野尻町
表示
のじりちょう 野尻町 | |||||
---|---|---|---|---|---|
のじりこぴあ | |||||
| |||||
廃止日 | 2010年3月23日 | ||||
廃止理由 |
編入合併 野尻町 → 小林市 | ||||
現在の自治体 | 小林市 | ||||
廃止時点のデータ | |||||
国 | 日本 | ||||
地方 | 九州地方 | ||||
都道府県 | 宮崎県 | ||||
郡 | 西諸県郡 | ||||
市町村コード | 45362-5 | ||||
面積 | 88.86 km2 | ||||
総人口 |
8,174人 (推計人口、2010年2月1日) | ||||
隣接自治体 | 宮崎市、都城市、小林市、高原町、東諸県郡綾町 | ||||
町の木 | サザンカ | ||||
町の花 | ヒガンバナ | ||||
町の鳥 | ウグイス | ||||
野尻町役場 | |||||
所在地 |
〒886-0292 宮崎県西諸県郡野尻町大字東麓1183番地2号 | ||||
外部リンク | 野尻町役場公式ホームページ - ウェイバックマシン | ||||
座標 | 北緯31度57分36秒 東経131度06分00秒 / 北緯31.95992度 東経131.09994度座標: 北緯31度57分36秒 東経131度06分00秒 / 北緯31.95992度 東経131.09994度 | ||||
ウィキプロジェクト |
野尻町(のじりちょう)は、2010年3月22日まで宮崎県の中央部にあった町で、西諸県郡に属した。第三次総合長期計画に「一度は行ってみたい町、住んでみたい町、住んでよかった町」を掲げ、また、『フロンティア精神高揚実践の町』としても有名であった。
2010年3月23日に西に隣接する小林市に編入され、地域自治区「野尻町」となった[1]。
地理
[編集]東西に長く、南北に短い地形で、北側は九州山地につながる山並みで中央はいくつかのシラス台地を形成し、南は岩瀬川・大淀川に境界が及ぶ北高南低の地形である。
- 河川:大淀川・岩瀬川
- ダム:岩瀬ダム
- 湖沼:野尻湖(岩瀬ダム湖(人造湖))
歴史
[編集]日向国設置当初は諸県郡に属し、延喜式には駅のひとつ「野後」として記されている。鎌倉時代には島津荘に属した。戦国時代には伊東氏の支配下にあったが1577年に島津氏に支配された。江戸時代は薩摩藩領となり、野尻外城(郷)として統治された。
廃藩置県後は鹿児島県→美々津県→都城県→宮崎県→鹿児島県を経て1883年に宮崎県所属となり(このときに諸県郡は南北に分割され野尻郷は北諸県郡に属す)、翌1884年に北諸県郡の分割により西諸県郡に属した。
近現代
[編集]- 1889年5月1日 - 町村制施行により、東麓村・三ケ野山村・紙屋村を合併して野尻村が発足。
- 1948年4月1日 - 村域の一部を分割し、紙屋村が発足。
- 1955年2月11日 - 野尻村・紙屋村が対等合併し、野尻町が発足。
- 2010年3月23日 - 小林市に編入合併され、同市の地域自治区「野尻町」となる。
行政
[編集]産業
[編集]姉妹都市
[編集]国内
[編集]地域
[編集]教育
[編集]- 中学校
- 小学校
- 野尻町立野尻小学校
- 野尻町立栗須小学校
- 野尻町立紙屋小学校
- 幼稚園
- 野尻町立野尻幼稚園
交通
[編集]バス路線
[編集]一般路線バス
[編集]道路
[編集]高速道路の最寄りインターチェンジは宮崎自動車道高原インターチェンジ。
- 一般国道
- 国道268号 - 町内を横断する幹線道路。小林・えびのと宮崎市を結ぶ。
- 県道
名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事
[編集]名所・旧跡・観光スポット
[編集]- のじりこぴあ
- 観光バラ園「ブルーミングローズ」
- 萩の茶屋
- 宮崎県総合農業試験場「薬草・地域作物センター」
- 大塚原公園
- 野尻湖キャンプ村
- 歴史民俗資料館
- 東麓石窟仏
- 東麓磨崖仏
- 池ノ原一里塚
- 漆野原一里塚
- 野尻城址
- 紙屋関所跡
- 大萩古墳
- 九ッ塚古墳
- 伊集院忠真の墓
祭事・催事
[編集]- 野尻ロードレース大会 - 1月最終日曜日開催
- ハーブ祭り - 4月下旬開催
- メロンフェア - 5月下旬開催
- のじり湖祭 - 8月開催
出身有名人
[編集]脚注
[編集]- ^ 小林市・野尻町合併協議会『小林市・野尻町合併協議会だより (PDF) 』 第4号、2009年7月。
参考資料
[編集]- 町のあゆみ・歴史 - 野尻町公式サイト