[1]。
大和絵の様式を確立させたとされる平安時代初期の絵師である巨勢金岡を祀る神社として知られる[2]。
歴史
[編集]社伝では、仁和年間(885年 - 889年)に住吉大神を竹内街道沿いに祀ったことにより創建されたと伝えられている。また難波大道の南端に存在しているという説もあるが、この近辺では発掘調査などは実施されておらず定かではない。
後に素戔嗚尊、大山咋命を配祀し、更に一条天皇の時代に巨勢金岡を合祀して、金岡神社と称するようになったというが、伝承によるとそもそも当社がある地は巨勢金岡の隠棲の地であるとされ、金岡はこの地の景観を愛して絵を描き続けたと伝えられる[3]。
当社には頭正院という神宮寺があったが、明治時代になって神仏分離が行われると廃寺とされた。また、郷社に列せられている。その後、近隣の神社は当社に合祀されている。
以前は神社の北東約150mのところに金岡卿絵筆を洗ったとされる金岡淵(通称筆洗いの池)があったが、現在は埋め立てられて広場となり、石碑(碑文は正木直彦氏の筆による)がある[3]。
また1908年(明治41年)に同区蔵前町の須牟地曽根神社を合祀するが、後に分祀した。
祭神
[編集]境内
[編集]- 本殿 3棟 - 春日造。社殿は東向きか南向きに建てられることが多が、当社は海とゆかりの深い住吉大神を祀っているため大阪湾に向けて建てられ、西向きとなっている[4]。
- 中御殿
- 左御殿
- 右御殿
- 拝殿 - 昭和初期の再建。
- 社務所
摂末社
[編集]文化財
[編集]堺市指定保存樹木
[編集]現地情報
[編集]- 所在地
- 大阪府堺市北区金岡町2866[2]
- 交通アクセス
- バス(南海バス)
- 鉄道
- Osaka Metro御堂筋線 新金岡駅から徒歩15分
- 南海高野線 白鷺駅から徒歩20分
- 自動車
- 大阪府道2号大阪中央環状線「金岡口」交差点を南下。
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ^ 関西大学なにわ・大阪文化遺産学研究センター 神社を中心とする村落生活調査報告(二)大阪府-大阪府 北河内郡・中河内郡・南河内郡-2021年1月2日 閲覧
- ^ a b c 金岡神社 - 堺観光ガイド2021年1月2日 閲覧
- ^ a b 金岡神社ホームページ 由緒
- ^ 金岡神社ホームページ 境内図