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北諸県郡

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
日本 > 九州地方 > 宮崎県 > 北諸県郡
宮崎県北諸県郡の位置(緑:三股町)

北諸県郡(きたもろかたぐん)は、宮崎県

人口25,195人、面積110.02km²、人口密度229人/km²。(2024年9月1日、推計人口

以下の1町を含む。

郡域

1884年明治17年)に西諸県郡東諸県郡を分割した当時の郡域は、上記1町に都城市を加えた区域にあたる。

歴史

郡発足までの沿革

  • 明治初年時点では全域が薩摩鹿児島藩領であった。「旧高旧領取調帳」に記載されている、諸県郡のうち後の本郡域の明治初年時点での村は以下の通り[1]。(41村)
    • 都城郷 - 安永村、横市村、上水流村、西岳村、野々美谷村、下水流村、岩満村、丸谷村、山田村、中霧島村、五十町分村、宮丸村、川東村、郡元村、上長飯村、下長飯村、梅北村、金田村、高木村、豊満村、安久村、宮村、長田村
    • 勝岡郷 - 樺山村、蓼池村、餅原村
    • 山之口郷 - 山之口村、花木村、富吉村
    • 高城郷 - 東霧島村、大井手村、桜木村、穂満坊村、石山村、有水村、四家村
    • 高崎郷 - 大牟田村、前田村、縄瀬村
    • 野尻郷(一部) - 笛水村、江平村
  • 明治3年(1870年) - 五十町分村が改称して五十町村となる。
  • 明治4年
  • 明治5年5月15日1872年6月20日) - 後の北諸県郡域の全域が都城県の管轄となる。
  • 明治6年(1873年1月15日 - 全域が宮崎県(第1次)の管轄となる。
  • 明治9年(1876年8月21日 - 第2次府県統合により鹿児島県の管轄となる。
  • 明治12年(1879年2月17日 - 郡区町村編制法の鹿児島県での施行により、行政区画としての諸県郡が発足。郡役所が都城に設置。

郡発足以降の沿革

  • 明治16年(1883年5月9日[要検証] - 宮崎県(第2次)が発足し、諸県郡のうち同県に所属する区域をもって北諸県郡が発足。
  • 明治17年(1884年1月26日 - 細野村ほか45村の区域をもって西諸県郡が、高岡町ほか3町31村の区域をもって東諸県郡がそれぞれ発足し、郡より離脱。本郡単独の郡役所が都城に設置。
1.都城町 2.五十市村 3.中郷村 4.三股村 5.山之口村 6.高城村 7.沖水村 8.志和池村 9.庄内村 10.山田村 11.高崎村(紫:都城市 青:合併なし)
  • 明治22年(1889年5月1日 - 町村制の施行により、以下の町村が発足。特記以外は全域が現・都城市。(1町10村)
    • 都城町 ← 宮丸村、下長飯村、上長飯村、西町[2]、上町[3]、中町[3]、下町[3]
    • 五十市村 ← 横市村、五十町村
    • 中郷村 ← 梅北村、安久村、豊満村
    • 三股村 ← 宮村、樺山村、長田村、餅原村、蓼池村(現・三股町)
    • 山之口村 ← 富吉村、花木村、山之口村
    • 高城村 ← 大井手村、桜木村、穂満坊村、石山村、有水村、四家村、高城町[4]
    • 沖水村 ← 高木村、金田村、川東村、郡元村
    • 志和池村 ← 岩満村、丸谷村、野々美谷村、上水流村、下水流村
    • 庄内村 ← 安永村、西岳村
    • 山田村 ← 山田村、中霧島村
    • 高崎村 ← 東霧島村、笛水村、江平村、前田村、縄瀬村、大牟田村
  • 明治24年(1891年7月4日 - 庄内村の一部(西岳)が分立して西岳村が発足。(1町11村)
  • 明治30年(1897年4月1日 - 郡制を施行。
  • 大正12年(1923年)4月1日 - 郡会が廃止。郡役所は存続。
  • 大正13年(1924年
    • 4月1日 - 都城町が市制施行して都城市となり、郡より離脱。(11村)
    • 5月15日 - 庄内村が町制施行して庄内町となる。(1町10村)
  • 大正15年(1926年7月1日 - 郡役所が廃止。以降は地域区分名称となる。
  • 昭和9年(1934年2月11日 - 高城村が町制施行して高城町となる。(2町9村)
  • 昭和11年(1936年5月20日 - 沖水村・五十市村が都城市に編入。(2町7村)
  • 昭和15年(1940年)2月11日 - 高崎村が町制施行して高崎町となる。(3町6村)
  • 昭和23年(1948年5月2日 - 三股村が町制施行して三股町となる。(4町5村)
  • 昭和24年(1949年)5月1日 - 高城町が志和池村水流の一部を編入。
  • 昭和28年(1953年1月15日 - 山田村が町制施行して山田町となる。(5町4村)
  • 昭和31年(1956年7月15日 - 庄内町・西岳村が合併して荘内町が発足。(5町3村)
  • 昭和32年(1957年3月1日 - 志和池村が都城市に編入。(5町2村)
  • 昭和39年(1964年11月3日 - 山之口村が町制施行して山之口町となる。(6町1村)
  • 昭和40年(1965年)4月1日 - 荘内町が都城市に編入。(5町1村)
  • 昭和42年(1967年3月3日 - 中郷村が都城市に編入。(5町)
  • 平成18年(2006年1月1日 - 山之口町・高城町・山田町・高崎町が都城市と合併し、改めて都城市が発足、郡より離脱。(1町)

