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西村五雲

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西村五雲肖像写真

西村 五雲(にしむら ごうん、1877年(明治10年)11月6日 - 1938年(昭和13年)9月16日)は日本画家京都出身、本名・源次郎[1]。日本画家の西村卓三は息子(次男)。動物画を得意とし、動物の生態を生き生きと捉えるその描写は、師の竹内栖鳳を凌ぐとも評された。

来歴

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1890年(明治23年)13歳で岸竹堂に入門、ただしこの頃の作品は殆ど現存しない。竹堂没後の1899年(明治32年)に竹内栖鳳に師事[1]1907年(明治40年)の第1回文展で「白熊(咆哮)」(山種美術館蔵)が三等賞受賞。しばらく文展には不出品だったが、1911年(明治44年)の第5回文展では「まきばの夕」で褒状、宮内庁買い上げ。1913年(大正2年)に京都美術工芸学校教諭に就任するも、同年長男を亡くした心労で神経衰弱に陥る。病状が回復し小品が制作できるほどに回復するのは、1917年(大正6年)まで待たねばならない。1924年(大正13年)に京都市立絵画専門学校(現:京都市立芸術大学)教授、1933年(昭和8年)に山元春挙死去に伴う補充として帝国美術院会員となる[2]1937年(昭和12年)に帝国芸術院会員。 同年、この年から始まった新文展の審査員に就任[3]。 晩年の五雲は名声を得たが、生来病弱で、官設展などの大きな展覧会にはあまり出品しておらず、大作や作品数も少ない。画塾・晨鳥社を主宰、門下に山口華楊などがいる。

主な作品

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作品名 技法 形状・員数 寸法(縦x横cm) 所有者 年代 出品展覧会 落款・印章 備考
水呑虎 京都府立総合資料館 初期作
凍夜 足立美術館 1902年(明治35年)
残雪飢狐 紙本墨画淡彩 二曲一隻 152.1x170.8 海の見える杜美術館 1903年(明治36年)[4]
白熊(咆哮) 絹本著色 1幅 171.5x115.5 山種美術館 1907年(明治40年) 第1回文展 五雲にとって初の大賞を受賞した出世作。「捉膃肭之図(おっとせいを捉えるのず)」という別名も伝わる。京都市動物園でのスケッチを元に描いたという[5]
林泉群鶴図 紙本著色 六曲一双 153.5x363.0(各) 永青文庫 1911年(明治44年)頃 弟子の山口華楊によると、五雲は鶴を好んで描き、本作は座敷用の依頼画として描かれたという[6]
秋興 絹本著色 六曲一双 152.2 × 355.4〈各) 京都市美術館 1913年(大正2年)
日照雨 絹本著色 1幅 141.2x163.0 東京芸術大学大学美術館 1931年(昭和6年) 第12回帝展 政府買上
秋茄子 三の丸尚蔵館 1932年(昭和7年) 第13回帝展 宮内庁買上
冬暖 西宮市大谷記念美術館 1934年(昭和9年)
海驢(あしか) 絹本著色 額装1面 124.0×198.0 京都市美術館 1934年(昭和9年) 頃
麦秋 190x229 日本芸術院 1937年(昭和12年) 第1回新文展[7]
老松遊鶴図 紙本墨画淡彩 六曲一双 153.0x360.8(各) 松岡美術館 制作年不明 款記「五雲」[8]

著作・画集

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脚注

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  1. ^ a b 西村五雲 東京文化財研究所 2018年7月17日閲覧。
  2. ^ 日本画伊藤深水ら、新たに審査員に『中外商業新報』昭和8年9月5日(『昭和ニュース事典第4巻 昭和8年-昭和9年』本編p410 昭和ニュース事典編纂委員会 毎日コミュニケーションズ刊 1994年)
  3. ^ 審査員の顔ぶれ内定『東京朝日新聞』昭和12年7月27日(『昭和ニュース事典第7巻 昭和14年-昭和16年』本編p665 昭和ニュース事典編纂委員会 毎日コミュニケーションズ刊 1994年)
  4. ^ 田中日佐夫監修 『近代日本画の巨匠 竹内栖鳳とその門下生たち 海の見える杜美術館館蔵品選1』 海の見える杜美術館、2005年9月16日、pp.80-81。
  5. ^ 山下裕二監修 山種美術館学芸部編集 『山種美術館創立45周年記念特別展 ザ・ベスト・オブ・山種コレクション』 山種美術館、2011年、pp.96,213。
  6. ^ 山口華楊「作品解説」『西村五雲』 光村推古書院、1983年、p.95。
  7. ^ 日本藝術院編集・発行 『日本藝術院所蔵作品目録』 2008年、pp.15,385。
  8. ^ 松岡美術館編集・発行 『日本画名品選』 2006年10月20日、pp.94-95。

参考文献

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  • 大熊敏之 「近代動物画の誕生─西村五雲『秋茄子』をめぐって」宮内庁三の丸尚蔵館編集 『三の丸尚蔵館展覧会図録No.3 花鳥の美─若冲から近代まで』 菊葉文化協会発行、1994年3月、pp.76-80