平成の大合併

  • 平成15年(2003年
    • 1月 - 北諸県郡下全五町による「北諸地域任意合併協議会」設置
    • 3月 - 合併重点支援地域に指定される。
    • 5月 - 合併協議会に都城市がオブザーバー参加。
    • 12月 - 三股町が合併協議会からの離脱を表明。
  • 平成16年(2004年
    • 2月 - 「都城北諸合併協議会」(法定合併協議会)設立。
    • 7月 - 新市名を「都城市」とすることが決定。
    • 11月 - 現在の北諸県郡四町に合併特例法に基づく地域自治区を合併後6年間設ける旨決定。
  • 平成17年(2005年)2月 - 合併協定調印式
  • 平成18年(2006年)1月 - 合併

変遷表

自治体の変遷
明治22年以前 明治22年5月1日 明治22年 - 昭和19年 昭和20年 - 昭和29年 昭和30年 - 昭和64年 平成1年 - 現在 現在
三股村 三股村 昭和23年5月3日
町制
三股町 三股町 三股町
都城町 大正13年4月1日
市制
都城市 都城市 都城市 平成18年1月1日
都城市
都城市
五十市村 昭和11年5月20日
都城市に編入
沖水村
志和池村 志和池村 志和池村 昭和32年3月1日
都城市に編入
中郷村 中郷村 中郷村 中郷村 昭和42年3月3日
都城市に編入
庄内村 大正13年5月15日
町制
庄内町 昭和31年7月15日
荘内町
昭和40年4月1日
都城市に編入
明治24年7月4日
西岳村
西岳村
高城村 昭和9年2月11日
町制
高城町 高城町
山之口村 山之口村 山之口村 昭和39年11月3日
町制
高崎村 昭和15年2月11日
町制
高崎町 高崎町
山田村 山田村 昭和28年1月15日
町制
山田町

行政

歴代郡長
氏名 就任年月日 退任年月日 備考
1 明治16年(1883年)5月9日
大正15年(1926年)6月30日 郡役所廃止により、廃官

脚注

  1. ^ 郷については「角川日本地名大辞典」による。
  2. ^ 下長飯村のうち。本項では町数に数えない。
  3. ^ a b c 宮丸村のうち。本項では町数に数えない。
  4. ^ 穂満坊村のうち。本項では町数に数えない。

参考文献

  • 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 編『角川日本地名大辞典』 45 宮崎県、角川書店、1986年9月1日。ISBN 4040014502 
  • 旧高旧領取調帳データベース

関連項目

先代
諸県郡
行政区の変遷
1883年 -
次代
(現存)